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キスの答え ②

「……それは、分かってますけど……」

 彼はまだぶうたれていた。そんな彼に向かってわたしが苦笑いしていると、受付と内線が繋がった。

「――あ、会長の篠沢です。お疲れさまです。あのね、もう少ししたら、秘書の桐島さんのお兄さまっていう方がお見えになるの。……ええ、そう。もうアポは頂いてるから、いらっしゃったら連絡お願い。よろしくね」

 受話器を戻すわたしに、彼はまだ何か言いたげだった。

「……なんか、職場に身内が来るのってちょっとイヤじゃないですか? 授業参観に親が来る……みたいで。別にイヤなわけじゃないんですけど、気まずいというか何というか」

 ……なるほど。彼がお兄さまに会社までいらしてほしくなかった理由はこれだったのかと、わたしにもやっと合点がいった。
 会社ではバリバリ仕事をこなす彼も、ご家族や身内が会社に来れば思わずプライベートな〝素〟の部分が出てしまうかもしれない。そういう面を、わたしには見せたくなかったのだろう。

「そういうものなの? わたしはいつもママと一緒に働いてるようなものだから、あんまりよく分かんないなぁ」

 わたしに限っていえば、母娘で一つの仕事内容を共有しているようなものだったから、会社でも思いっきり素の自分を出しまくっていた。それは母相手にだけではなく、彼に対してもそうだったから、別に見られてイヤだとか、そんな感情はなかったのだ。

「――はい、会長室です。……ええ、今お着きになったのね? 分かりました。じゃあ、今下りますね。ありがとう」

 再び一階受付からの内線電話が入り、悠さんの来社を告げた。

「じゃあわたし、お兄さまをお迎えに行ってくるから。桐島さん、ここでお留守番よろしくね」

「え゛っ!? 会長が行かれるんですか?」

「だってわたし、貴方のお兄さまに一度お会いしたかったんだもの。それに、貴方が行ったらお兄さまとケンカになるかもしれないでしょ?」

「…………うー……、まぁ。ハイ」

 わたしの指摘は図星だったらしい。答えに詰まる彼を尻目に、わたしはウキウキしながら会長室を後にした。

 エレベーターで一階まで下りると、ロビーに置かれているグリーンのソファーから、わたしの靴音に気づいたらしい一人の男性が立ち上がった。
 年齢は三十歳前後で、身長は彼より少し低いくらい。髪は茶色で、カーキ色のジャケットを着てはいるものの、デニムパンツを履いているせいかカジュアルな印象を受けた。

「――こんにちは! 桐島さんのお兄さま……でいらっしゃいますよね? 先ほどはご連絡有難うございます。わたし、〈篠沢グループ〉の会長の篠沢絢乃です」

「こんちは。桐島悠っす☆ おー、キミが絢乃ちゃんかぁ。アイツから話は聞いてたけど、思ってた以上に可愛いじゃん♪」

「どうも……。可愛いだなんて、そんな」

 悠さんは彼とは違ってちょっと軽薄というか、ある意味女性受けはしそうな感じの男性だと思った。だって、初対面のわたしにさえ、軽々しく「可愛い」なんて言っちゃうような人なんだもの。

「そういや、今日は学校の制服じゃないんだね。えっと、いま高二だっけ?」

「はい。今日から春休みに入ったので……。来月から高三です」

「そっか。うん、スーツ姿も大人っぽくていいよ。メイクもしてるから、そのせいかな」

「ありがとうございます。実は、貢さんからはまだ感想聞かせて頂いてないので、嬉しいです」

「……だろうな」

 わたしが思わずグチると、悠さんは事情を知っているようで、肩をすくめた。 

「実はオレね、そのこともあって今日来たのよ。昨日アイツがやらかしたことも聞いてる」

「……えっ? とおっしゃいますと……」

「昨日の夜、アイツから電話かかってきてさ。『兄貴、どうしよう!? 俺、会社クビになるかもしれない!』って。んで、理由訊いたらキミのファーストキス奪ったって白状してさぁ」

「…………はぁ。貢さん、そんなことまでお兄さまに話してたんですか……」

 わたしは穴があったら入りたくなった。というか、悠さんも会社でそんなことをあっけらかんと言わないでほしい。……今となってはもう時効だけれど。

「絢乃ちゃんは、アイツのことクビにする気ないんだろ? オレも『気にすんな』って言ったんだけどさぁ、アイツ頑固だから聞きゃしねえし。だからさ、まだ気まずさ引きずってんじゃねえかって思ったワケよ」

「……多分、それ当たってると思います。彼、今日は普段じゃあり得ない凡ミス連発してますから。……わたしもですけど」

 最後にわたしがボソッと呟くと、悠さんはまた「可愛い」と言って笑った。

「あの、そろそろ上に参りましょうか。会長室は最上階なんです。きっと今ごろ、貢さんがクシャミしてますよ」

「ああ、オレたちが噂してるから?」

「そうです」

 わたしと悠さんはエレベーターの中で、他愛もない会話をしていた。
 彼――ここでは悠さん――の話によれば、兄弟の仲はやっぱり悪くはないらしい。むしろ、仲がよすぎてケンカになるのだと、悠さんはおっしゃっていた。
 もしも不仲だったら、切羽詰まった時に自分の兄や姉に泣きついたりしないだろう(彼が実際に「泣きついた」かどうかは分からないけれど)。

「アイツが今日、絢乃ちゃんの服装とか褒められないのも、照れ臭いの半分不器用なの半分、ってとこじゃないのかな。アイツ、昔っからそうなんだよ。女心分かってねえっつうか、女の子の扱いが苦手っつうのか……。まあそういうことだからさ、絢乃ちゃんもあんま気にすんなよ。あんなヤツだけど、大事にしてやって」

「はい! ありがとうございます」

 さすがは二人きりの兄弟だけあって、彼は実弟の性格を熟知している。この時も、さりげなく弟である貢のことをフォローして下さっていた。いいお兄さまだ。

 悠さんはわたしが一人娘だと聞いたことで、家を継ぐことの大変さについても心を砕いて下さっていた。

「――絢乃ちゃん、後継ぎってやっぱ大変なモンなの? オレも長男だけど、ウチの親はそういうことあんましやいやい言わねぇからさ。言ってもサラリーマン家庭だし?」

「ええ、まぁ……。大変といえば大変ですね。それだけ重い責任が伴うわけですし……。でもわたしは、父の遺言だからというのもありましたけど、自分の意志で継いだっていう部分もありますから。そんなに大変だとは思ってませんよ」

「へえー……、そうなんだぁ。オレよりひと回りも年下なのに、めっちゃ尊敬するわー」

 わたしはここまで褒めちぎられると照れ臭くなり、「いえいえ、そんなことないです!」と謙遜で返した。

「悠さんだって、ステキな夢をお持ちじゃないですか。将来はご自分のお店を出したいって。わたし、貢さんからちゃんと伺ってますよ? ――あ、着きましたね」

 悠さんと話し込んでいるうちに、エレベーターは会長室のある三十四階に到着していた。
 その直前にわたしが言ったことについては、悠さんは「……サンキュ」とはにかみながらお礼を言ってくれた。

「――ここが会長室です。少々お待ちくださいね、今開けますから」

 わたしはIDカードをセンサーにかざして認証させ、ドアノブにてをかけた。

「へぇー……、スゲェな。ここのセキュリティ、めっちゃハイテクじゃん」

「そうでもないと思いますけど。このフロアーの部屋だけ、社内の人間のIDカードをスキャンしないと、ドアのロックが解除できないようになってるんです」

「なるほどねぇ。っていうか、中から開けてもらってもよかったんじゃね?」

「それは、何だか申し訳なくて……。今だって、貢さんには半ば強制的にお留守番してもらってるので……」

「絢乃ちゃん、それってヘタすりゃパワハラだよ?」

「ですよねぇ……。コンプライアンス的にアウトですよね」

 彼が冗談でそんなことを言ったので、わたしは苦笑いした。……実はわたし自身、ちょっと反省していたから。

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