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解体の時

明くる日、9月3日の朝9時から作業が始まった。

100平米(100㎡) 30.25坪 畳で計算すると64.57帖
広大な敷地を解体するのはなかなか時間がかかる作業だった。

「まずは積んできた0.25(コンマニーゴー)で解体作業がどれだけ進むかどうかだな。これだけ敷地が広いと急ピッチでと言われると流石に難しい。」

腕を組み、悩み始める鮫島の姿がそこにはあった。

そんな様子を見た女里谷《よめたに》は鮫島に語り掛ける。

「我々の出来る範囲内でやれることはやってみましょう。あと、近隣の住宅への解体作業が行う旨の挨拶と不在のお宅にはビラを配ってきました。」

女里谷の一言に鮫島は「ああ。そうだな。今日のうちに壊せられる範囲内のところを壊していくことが最優先だな。」と語ると、早速油圧ショベルを使い建物を崩していく作業が始まった。

自慢だったこの大豪邸があっという間に崩れていく。

午前中の段階で敷地の中間地点まで崩していくことが出来た時点でお昼休みに入ることにした。一行はお昼休みを取るため、持ってきたお弁当屋や買ってきたコンビニ弁当などを車の中で食べることにした。

そして1時間後に作業を開始すると、1日のうちに建物を解体していくことに成功した。あとは建物の残骸となる部分をダンプで運ぶ作業のみとなった。しかし、ある部分だけを残した状態で終えることになった。

それはぽっかりと地下へと繋がる階段の部分だった。

鮫島が女里谷に「昨日、家屋調査の話をした際に心霊現象が起こったことは話してくれたけど、この部屋の有無は話してくれなかったよな?」と聞くと、女里谷は「収納庫の奥がベニヤ板で覆われていたようで、この奥が隠された部屋になっていたようです。調べようとしましたが、入った瞬間にここだけが異様な空気に包まれていました。この部屋はきっと何かあると思い、調べることをためらいました。」と語ると、鮫島は「何言っているんだ!?そんなことを言っていたら仕事にならんだろ。女里谷と河村で調べられないなら俺がこの目で確認してくる。」と言い放つと、鮫島はスマートフォンの懐中電灯を頼りに、隠された地下室へと続く階段を下りていく。女里谷と河島も続けて階段下りると、さらにほかの作業員の戸田洋輔、佐藤友則、吉原大輝も続けて階段を下りていく。

古い扉をドアノブを握り、開けるとギーッという音がした。

「この部屋だけ、扉が真っ赤なのは何か意味があるのか?」

鮫島がそう思うと、入ろうとした瞬間に言葉を失った。

「・・・・・・!?」

鮫島がなかなか中に入ろうとしないので、女里谷が気になって声をかける。「鮫島さん、何かあったんですか?それが仕事だろって言ったのは鮫島さんじゃないんですか?」と聞くと、鮫島は「いいや、何でもない。」と語り中へと入っていく。河島と女里谷、戸田、佐藤、吉原も続けて入っていく。

すると、そこには普通の家にはないものがあった。

「祭壇に、お焼香をするための器具のみならず、おりんや木魚などがある。仏教道具のみならず、うんこれは、”悲願潤徳院信士”と書かれているが、これは位牌じゃないか!」

鮫島がそう語ると、女里谷もあるものを見つけた。

「鮫島さん、おかしいです。祭壇の真ん中に、遺影がありますよ。」

女里谷がそう話すと、吉原もあるものを発見した。

「鮫島さん、もうここは事情を知る人に確認するしかないですよ。僕こんな壁に大量の”悪霊退散”や”南無阿弥陀仏”と書かれた御札が貼り付けられた部屋なんか見た事がありません。」と言い出して周囲の壁をスマートフォンの懐中電灯を照らし始めるとその場にいた全員が凍り付いて何も言えなくなってしまった。

佐藤が鮫島に「もうこれ以上詮索するのはやめましょう。かつてこの地で無理心中事件を起こしこの地に住む人々などを呪い続けた、あの潤一郎を弔っているのかもしれませんよ。詳しいことは依頼人の反町さんに聞くことにして、僕たちは引き上げましょうよ。」と強く説得するが、鮫島は「いや。他に何か反町さんに位牌や遺影のみならずお返しをしなければいけないものがあるのなら、それもお渡ししなければいけない。」と言い出すと、祭壇の中を調べ始めた。

中には生前の潤一郎が写っているアルバムから、潤一郎が書き残したノートまで綺麗に保管がされてあった。その中にある設計図だけが目に留まった。

”未来の食糧対策”

そう記されてあった設計図には、電気をエネルギー源として食物を育てるというプランが記されてあった。その設計図の右端には、ペンで走り書きをしたであろうある記述が残されてあった。

「悪魔と取引したい。」

鮫島が読み上げると、周りはさらに凍り付いた。

佐藤は鮫島に「もうやめましょう。明日反町さんに連絡をして、これらの遺品を引き取ってもらうようにお願いをしましょう。」と話すと、鮫島の後ろでふと何者かがいるようなガサガサと物音がした。

鮫島は佐藤に「佐藤、俺の後ろにゴキブリでもいるのか?」と聞くと、佐藤は「鮫島課長、振り向かないでください!あっ、あれが・・・あれが・・・!」といって言葉を失いたちずさむ。その様子を見た鮫島が、「何だよ!どうして教えてくれないんだよ!」といって振り返るとそこには、般若のお面のような形相で睨み付け、切腹自殺を図った傷跡が生々しく残る、何者かがそこにはいた。

鮫島が悲鳴を上げると同時に、その何者かは鮫島の右腕を掴むと勢いよく壁の方向へと突き飛ばした。後ろにいた佐藤を巻き込むような形で二人は壁際まで行くと、頭を強く打ち、壁にもたれかかるような形で座り込むと、何者かは容赦はしなかった。

2人の前まで近づくと、まずは鮫島の首を右腕で掴むと、もう片方の左腕で佐藤の首を掴み、一気に首を絞め始めた。二人が悶絶する姿を見た吉原や戸田、そして河村の3人が「やばい!潤一郎がお目覚めだ!急いで逃げなければいけない!!」となって一目散に部屋を後にすると、女里谷は「二人を見殺しにすることはできない!助ける!!」といって近づくと、女里谷は何者かの近くまで辿り着くと、「やめろ!!」と大声で叫ぶと、何者かは女里谷のほうへと振り返る。そして女里谷の首を右腕で掴み始めると、左腕で掴み始め、壁へと打ち付けると、その状態で只管首を絞められ続けた。

苦しさあまりに意識が飛んでいきそうになった。

そんな時に、鮫島の声が聞こえた。

「おい!化け物!俺の可愛い後輩に手を出すな!」

鮫島の怒鳴り声に、何者かは反応を示すとすぐ鮫島に近づき、両腕で首を掴み持ち上げて首を絞め始めた。

鮫島の悶絶する姿を佐藤は恐怖のあまりに動けなくなり、更には小便を漏らした後、脱糞してしまう。そんな様子に女里谷が見かねて、「佐藤手を貸すから立ち上がれ。お前は逃げろ、俺は鮫島課長と一緒に戻る。」と話すと、鮫島は苦しみながら「俺のことはいいから、お前らだけでも逃げろ!」と必死になって話すと女里谷はそんな鮫島の姿を見て、小声で「ごめんなさい、ごめんなさい。」と言ってその場を後にすることしか出来なかった。

2人は階段を駆け上がり、何とか地上まで戻って来れた。

女里谷が佐藤に声をかける。

「何だか臭うな、臭い。」

女里谷がそう話すと佐藤は恥ずかしそうに「さっき俺鮫島課長が襲われているのを間近で見て、怖さあまりに漏らしてしまったんだよ。すぐにでもパンツを履き替えたいからコンビニまで走らせてくれないか?」と言われたので、女里谷は渋々「しょうがないなあ。ったく。」といって二人で現場を後にした。

家に帰った女里谷は家のパソコンで”染澤潤一郎”とYahoo!で検索をすると、日本各地で起きた殺人事件を伝える”日本殺人犯歴史記録”というWEBサイトに事件の詳細が記載されてあった。

「あの遺影のロイド眼鏡の人に違いない。」
そう確信した女里谷は記事の概要を読み始めた。

「染澤潤一郎 Junichiro Somezawa 1940年5月27日生まれ嬉野市出身 太平洋戦争に赴いた父親の一俊を戦死した後、遺族金を使い果たしてまで不動産への投資を続けた母セツの功績もあって国立の伊万里大学の経済学部に進学すると、武雄市内にある闐闐《どんど》設備会社に就職、技術職として覚えることを必死にノートに綴って覚えたり等をして、先輩社員から教えてもらい学んだことなど覚えることに関してだけは誰よりも優れた才能を持っていた。頭の良さだけは従業員の中でもトップクラスだったそうだ。その後、取引先だった松本金属加工の事務員として勤める内藤豊子と職場でお見合いをするような形で入籍をすると、豊子との入籍を機に会社を退社して独立し1965年7月21日にソメザワ・マテリアルを設立した。常に最先端の技術を売りに研究の末に産みだした商品は、どれも画期的で魅力的な商品ばかりだった。1970年の大阪万博の開催と同時に開発した商品が評価され知名度が上昇していくと、会社の売り上げも次第に伸ばしていく。しかし頭がいいだけの染澤に営業マンとしてのスキルはなかった。無論そんな潤一郎には社長として必要なカリスマ性も無ければ、商才すら掛け合わせていなかった。従業員は多い時は15名ほどはいたが、頭が賢いだけが売りの社長に誰もついていけず有望な人間はそんな社長に失望して出ていったのが殆ど、残る従業員で何とかやってはいくも、営業マンとしての実力も無ければ交渉上手だったとも言えない潤一郎の営業では、離れていくのが殆どだった。次第に”万博のパビリオンの一画として出店しましただけが取り柄”になっていくと、時代はやがて潤一郎が開発したことすら忘れられていくようになっていくと、たちまち経営は赤字続きになり、ついには従業員のリストラを実行するようになった。しかしそれでも赤字を補填することが出来ずに、1974年の7月21日の事だった。もう借金をしなければいけなくなるぐらい経営は貧しくなった。だが潤一郎は借金をしてまでというプライドがあり、それだけは許せなかった。精神的にも肉体的にも追い詰められた末、彼は社長として死ぬ道を選んだ。7月23日の23時過ぎに自宅内の台所にあった果物ナイフを手に取ると、就寝中だった妻の豊子をメッタ刺しにして殺害後、隣で眠る次男の靖典君の口を口封じした末にメッタ刺しで殺害、さらに同様の手口で長男の宏親君、三男の智紀君を殺害した後、潤一郎は風呂場で自分の腹部を凶器の果物ナイフで切腹し自害した。ナイフで切っても死にきれなかったのだろうか、潤一郎はさらにナイフをさらに腹部の奥深くまでえぐるように刺し、自分の意識が無くなるまで刺し続けた。享年34歳。」

染澤潤一郎。

殺しまでしておいて死後祟るなんて、凶悪の中の凶悪そのものだな。しかし仮にもし殺されたと考えても、死んでから呪殺を繰り返し行うのも果たしてどうだろうかというのもふと気になった。

「あの世には刑法もなければ、検察や警察のような取り締まる機関はない。”悪霊になったせいです”とわかればそれだけで無罪の世界なのか。実際にあの世に行って見ないと分からないことでもあるから想像の域だけにしか過ぎないね。」

そう思いながら寝ることにした。

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