住む世界が違う? ①
――世間をざわつかせた篠沢商事・総務課でのパワハラ問題も、年度内に何とか無事に収束できた。
わたしと村上さんで行った謝罪会見は、その日の報道番組で軒並み取り上げられ、またネット配信もされていたようだ。
翌日までその反響はすさまじく、報道番組やワイドショーなどではコメンテーターが好き勝手に批判し、SNSでも賛否両論が巻き起こっていた。けれど、翌日の夜にはわたしたちの誠意ある対応を賞賛する声の方が多くなっていた。
そして四月。新年度が始まり、それからすぐに訪れた四月三日。わたしの、十八歳の誕生日――。
「――会長、お疲れでしょう? 今日は早めにお帰りになった方がいいのでは?」
「…………うん、そうね」
わたしはUSBメモリーに入っている新入社員一覧のリストをチェックし終えると、ブルーライトで疲れ果てた両方の目頭を押さえながら彼を睨んだ。そして、少し不機嫌だった。
「今日は特別な日だし、家ではお祝いのご馳走作って待っててくれてるだろうし。早めに帰ろうかな……。ね、桐島さん?」
「…………はい。了解です」
半分彼への当てつけのようにそう言うと、彼は困ったように肩をすくめた。
わたしの機嫌が悪かった理由。――それは、朝から待てど暮らせど、彼が誕生日プレゼントをくれなかったからである。
律儀な性格の彼のことだから、まさか用意していないのでは……とは考えられなかった。しかも、悠さんからは「アイツ、絢乃ちゃんへのプレゼントめっちゃ真剣に選んでたみたいだよ」とメッセージが来ていたので、彼は絶対に準備してあったはずなのだ。
だから、わたしは朝から「いつプレゼントをくれるんだろう?」「どんなものを選んでくれたんだろう?」とワクワクしながらひたすら待って、待って、待ち続けていた。
ところが、夕方になり、終業時間まで待てど暮らせどくれないとは一体どういうことなのか? ……わたしの中に、かすかな
「――あの、絢乃さん? なんかご機嫌斜めじゃないですか? どうかされました?」
帰りの車内で、助手席で仏頂面で腕組みをしていたわたしにビビっていたのか、運転中の彼がわたしの顔色をチラチラと窺っていた。
「運転中はよそ見しないの! ――『どうかされました?』じゃないわよ。誰のせいで機嫌悪くなってると思ってるの?」
「僕……です……よね? ……あの、何か失礼なことでもしましたっけ?」
「今日、何の日だか忘れてるわけないわよね?」
わたしは彼の問いに答える代わりに、唸るようにそう質問返しをした。キャンキャン吠えられるより、こちらの方が怖かったらしく、彼の表情が一瞬強張った気がした。
でも、それは本当に一瞬のことで、彼はすぐにいつも見慣れた澄まし顔に戻った。
「もちろん、忘れてませんよ。忘れるわけないじゃないですか」
「…………」
あまりにも白々しいので、わたしはそのままジト目で彼を
「プレゼントは?」とわたしから催促するのも違う気がしたし、何より彼がそんな分かりやすいハッタリをかますような人だとも思えなかった。
そのまま彼はしばらく車を走らせていたけれど、彼が車を停めたのはわたしの家の門の前ではなく、家の近くにあるコンビニの駐車場だった。
「……あれ? ねえ貢、ここウチの前じゃないけど――」
彼がなぜこの場所に駐車したのか、何か意味があるのか。わたしは困惑していた。
ちなみに補足だけれど、わたしが彼のことを「貢」と呼び始めたのは、この少し前のことである。ただし、プライベートだけだ。
「――絢乃さん。遅くなってすみませんが、十八歳のお誕生日おめでとうございます」
「え……。あ……、ありがと」
彼はそう言って、運転席の足元に隠してあった淡いピンク色の紙袋をわたしに差し出した。大きさは確か、B5サイズくらいだったと思う。
「これ……、もしかして」
「はい。もちろん、絢乃さんのお誕生日プレゼントです。ちゃんと用意してあったでしょう? 僕のこと、信用してらっしゃらなかったんですね」
「うん……、ゴメン」
大好きな彼のことを、わたしはどうして信じていなかったんだろう? わたしはこの時、自分を心の中で激しく
「でも、どうしてもっと早くくれなかったの? 貴方がここまで焦らさなきゃ、わたしもこんなに不安にならなかったのに」
「焦らしてたわけじゃないんです。僕たちの関係って、社内じゃ秘密になってるじゃないですか。ですから、朝のうちにお渡ししたら、他の社員に感づかれるんじゃないかと思いまして……。特に、
「……確かに」
わたしは納得した。秘書室のお姉さまがたは噂話が大好物だ。守秘義務が要求される部署なのにそれはどうなのかと思うけれど、彼がプレゼントの紙袋を持って社内をウロウロしていたら、「それ誰の?」とあれこれ詮索されるのは目に見えていた。
「で、どうせお渡しするならサプライズがいいかな……と思いまして。ちょうどいい場所が、ここくらいしかなかったもので。ムードがなくてすみません」
彼のサービス精神に、わたしはまたキュンとなった。ムードなんてなくたって、彼が知恵を絞ってわたしを喜ばせようとしてくれただけで、もう十分嬉しかった。
わたしはゆるゆると首を横に振り、改めて彼に心からの感謝を伝えた。
「ううん! 凝ったシチュエーションなんていらないのよ。ありがとう! ――ねぇ、開けていい?」
「もちろんです。どうぞ」
彼は一体、わたしのためにどんなものを選んでくれたのだろう? ――わたしはドキドキしながら紙袋の
すると、中から出てきたのは一体の可愛いテディベアと、長さ十五センチくらいの細長い箱だった。
テディベアは茶色で毛並みがモフモフしていて、首に巻かれた赤いリボンがすごくキュート。そして細長い箱の方は、パールピンクの包装紙でラッピングされていて、ブルーのリボンがかけられていた。
わたしがその包装紙まで破かないように慎重に剥がすと、白いベルベット生地のケースが姿を現した。そこに収められていたのは……。
「わぁ……、ネックレスだ。ステキ……」
プラチナのチェーンにゴールドの小さなハート形のトップがついた、シンプルなデザインのネックレスだった。アクセサリーなんて男性から贈られたことが一度もなかったわたしは、それをうっとりと眺めていた。
「それ、兄から『物選びのセンスがめちゃめちゃ悪い』って言われた僕が、自分のセンスだけで一生懸命選ばせて頂いたんです。お気に召して頂けましたか?」
「うん、すっごく気に入った! っていうか悠さん、貴方にそんなこと言ってたのね。
おそるおそる感想を訊ねてきた彼にわたしは頷き、彼のお兄さまの毒舌には苦笑いした。
兄弟だから遠慮もヘッタクレもないのかもしれないけれど、それにしたってそのコメントは辛口すぎやしないだろうか?
というか、あの日の夕方給湯室で悠さんから電話がかかってきた後、彼がその内容についてお茶を濁していたのは、どうやらこのことだったらしい。
「いいんです。確かに僕、過去に恋人へのプレゼント選びで大失敗して、彼女にドン引きされたことがあったので。言われても仕方ないんです……」
ついでにそんなカミングアウトまでして、彼が肩をすくめた。彼がどんなものを選んだのか分からなかったけれど、そこはわたしも知りたくなかったので、あえて追い討ちをかけるのはやめてあげておいた。
その代わりに、そんな彼を励まそうと思い、わたしは彼にこんなお願いをしてみた。
「……あっ、そうだ! ねえ貢、これ、貴方が着けてくれない?」
「えっ? 僕が……ですか?」
「うん。イヤ……かしら? これってパワハラになっちゃうかな?」
わたしは、彼がどうしてもイヤだと言えば無理強いするつもりはなかったのだけれど。
「いえ、やらせて頂きます。……絢乃さん、後ろ向いて頂いていいですか?」