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「……お気が、進みませんか?」
 今度、フレンの言ったことはこの間と同じだったけれど、受け取る側のグレイスの気持ちはだいぶ変わっていた。あのときよりずっと、落ちついているといえただろう。
「それは……そうね」
 考え、考え、口に出す。急に親から婚約、などと言われた令嬢としての、定番の思考。それを言えばいい。
 実際その気持ちはある。内包されている密かな気持ちは言えないけれど。それを包んでいるものとしてその気持ち、『政略結婚なんて』という気持ち。
「婚約……結婚なんて、まだ先のことだと思っていたの」
 グレイスが話をする姿勢に入ったことを知ったのだろう。フレンは小さく頷いた。
「だから仰天したし……それに、見知らぬ方と、なんて」
 グレイスが口に出していったのは、どれも『定番の思考』であった。フレンだって納得するだろう、と思う。計算のようだったけれど、半分は本心なのだから許してほしい。
「どうしたらいいのか、よくわからないの」
 気持ちはすべて言葉に出せなかったけれど、言った。
 どうしたらいいのか。いや、父の言うがままに婚約して結婚することになるのだろう。それに関してはどうするもなにもない。
 どうしたらいいのか、というのは、自分の気持ちについてだ。どう、自分の気持ちに整理や納得をつければいいのか、ということについて。
「そう……ですね。私としては喜ばしいと後押しするところなのですが」
 フレンの返した言葉。グレイスの胸をひやっと冷やしていった。先日、打ち合わせをしていたとき。「おめでとうございます」と言われたときの痛みを思い出してしまったのだ。
 けれど、今度はショックだけではなかった。
「しかし、お嬢様が戸惑いになるお気持ちはよくわかります。今後の人生を左右されるようなことですし、おまけに恋のことですからね」
 寄り添うような言葉にそのショックは去ったけれど。
 恋のこと。フレンからこんな話題を出されようとは。
 急に、きゅっと胸の奥が反応した。痛みなのか、嬉しさなのか、恥ずかしさなのか、よくわからない反応だった。
 恋というものについて、フレンと話したことならある。けれどそれは幼い頃に、恋物語の本を読んでもらったとか、あるいは親族の結婚式があるとか、そういう機会だけで。『恋とはどういうものか』『どういう気持ちを恋というのか』とか、その程度で。ある意味教育の一環でしかなかったのだ。
 ここ数年はそういう話もしていない。グレイスがお年頃になってから、は。
 多分フレンのほうが気を使ってくれていたのだと思う。どういう意図かはわからないけれど。形にとらわれずに、自由に恋をしてほしいとか、そういう気持ちだろうか。
「そう、ね……そうよね」
 グレイスはただ相づちを打つしかなかった。
 恋について。今、フレンと話せるものか。そしてフレンも追及してこなかった。「お嬢様は今、恋しておられる方はいらっしゃるのですか?」などと。そんな不躾なことは。
 訊かれたとしても、答えられるはずがないのだから助かるのだけど。フレンが優しく、また節度あるひとで良かったと思うばかりだ。

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