キスの答え ⑤
「――さて、桐島さん。そろそろ話してくれないかしら? 貴方が昨日、わたしにキスしたホントの理由を」
わたしは自分のデスクに戻ると、彼をデスクの前に呼んだ。それも、デスクを挟んだ向こう側、ではなくわたしが座っているOAチェアーのすぐ側に。
「……それは、昨日もお話ししたはずですが。ただ魔が差しただけというか、血迷ったというか……」
「それは聞いたわ。もちろん、それもウソじゃないと思うけど、わたしはホントの理由が知りたいの。貴方の本心が聞きたいのよ」
「それは…………」
彼はたじろぎながらも、まだごまかそうとしていた。でも、わたしはこの時すでに、彼のわたしへの想いを知っていた。悠さんが話して下さったから。
「何を聞いても怒らないし、幻滅もしないし、もちろん貴方を解雇するつもりなんて毛頭ないから。そこは安心して話してくれない?」
「…………兄から、何かお聞きになったんですか?」
「……いいから、話してごらんなさいってば」
痛いところを衝かれたわたしは若干うろたえつつも、彼に答えを催促した。
そのまま数秒の沈黙があり、彼はやっとのことで口を開いた。
「――では、お話ししますが……。実は僕、初めてあなたに出会ったあのパーティーの夜から、絢乃さんのことが好きなんです。『幻滅しない』とおっしゃったので、思い切って白状しますけど、絢乃さんが高校生だとは知らずに一目惚れしてしまったんです。その後、加奈子さんからあなたが高校生だと知らされて、成人男性が女子高生を好きになるのって倫理的にどうなのか……とか、ちょっと考えもしましたけど。一度芽生えてしまった『好きだ』という気持ちだけはどうしようもなくて」
わたしは口を挟まず、彼の告白を聞いていた。
本当に一流のトップというのは、聞き上手でなければならない。――これもまた、今は亡き父の教えだったのだ。
そして、彼の話を聞いていて思った。大人の男性が女子高生に恋をしてしまったことを、彼は「倫理的にどうなのか」と理屈で考えたらしい。
でも、「恋は理屈じゃないんだよ」と里歩は言っていた。こういうところも真面目な彼らしいのかな、と思った。
「その後にお父さまがあんなことになられて……、正直、あなたの弱みにつけ込もうという気持ちもあったように思います。ですが、あなたは気丈に振る舞われていて、『ああ、この
わたしはあの夜から、確かに彼に好意を抱き始めていた。だからこそ、家の前まで送ってくれた彼と別れる時に後ろ髪を引かれる思いがして、別れが名残り惜しくて連絡先を交換しようと思い立ったのだけれど、それは彼にとって迷惑なことなのではないかと、実は悩んでもいた。
でも、それはわたしの思い過ごしだったのだ。彼もまた、わたしに恋をしたことに罪悪感のようなものを覚えていたのだ。
だから連絡先の交換に快く応じてくれたし、父が病に倒れて帰らぬ人になるまでの間も、父が亡くなった後も、わたしのことを献身的に支えてくれていたのだ。
「絢乃さんのお力になろうと思ったのは、僕をパワハラから救って下さったご恩をお返ししたいという気持ちからでもありました」
「……恩返し?」
「はい。秘書室への異動を決めたのは、そのためでもあったんです。あなたが会長を就任された時に、僕がいちばん近い場所であなたの支えになりたいと。ですが、あくまで仕事上はボスと秘書という関係なので、仕事中は恋愛感情を持ち込まないつもりだったんですけど」
「……けど?」
わたしが首を傾げると、彼は顔を赤らめながら、正直にすべて白状した。
「……その……、助手席でのあなたの寝顔があまりにも可愛かったので、つい我を忘れてしまって。もちろん、本当に絢乃さんのことが好きでキスしたんですけど、我に返ってからはもう、あなたに嫌われたらどうしようかとか、クビにされてしまうんじゃないかとかそんなことばかり考えてしまって」
わたしは思わず笑い出してしまった。思いっきりバカ正直に、上司とはいえ八歳も年下のわたしに自分の弱い部分までさらけ出してしまう彼は、本当に愛すべき人だと。
彼の気持ちがハッキリと分かった以上、今度はわたしの番。告白しようと決めるのに、もう何の
「……絢乃さん? 僕、何かおかしなこと言いました?」
「ううん、そうじゃないの。ありがとう、話してくれて。貴方の気持ち、すごく嬉しいわ。貴方が悩んでくれてたことも伝わったし、ホントに誠実な人なんだなぁって思った。……でもね、桐島さん。悩む必要なんてないのよ。わたしは貴方のこと、絶対にキライになったりしないから」
「え……、それって」
「わたしも、貴方のことが好きだから。初めて出会ったあの夜からずっと」
目を瞠った彼の顔をまっすぐ見据えて、わたしは言った。
「わたし、貴方が初恋なの。初めて好きになった
「……ありがとうございます。光栄です。あなたの初恋の相手に、僕を選んで頂けて」
「〝光栄〟だなんて、またオーバーな……」
彼のリアクションにわたしは呆れたけれど、本当は嬉しくて仕方がなかったので、自然と笑みがこぼれた。
「バレンタインデーのチョコ、すごく美味しかったです。あれって、絢乃さんの僕への愛情が込もってたからあんなに美味しかったんですね。今気づきました」
「……うん」
彼は当日のうちにも、「チョコ、美味しく頂きました」と連絡をくれたのだけれど。こうして本当の意味でのお礼を言ってもらえると、わたしも頑張って手作りした甲斐があったなぁと心がじんわり熱くなった。
「貴方はわたしがいちばんつらい時に、いつも心の支えでいてくれたよね。会長就任の挨拶の前も、今だってそうよ。貴方が秘書でいてくれて、どれだけ心強いか。……だから、わたしからもお願い。これからも、わたしのことを側で支えててほしいの。秘書としてだけじゃなくて、恋人として。……いいかしら?」
「はい! こちらこそ、よろしくお願いします!」
おずおずと彼の表情を窺うように言うと、彼は何の躊躇もなく、わたしの想いを受け入れてくれた。
わたしの彼への気持ちはもう
椅子から立ち上がると、背伸びをして自分から彼と唇を重ねていたのだ。
「……………………絢乃さん? 確かまだ、キスって二度目じゃありませんでしたっけ?」
ポカンとした彼はわたしにそう確かめたけれど、わたしは後悔なんてしていなかった。
「……初めてじゃないから、自分からしても大丈夫かなって思ったの」
「そのわりには、お顔が赤くてらっしゃいますけど?」
「…………悪い?」
わたしは少々バツが悪くなって、口を尖らせた。
本当はわたしも、それほど気持ちに余裕があったわけではなかった。キスだって、二度目くらいでは慣れるはずがない。だってわたしは、男性にまったく免疫がなかったのだ。
「いえ、悪くなんかないですよ。絢乃さんのそういう
「…………そう」
わたしはまた、彼のほんわかした笑顔にキュンとなった。「この人を好きになってよかった」と、心から思えた。
「――ねえ桐島さん。今までわたし、貴方に支えてもらってばかりだったね。だから、今度はわたしの番。これからは、わたしが貴方を守るからね!」
わたしは彼を自分から抱きしめて、そう宣言した。
部下を守るのは上司の務めだけれど、それだけじゃない。彼は本当は
「ありがとうございます、会長」
彼もまた、わたしをギュッと抱き返してくれた。