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住む世界が違う? ④

「それって……、まさかブラックカード!? 絢乃さんの名義ですか!?」

「うん♪ わたしも十八になったし、自分名義のクレカ申し込めるようになったからね。でも、クレジット会社が『年収が千五百万円以上あるなら、ブラックも申し込めますよー』って強く勧めるもんだから。わたしは別に普通のでも、ゴールドでもよかったんだけど」

「…………はぁ」

 彼はちょっと引いていたかもしれない。まさかあんなところで、自分とわたしとの格差を見せつけられることになるとは思っていなかっただろうから。

「じゃ、行きましょう!」

「……はい」

 わたしは彼の戸惑いに気づかないふりをして、彼を連れてお店(テーラー)までグングン進んでいった。

****

 そのテーラーの職人さんは、「この道五十年」という言葉がしっくりきそうな七十歳近い白髪の男性だった。そのお店の店主でもあるとのことだった。
 年齢を感じさせない(かく)(しゃく)とした高齢の職人さんは、テキパキとメジャーを伸ばして彼の肩幅や胸囲、胴衣、脚の長さなどの採寸を進めていた。
 それまでは長身だけれどヒョロッとしていて頼りなく見えていた貢の胸板が、意外にも厚かったのはわたしの新たな発見だったと思う。
 やっぱり彼も男性なんだなぁ、女であるわたしとは違うんだなぁと、当たり前だけれどそう思ってドキッとしてしまう自分がいた。
 
「――はい。では確かに注文を承りました。こちらが注文書でございます。ご連絡を差し上げた際には、こちらをお持ちくださいませ。……お支払いはいかがなさいますか?」

 メインの生地や裏地の色、素材、ボタンの種類、ボトムスの裾の形などを決めると、オーダーは完了した。やっぱり、仕立て終えるまでには三週間から一ヶ月かかる、とのことだった。

「このお店ってカードは使えますよね? じゃあコレで」

 わたしは臆することなく、ブラックカードを店主の男性に差し出した。
 初めてカードを使用する人は、たいてい少しくらいはオドオドするものらしいのだけれど、カードを使うことに慣れてしまっていたわたしにはそれがなかった。
 彼はきっと、わたしのそんな光景を、信じられない想いで見ていたのだろう。そして、ますます「やっぱり自分と絢乃さんは、住む世界が違うんだ」という気持ちを強くしていたのかもしれない。

****

 そんなことがあってから、わたしに対する彼の態度が少し変わった。

 もちろん、仕事の時にはちゃんとしてくれていたし、プライベートではよくデートもしていたし、わたしが彼のお部屋へ行ってお料理をして、一緒に食事をする機会も増えた。表向きには、わたしと彼の関係は良好だった。
 でも以前に増して、彼はわたしに(へりくだ)るようになったし、自分のことを卑下することも増えていった。

 少し前のわたしなら気にならない、些細な違和感。でも、それは少しずつだけれど確実に、わたしと彼の間に見えない壁を形成しつつあった。

****

 ――六月のある日。わたしは学校のお昼休みに、窓際の席でボーッと外を眺めていた。 
 その日は梅雨入り前でよく晴れていたけれど、わたしがボーッとしていたのは半袖になった制服のブラウスから伸びる腕をじりじり照らす日差しのせいではなく、昼食が終わっての満腹感のせいでもなく。彼の態度が引っかかっていたからだった。
 第一、彼の様子がおかしくなってからは食欲が落ち込み、どれだけ美味しいものを食べても味がほとんど分からなかった。

「――絢乃タン、どしたの? なんか最近暗いよ?」

 そんなわたしを心配して声をかけてくれたのは里歩ではなく、唯ちゃんだった。里歩はこの時、担任の先生から用事を頼まれていて教室にはいなかったのだ。

「ああ、唯ちゃん。……うん、彼のことでちょっと。心配かけちゃってゴメンね」

「ううん! いいんだよ、そんなことっ! ……っていうか、絢乃タンの彼氏さんってあの人だよね? 先月、恵比寿で会った……確か、桐島さん?」

「うん、そう。――最近ね、彼の態度がちょっと変なの」

「ヘンって? 里歩タンみたいにアドバイスはできないけど、わたしでよかったら話聞くよ? っていっても聞くしかできないけど、それでもよかったら」

 彼女はちょっと変わり者だけれど、オタクだけあって恋愛の知識はかなり豊富らしい。わたしは唯ちゃんのことをちょっと頼もしく思った。

「うん……、ありがと。じゃあ聞いてもらおうかな。何だかね、最近の彼、わたしに対してちょっとよそよそしいっていうか、自分のことをすぐ卑下するし。ちょっと距離っていうか、(へだ)たりみたいなものを感じるの」

「ふんふん。それって、絢乃タンを嫌ってたり、避けてたりしてるワケじゃないんだよね?」

 わたしはちょっと首を捻ってから、その問いに答えた。

「違う……んじゃないかしら。表面上は変わらずに優しいの。わたしのことを好きなのは変わってないと思う。ただ……、何て言ったらいいのかな。今以上に距離を縮めようとはしてくれないの。わたしから縮めようとしても、遠慮するし」

 たとえばデートの帰り。家の前まではキチンと送ってくれるけれど、「ちょっと家に寄っていかない?」とわたしが誘ってみても(目的は「お茶くらい飲んでいったら?」くらいの気軽なものだった)、「僕は遠慮しておきます」だの「僕がおジャマしたら申し訳ないですから」だのと口実をつけては逃げていたのだ。まったくもって、取り付く島もない状態だった。

 縮めたくても縮まらない彼との距離、読み取れない彼の本心がどうしようもなくもどかしくて、この当時のわたしはモヤモヤばかりしていた。
 わたしという人間がイヤになったのなら、中途半端に交際を続けられるよりも、さっさと見切りをつけてくれればいいと思っていたのだ。

「最近の彼の口癖、何だと思う? 『僕と絢乃さんとは住む世界が違いますから』ですって。唯ちゃん、どう思う?」

 わたしのボヤきを聞いた唯ちゃんは、赤いフレームの伊達メガネをずり上げながら、う~んと唸った。

「そうだなぁ……。彼氏さん、ちょっと疲れちゃってるだけなんじゃないかなぁ。浩介クンも里歩タンの彼氏さんも学生さんだからお気楽なもんだけど、絢乃タンの彼氏さんは大人だもん。やっぱり色々考えちゃうんだろうね。絢乃タンのお家ってスゴいんでしょ? そんなお家のお婿さんになるプレッシャーとか」

「プレッシャー……は、かけてるつもりないんだけどな」

 わたしには自覚がなかったけれど、彼の方はどうだったのだろう? その頃は気づいていなかったけれど、そういえば彼の口からはあまり〝結婚〟をほのめかすような話題は出ていなかったと記憶している。

「まぁ、わたしの考えすぎかもしんないけどね。でも、先月のデート中にバッタリ会った時、わたしには二人がお似合いに見えたよ! だからきっと大丈夫だよ! 彼氏さんのこと信じてあげて!」

 ちょっと短めのポニーテールを揺らしながら、彼女はわたしを一生懸命励ましてくれた。

「……うん、そうね。話聞いてくれてありがと、唯ちゃん」

「よかったぁ。わたし、里歩タンみたいにちゃんとできたかなぁ?」

「うん、大丈夫」

 里歩みたいにアネゴ肌ではなかったけれど、彼女は彼女なりにわたしを元気づけてくれたから、それで十分だ。何も、里歩と比べる必要なんてない。

「おかえり、里歩。――それなに?」

 そこへ戻ってきた里歩は、両手に冊子のようなものをドッサリ抱えていた。

「ああコレ? 修学旅行のしおりだよ。行先は韓国だって」

「修学旅行!? 韓国! イェーイ♪ 楽しみっ!!」

 六月の第三週目にあるビッグイベントに、唯ちゃんは大はしゃぎだったけれど。

「あ……、わたしムリだわ。参加できない」

「あー、仕事? 残念……。ホンっト、大企業のトップって大変だねぇ。じゃ、絢乃のためにいっぱい写真撮ってくるか」

 わたしが一緒に行けないことを、里歩は残念がっていた。

「うん、ホント残念んー。じゃあ、わたしたちでお土産いっぱ~い買ってくるからねっ♪」

「二人とも、ありがと。修学旅行、わたしの分まで楽しんできてね」

 わたしも本当はガッカリしていたけれど、友人二人の気遣いはすごくありがたかった。

 ――わたしには、わたしのやるべきことがある。そう思うと、残念がっている場合ではなかったのが正直なところでもあった。

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