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ハイツドラブの伝説

 風が強い。
 何をそんなに張り切っているのだろう。
 今日が大晦日だからだろうか。
 空は曇っていて、今年一番の寒さかもしれない。
 今年も、もうすぐ終わりか。
 今年も忙しかった。
 ソウモウ商事での仕事は海外出張ばかりだった。
 まあ、充実はしていた。
 でも、ロマンスはなかった。
 社内恋愛もなかった。
 かわいい女子社員はいるけど、そういう子たちにはやっぱりステディーがいるもんだ。
 奪えばいい。昔、そんなことを得意げに言っていた人がいたけどさ。
 俺にはとても無理だ。
 この東京砂漠で美女と出会って、ロマンスが始まる。
 そんな奇跡が起きてもいいのに。
 だって、今日は大晦日だから。
 特別な日には特別な出来事が起きるもんだ。
 いや、起きるはずもないか。
 自嘲気味に笑いながら、自分が住んでいるマンションへと歩いていく。
 ハイツドラブ。
 全国的にも有名なマンションだ。
 このマンションで一緒に住んだカップルや夫婦は永遠に幸せになれる、という伝説があるらしい。
 一体、誰が言い出したのやら。
 ときメモが好きな連中が適当に言っているだけのような気もする。
 鼻で笑いながら、エントランスの通路を歩いていく。
 エレベーターが見えてきた、その時だった。
 背の高い女がエレベーターの前に立っていた。
 長い髪が背中まで伸びている。
 黒いフォーマルスーツ姿は、いかにもOLという風貌だ。
 スカートから伸びた足がこれまた綺麗じゃないか。
 なんだかムラムラしてきた。
 それにしても、背が高いな。
 身長は俺と同じくらいだろうか。
 年は二十代くらいだろうか。
 まあ、いいか。あの子とのロマンスでいいや。
 なんて冗談を心の中で言いながら、彼女の背中へ近づいていく。
 いや、別にナンパをするためじゃない。
 エレベーターに乗って、自分の部屋へ帰るためだ。
 彼女の真後ろに立った時、彼女が振り返った。
 目が合った瞬間、お互いに固まった。
 5秒くらいだったろうか。
 しばらくの間、二人とも無言で見つめ合っていた。
「えっ?」
「えっ?」
 やっとのことで口を開いたかと思うと、お互いに同じ言葉を口にした。
「古内、さん……?」
「そうだよ。梶浦君、だよね?」
「うん、そうだけどさ。えっ? 古内さん?」
「うん。それ、さっき聞いたよ」
「あっ、そうか……」
 呆然としながら、俺は頷く。
 そう。この子のことを俺は知っている。
 古内眞衣。
 創蒙高校の頃、同級生だった女子だ。
 一年から三年まで同じクラスだった。
 なんか、でかい女がいると思ったら、高校の同級生だったとは。
「えっ? すぐ分かった?」
「うん。なんか美人がいるなと思ったらさ。古内さんだったよ」
「もーう、そういうとこ、変わってないね」
 古内さんは満更でもなさそうに微笑む。
 そんな話をしている間に、エレベーターが到着した。
「あっ、梶浦君。来たよ」 
「うん」
 エレベーターの扉が開く。
 箱には誰も乗っていなかった。
 鏡の中に、木村拓哉に似ているイケメン男と新内眞衣に似ている美人が映っていたけどさ。
 それは俺と古内さんだった。
 俺も古内さんもエレベーターへ乗り込む。
「梶浦君、何号室?」
「51号室だよ」
「あっ、51号室なんだ。イチローさんと一緒だね」
「そうそう。何かと縁があるみたい」
「私も同じ階だよ」
「えっ? そうなの?」
「うん。まさか、同じマンションでさあ。同じ階に住んでたとはねえ」
「うん。今まで、よく会わなかったね」
「そうだよー。あー、びっくりした」
 古内さんはボタンを押すと、右手をうちわ換わりに顔を扇ぐ。
 なんだ。顔が赤くなっているのか。
 いや、そうでもないな。暑いだけか。
「梶浦君、仕事は何してるの?」
「サラリーマンだよ。ソウモウ商事で働いてるんだけどさ」
「あっ、ソウモウ商事か」
「うん。念願叶って、エリートサラリーマンだよ。古内さんは?」
「私もね、フツーにOLだよ。トレントトレンディなんだけどさ」
「あっ、トレントトレンディ?!」
「うん。今ね、絶好調なんだよ」
「知ってるよ。最近さ、ラジオ局の株を買い占めたってさ。ニュースで言ってたね」
「うん。筆頭株主になったんだよ」
「そっか。いやあ、黒いフォーマルスーツを着てたからさ。もしかして、不幸があったのかなと思ったけどさあ」
「不幸はないよ。毎日、楽しいよ」
「そっか。今日で仕事納め?」
「うん。三が日は休みだよ。梶浦君は?」
「俺も同じだよ。四日から仕事」
 エレベーターが止まって、扉が開いた。
 扉の向こうには、これまた誰もいなかった。
 俺達はエレベーターを出て、通路を歩いていく。
 二人分の足音が暗闇の中で響く。
 このまま、お互いの部屋へ帰るのもなんだろう。
 ここは一つ、繋がりを作っておかなければ。
「あのさ、古内さん」
「えっ? 何?」
 古内さんが歩きながら振り返る。
「俺、けっこうおっちょこちょいだからさ。うっかり、肉じゃがとか、作りすぎるかもしれないからさ」
「ああ、梶浦君、確かに意外と天然だもんね」
「うん。だからさ、もし作り過ぎたらさ。持っていってもいいかな?」
「あー、うん。いいんじゃない?」
「えっ? いいの?」
「うん。私、肉じゃが、けっこう好きだからさ」
「そっか。じゃあ、もしうっかり作り過ぎたらさ。持っていくよ」
「うん。じゃあね」
 古内さんが立ち止まり、手を振る。
「うん。またね」
 俺達は手を振り合って、お互いの部屋へと入っていった。
 ふう、まさか、同級生の女子が同じマンションに住んでいたとは。
 これじゃあ、うっかりオナニーもできないな。
 でも、これは千載一遇のチャンスじゃないか。
 いよいよ、ロマンスが始まるのか。頑張ろう。

 暇だ。
 大晦日くらい、ゆっくりしてもいいんだけどな。
 三が日は休みだし。
 常に何かしていないと落ち着かない。
 そんな忙しない人間になってしまった。
 いっそのこと、仙人のように生きてみたいものだ。
 まあ、無難にテレビでも見るか。
 何気なくテレビを付けてみると、紅白歌合戦を放送していた。
 そうだよな。今日、大晦日だもんな。
 大晦日といえば、紅白歌合戦だよな。
 そんなことも忘れる程、仕事漬けのビジネスマンになってしまったか。
 乃木坂46がテレビの中で歌っていた。
 小室哲哉プロデュースのルート246だ。
 紅組だからシンプルに赤いドレスふうの衣装だった。
 CDが売ってないなと思ったら、配信限定シングルだった。
 どうりで売っていないはずだ。
「飛鳥、髪が長いなあ……」
 乃木坂も、もう長いな。まさか、こんなに売れるとは思わなかった。
 時間は、あっという間に過ぎていった。
 あーあ、古内さんと見たかったな。
 まあ、いいか。来年は古内さんと同じ部屋で紅白を見られたらいいな。
 さてと、カウントダウンではしゃぐ年でもないし。
 大人しく寝て、新年を迎えるとするか。

 1月1日。
 新しい年の始まりだ。
 年が明けたからといって、急に何かが変わるわけでもないけどさ。
 節目があるっていうのは、なんだかいいもんだ。
 気持ちも新たに一年、頑張ろう。
 そんな気分になれる。
 さてと、今日は何をしようか。
 新春初笑いみたいな、お笑い番組でも見ようか。
 それとも、本でも読もうか。
 いや、寝正月を過ごすのも悪くない。
「いやいや、肉じゃがだよ!」
 独りで首を横に振りながら、自分にツッコミを入れた。
 そうだった。俺には、やるべきことがある。
 肉じゃがを作り過ぎないと。
 食材はあったはず。早速、取り掛かろう。

 右手の人差し指が震えている。
 インターフォンを鳴らすだけじゃないか。
 中学生じゃあるまいし。
 この程度のことで緊張していてどうする。
 頑張れ、俺。もう二十代なんだし。
 やっとの思いでインターフォンを鳴らした。
 ぴんぽーんという音が鳴った。
 ぴんとぽーんの間に間があるタイプのインターフォンだった。
「はーい。あっ、梶浦君」
 古内さんの声がインターフォンの向こうから聞こえてきた。
「あの……あっ、あけましておめでとう」
「あけましておめでとう。今年もよろしくね、梶浦君」
「うん。こちらこそ。あのさ……」
「ん? 何?」
「肉じゃがさ、作りすぎちゃってさ……」
「もーう、だから言ったじゃん」
「いや、ついうっかりね。もし良かったらさ。食べてくれないかな?」
「うん、食べる食べる。今、開けるね」
 足音がドアの向こうから近づいてきた。
 程なくして、ドアが開く。
「はい。入って」
「うん。お邪魔します」
 古内さんはキッチンで俺が作りすぎた肉じゃがを食べていた。
「どう?」
「おいしいよ。さすが梶浦君だね」 
「まあね。昔から料理が好きでさあ」
「ああ、そういえば、そうだったね。調理実習でさ、やたらと張り切ってたでしょ?」
「ああ、そんなこともあったね」
「いやあ、久しぶりにさあ。ご飯らしいご飯を食べたよ」
「いつもは晩飯、何を食べてるの?」
「いつもはね、コンビニ弁当が多いかな」
「ああ、コンビニ弁当ね。でも、コンビニ弁当ばっかりだと飽きるでしょ?」
「うん。でもさ、たまに食べるとさ、すごいおいしく感じるよ」
「ああ、それは分かる。あるよね」
「今はさ、無性に食べたくなるもの、なんなの?」
「今でもね、やっぱりチャーハンだよ」
「ああ、やっぱりチャーハンなんだ」
「うん。俺のチャーハンとスヌおへの愛情は変わってないよ」
「そうだよ。今度さ、スヌーピーくんも連れてきてよ」
「ああ、そうだね」
「今は部屋にいるの?」
「うん。机の上に座ってるよ」
「そっか。洗ってる?」
「うん。年に数回くらいはね」
「もっと洗ってあげなよ」
「いや、仕事が忙しくてさ」
「そうだよねえ。梶浦君、エリートサラリーマンだもんね」
「うん。今年も忙しくなりそうだよ」
「月並みな質問だけどさ。今年の目標は何?」
「そうだな。やっぱり、フランス語の上達かな」
「えっ? フランス語?」
「うん。フランスの出張も増えてきてるからさ」
「へえ、そうなんだ。おフランスに出張してるんだ」
「あっはっはっ、スネオみたいな言い方だね。ちなみに、古内さんの目標は?」
「うーん、そうだね。仕事を頑張るっていうのもあるけどさ。恋愛を頑張りたいなあ」
「へえ、恋愛か。相手、いるの?」
「うん。好きな人はいるよ」
「えっ? いるんだ。どんな人?」
「高校時代のね、同級生」
「へえ、奇遇だね。実はさ、俺も今、恋をしてるんだ」
「えっ? そうなの?」
「うん。実はね」
「えー、誰?」
「いや、今はまだ……秘密」
「そっか。秘密なんだ」
「ちなみにさ、古内さん、ステディはいるの?」
「えー、いないよ」
「えっ? いないの?」
「うん。いたらさあ。さすがに梶浦君、あげないよ」
「ああ、そうだよね。いくら同級生でもね」
「うん。そういう梶浦君は?」
「俺もソロだよ」
「あっ、じゃあ、同じだね」
「あっ、そうだ。古内さん、知ってる?」
「えっ? 何が?」
「つよぽん、結婚したんだって」
「ああ、知ってるよ。NHKのさ、ニュースで言ってたよ」
「あっ、同じだね。俺もそれで見たんだ」
「ねえ、梶浦君。もしかしてさ……」
「えっ? 何?」
「そっちにさ、話を持っていこうとしてない?」
「えっ? そっちって?」
「いや、分かるでしょ。けで始まるさ」
「ああ……」
 古内さんが何を言いたいのか、やっと分かった。
 完全に無意識だった。意味もなく、連想しただけだったのに。
 深い意味なんてないのに。
「いや、そういうわけじゃないよ。ちょっと、思い出したからさ。話の種にと思ってさ」
「あっ、そうなんだ。NHKっていえばさ。紅白、見た?」
「見た見た。なんか、次々と新しい人が出てくるね」
「うん。ニジューとかさ。分かる?」
「うん。名前くらいは分かるよ。やっと名前を覚えた頃だよ」
「ああいうグループがさ、みんな同じ顔に見えるようになったらさ。おじさんなんだってさ」
「ああ、それ、よく聞くよね。でも、乃木坂は分かるよ」
「あっ、そうだよ。梶浦君、今でも乃木坂推しなの?」
「もちろんだよ」
「今の推しメンは誰なの?」
「箱推しだよ」
「あっ、やっぱり箱推しなんだ」
 話は尽きなかった。
 俺が持ってきた肉じゃがはとっくの昔になくなっていたけど、俺達はいつまでも喋っていたんだ。
 来年は眞衣と二人で紅白を見られたらいいな。
 俺は、そう思ったけどさ。
 その言葉は心の中に仕舞っておいたんだ。


 1月2日。
 今日も暇だ。
 貴重な休みだからな。
 ぼーっとしながら過ごすか。
 いや、それとも、また古内さんの部屋へ遊びに行こうか。
 いやいや、そんなに頻繁に行ったら駄目だろう。
 もう少し、間隔をあけた方がいいと思う。
 なんてことを考えていると、インターフォンが鳴った。
 まさか、古内さんか?
 その、まさかだった。
 ドアの向こうに立っていたのは古内さんだった。
「ああ、古内さん。どうしたの?」
「なんかさ、お風呂が壊れたような気がするんだよね」
「えっ? お風呂が壊れたような気がするの?」
「うん。だからさ、もし良かったらさ。梶浦君のお風呂、貸してくれたらうれしいんだけどさ」
「ああ、お風呂ね……」
 壊れたような気がする、か。
 たぶん、ちゃんと確かめれば壊れてはいないだろう。
 でも、そんなことはどうでもいい。
 こんな千載一遇のチャンスを逃しては男が廃るってもんだ。
「うん。いいよ。上がってよ」
「あっ、ほんとー? ありがとー」
 声を弾ませながら、古内さんは玄関に上がりこむ。
「古内さん、先に入ってよ」
「えっ? いいの?」
「うん。いいよ」
 俺は迷うことなく頷く。
 ちんげとか浮いてたら困るし。
「じゃあ、お言葉に甘えて」
 微笑みを残すと、古内さんは風呂場へ向かった。
 ソファーに座っていても、なんだか落ち着かない。
 今、古内さんは風呂に入っているのか。
 当然ながら裸なわけだ。
 まったく、中学生じゃあるまいし。
 いちいち舞い上がってどうする。眞衣だけに。
「ふう……」
 貧乏揺すりをしながら待っていると、古内さんが風呂から上がってきた。
 白いバスタオルを首に巻いていた。
「ああ、おかえり」
「ただいま。いい湯だったよ」
「そっか。それは良かったね……」
「あっ、ドライヤーってどこ?」
「ああ、持ってくるよ……」
 リビングを出て、自分の部屋へ向かう。
 自分の部屋っていってもな。独り暮らしだからさ。
 全部、自分の部屋なんだけどさ。
「はい」
「あっ、ありがとう」
 ドライヤーを差し出すと、古内さんはにっこりと微笑みながら受け取った。
「じゃあ、入ってくるよ……」
「うん」
 湯船に浸かっていても、なんだか落ち着かない。
 お背中、流しましょうか。
 そんなイベントが待っているのだろうか。
 あの扉ががらがらと開くのだろうか。
 白いバスタオルを巻いた古内さんが入ってくるのだろうか。
 ほんの少しだけ期待しながら待っていたけど、さすがにそんなイベントは起きなかった。
 まあ、そうだよな。ゲームじゃアルマジロ。
 家に来ただけでも十分じゃないか。
 これが脈ありじゃなかったら、何が脈ありなんだよ。
 頑張るぞ、俺。ハイツドラブの伝説を信じよう。
 湯から上がって髪を乾かした俺は、リビングのソファーで古内さんと肩を並べていた。
「ちょっとさ、話してから帰ってもいいかな?」
「うん。別に……いいけど……」
「色々あったよねえ、高校生の頃さあ」
 古内さんは懐かしそうな顔でリビングの天井を見上げる。
 両手を膝の間で合わせながら。
「うん。まあ、それなりに青春してたっけ」
 俺も頷きながら、天井へ顔を向ける。
「高校の頃のことさ、どれくらい覚えてる?」
「けっこう覚えてるよ」
「何が真っ先に浮かぶ?」
「うーん、合唱コンクールかな。二年生の時、優勝したから」
「あー、あったね。みんな、泣いてたもんねえ」
「うん。古内さんもかなり泣いてたでしょ?」
「えー、私そんなに泣いてたっけ?」
「うん。生粋のラビニアンなのかと思うくらい、目が真っ赤だったよ」
「でもさ、梶浦君も泣いてたでしょ?」
「まあ、目頭が熱くなった程度だけどね」
「思いっきり泣けばよかったのに」
「いやあ、男が泣くのはさ。かっこう悪いみたいな風潮、あるし」
「古いよ。今は、そういう時代じゃないでしょ」
「うん。まあね」
 へらへらと笑いながら、俺は頭を掻く。
「ところでさ、私のことは? 覚えてる?」 
「うん。だいぶ覚えてるよ」
「あっ、だいぶなんだ」
「うん。一年の自己紹介の時からね」

「古内眞衣です。よろしくお願いします」
 それが古内さんの自己紹介だった。
 至ってフツーだった。
 背が高いな。
 やっぱり、それが第一印象だった。
 OLっぽい外見だから、OLが似合いそうだな。
 そんなことも思ったっけ。

 初めて古内さんと喋ったのは、確かこの日だった。
 教室に入っていくと、古内さんの姿があった。
 自分の席に座って、俯きながら髪を弄っていた。
「あっ、古内さん、おはよう」
 俺が声を掛けると、古内さんは髪を弄るのをやめて振り返った。
「おはよう、梶浦君」
「あっ、名前、覚えてたんだ」
「うん。まあね」
「古内さんってさ、なんかスポーツやってたの?」
「うん。私ね、バドミントンやってたんだ」
「あっ、バドミントンなんだ」
 背の高さ、関係なかったな。バスケでも、バレーでもなく、バドミントンだったとは。
「ん? どうしたの?」
「いや、バスケとかバレーなのかなと思ってさ」
「あー、確かにねえ。身長が高いから?」
「うん。勝手にどっちかなのかと思ってただけだよ」
「うん。でもね、バトミントンなんだ。梶浦君、やったことある?」
「いや、ないね。あれ、難しそうだね」
「うん。けっこう難しいよ」
「あのシャトルって不規則な回転しそうだし」
「うん。まあ、丸くないからね。梶浦君はスポーツやってるの?」
「うん。野球とサッカーはやってたよ」
「あっ、そうなんだ。部活?」
「うん。中学は野球部だったよ。あと、小学校の頃は少年野球のチームに入ってたんだ」
「あー、じゃあ、野球の方が本格的にやってた感じ?」
「うん。まあ、そうかな」
「おはヨーグルト! りんご味!」
 なんて無難にスポーツの話をしていると、百合が教室に飛び込んできた。
「び、びっくりしたあ……」
「もーう、梶浦君。私が登校してきただけやんか」
 百合は、この日もにこにこ笑いながら自分の席へと歩いていた。
 そうだった。そういえば、まだこの頃は梶浦君と呼んでいたっけ。
「しかしさ、二人とも背が高いよね。どっちが高いの?」
「えー、たぶん私かな?」
「うん。眞衣ちゃんの方が高いと思うで」

 二年生の時は、こんなことがあった。
「しくしく36、しくしく36……」
 俺はこの日、中庭のベンチに腰掛けながら独り泣いていた。
 そう。俺がエデンと呼んでいた、あの場所だ。
「梶浦君、どうしたの?」
 涙も枯れ果てた頃、古内さんが現れた。
 俺は泣き腫らした目で古内さんを見上げていた。
「いや、フラれたんだ……」
「フラれた? 野田ちゃんに?」 
「うん。今日、告白したんだけどさ。島に、すいとう男の子がおるけん。やけん、ごめんなさいって……」
「そっかあ。残念だったね。よしよし」
 古内さんは俺の頭を撫でる真似をしてくれた。
 まあ、付き合ってたわけじゃないからな。
 真似だけでも十分だろう。
「古内さん、どうしよう……」
「どうしようって何が?」
「俺、このままじゃさ、創蒙の桜木花道って呼ばれるよ……」
「大丈夫だよ。梶浦君、バスケットマンじゃないでしょ?」
「うん。そうだけどさ……」
「バスケ、やったことある?」
「そりゃあ、体育の授業でならやったことあるけどさ。本格的にやったことはないよ」
「そうなんだ。じゃあ、大丈夫だよ」

 三年生の卒業式の日には、こんなことがあった。
 俺達は校舎の前で肩を並べながら、綺麗な青空を見上げていた。
「いやあ、古内さん。卒業だよ」
「うん。あっという間だったね」
「古内さんはラピティス大学だっけ?」
「そうだよ。梶浦君は創蒙大学だよね?」
「そうだよ。お互いさ、キャンパスライフをレッツエンジョイしようね」
「うん。私さ、夢があるんだよね」
「へえ、どんな?」
「バイトして、お金を貯めてさ。海外旅行に行きたいんだよね」
「おっ、いいね。一カ国目は、どこに行くの?」
「うーん、そうだね。やっぱり、ヨーロッパかなあ」
「ヨーロッパって言っても広いよ。俺の庭もヨーロッパだし」
「あっ、そうだよね。まあ、フランスとかイタリアかなあ」
「おっ、いいね。ワインとパスタだね」
「梶浦君はさ、海外旅行に行くとしたら、どこに行きたい?」
「俺、寒いのが苦手だからさ。南の島がいいなあ」
「おっ、いいね。ハワイとか?」
「うん。あと、グラムとか。ニューカレドニアとか」
「でもさ、梶浦君、オーロラが好きなんでしょ?」
「そうなんだよね。神様も意地悪だよね。寒いとこでしか見られないなんてさあ」
 そんなふうにして、俺達の三年間は過ぎていった。
 徐々に話す機会は増えていったけどさ。
 俺と古内さんの仲を表す言葉は、あくまでもクラスメイトだったと思う。

 思い出話に花を咲かせまくっている間に、時間は過ぎていった。
 古内さんがそろそろ帰ると言い出したので、俺は玄関で見送っていた。
「今日はほんと、ありがとうね」
「いや、別に」
「じゃあね。おやすみ」
 古内さんが手を振る。
「おやすみ」
 俺も手を振り返す。
 古内さんが踵を返して帰っていく。
 俺は、そっとドアを閉める。
 一息ついた時、気がついた。
 そういえば、スヌおちゃんの出番がなかったな。
 今度、連れてきてって言ってたんだけどな。
 よし、今度はスヌおちゃんを連れて遊びに行くか。

「スヌーピーだよお!」
 うちの犬は右前足と左前足を挙げながら、白い体を揺らしていた。
 1月3日。
 とうとう、スヌおちゃんの出番が巡ってきたというわけだよお!
「あー、スヌーピーくん、久しぶりだねー!」
 古内さんが両手を振りながら微笑む。
「じゃあ、お邪魔するぞ」
「うん。上がって上がって」
 俺とスヌーピーは玄関に上がる。
 靴を脱いでいると、スヌーピーが勝手に喋り始めた。
「ところでな、飼い主と結婚してやってくれ」
「えっ?」
「だめか?」
「ちょっと、スヌーピーくん。いきなり何、言ってんの?」
「まあ、考えておいてくれよ」
「うん。そうだね」
「今日の俺、どうだ?」
「うん、いいんじゃない。鼻は塗ってもらったの?」
「うん。黒いマッキーでな、塗ってもらったんだよ」
「良かったね。洗ってもらった?」
「うん。この間な、ビーズぶろに入れてもらったよお!」
「やっぱり? 真っ白だもんね」
 さすがに真っ白は誉めすぎだろう。
 スヌおはイヤーシーズン入りまくりだから。
「ほらほら、入ってよ」
 古内さんが手招きをして急かす。
「うん。お邪魔します」
「お邪魔するよお!」
「そうだ、梶浦君。お昼ごはんはまだ?」
 玄関で靴を脱いでいると、古内さんがそんな質問をしてきた。
「うん。まだだけど」
「じゃあさ、うちで食べてかない?」
「えっ? いいの?」
「うん。きのうのさ、お風呂のお礼だよ」
「うん。じゃあ、お言葉に甘えようかな」
「何を食べたい?」
「じゃあ、チャーハンで」
「あっ、やっぱりチャーハンね。スヌーピーくんはドッグフードでいい?」
「うん。トップブリーダー推奨のやつか?」
「うん。トップブリーダー推奨のやつだよ」
「食べるよお!」
 スヌーピーは右前足と左前足を揺らしながら喜ぶ。
 もちろん、ぬいぐるみだからドッグフードは食べない。
 古内さんもドッグフードは持ってないだろう。
 テーブルの上に古内さん特製チャーハンが乗っていた。
 黄金チャーハンだ。
 米と卵が乳化しまくっているのは一目で分かる。
「じゃあ、いただきます」
 手を合わせてから、俺はれんげを握る。
 チャーハンをすくって口へ運ぶ。
「どう?」
「旨い!」
「ほんと?」
「うん。中国四千年の歴史がひっくり返ったよ」
「大袈裟だよー。せいぜい、二千年だよ」
 51号室に帰った俺はベッドの上で大の字になりながら、ぼんやりと見慣れた天井を見上げていた。
 結局、三が日は古内さんと過ごしまくったな。
 明日から仕事か。
 これからは今のようにはいかなくなるけどな。
 土日のどっちかには遊びに行こうかな。
 あんまり毎日毎日、行くと古内さんも困るだろうからさ。

 1月4日。
 今日から仕事始めだ。
 今年は、どれくらい世界を飛び回るのだろう。
 まあ、仕事があるのはいいことだ。
 何十年も前から不景気と言っているけど、ソウモウ商事の業績は右肩ライジングだし。
「おはよう!」
 朝の挨拶をしながら入っていったけど、まだ誰も出社していなかった。
 なんだ。やる気がないな。いや、俺が早く来すぎたのか。
 まあ、いいか。コーヒーでも飲みながら寛ごう。
「ふっふふーん♪」
 デスクの前で鼻歌を歌っていると、足音が聞こえた。
 回転椅子の上で振り返る。
 松岡が出社してきたところだった。
 入社当初は男子高校生がコスプレしてるみたいだったけどさ。
 今では割とスーツが似合っている。
 ネクタイも上手く選べるに違いない。
「えっ?」
「松岡、新年早々どうしたんだ?」
「どうしたは、こっちの台詞ですよ。先輩、今、鼻歌を歌ってましたよね?」
「ああ、歌ってたな」
「何か、いいことでもあったんですか?」
「まあな」
 ルフィみたいに、俺はにかっと笑う。
 松岡に無邪気系男子アピールをしても、しょうがないけどな。
「俺、生まれて初めて見ましたよ。機嫌がいい時に鼻歌を歌ってる人」
「そうか? 機嫌がいい時っていうのは鼻歌を歌ったり、スキップをしたりするもんだろ?」
「鼻歌はともかく、スキップをしてる人なんて見たことないですけどね……」
「でも、昔のコマーシャルであっただろ? ほら、サントリーの」
「えっ? なんですか、それ?」
「ウイスキーのコマーシャルだったかな。知らないか?」
「ええ、知りませんけど……」
「そうか。ジャネギャだな」
「それより、先輩。教えてくださいよ。いいことってなんですか?」
「聞いて驚けよ。彼女ができるかもしれないんだよ」
「えっ? 先輩に彼女が、ですか?」
「ああ、同じマンションに住んでたってことがさ、大晦日に分かったんだよ。しかもさ、高校の同級生だぞ」
「えっ? 高校の同級生が同じマンションに住んでたんですか?」
「うん、そうだぞ」
「なんで今まで気がつかなかったんですか?」
「そんなこと言われてもな。会わなかっただけだし」
「へえ、そんなドラマみたいなこともあるんですね」
「うん。俺もびっくりしたよ」
「先輩、何かしたんですか? 食事に誘ったとか」
「いや、外での食事はまだだけどな。肉じゃがを持っていったんだよ」
「肉じゃがを? 女の人の部屋まで、ですか?」
「うん、そうだぞ」
「へえ、先輩、けっこう大胆なことしますね」
「いやいや、彼女の方が大胆だぞ。だってな、お風呂を借りに来たんだから」
「えっ? お風呂を?」
「うん。なんかさ、お風呂が壊れたような気がしたって言ってたんだよ」
「それ、絶対に壊れてないじゃないですか」
「うん。壊れてないだろうけどな。まあ、そこは俺もあれだよ」
「ああ、察したわけですね」
「そうそう」
「それで、まさか、お風呂のあとで……」
「いやいや、そこまではいってないよ」
「あっ、そうなんですか。なーんだ」
「当たり前だろ。そこまでいったら、もう彼女じゃないか」
「はっはっはっ、それもそうですよね。でも、そろそろデートに誘ってみたらどうですか?」
「そうだな。無難にご飯とかでいいかな?」
「いいんじゃないですか。とりあえず、喫茶店でご飯を食べるとか。まずは、それくらいからでいいんじゃないですか」
「よし、じゃあ今度、誘ってみるよ」
「頑張ってくださいね、先輩。俺、応援してますから」
「うん。頑張るよ」

 今日も仕事が忙しかった。
 書類の作成に明け暮れて、気がついたら五時を過ぎていた。
 エクセルよりも古内さんと一緒にいたいなと思う、今日この頃だ。
 神様が気を利かせてくれたのだろうか。
 古内さんがエレベーターの前に立っていた。
 そういえば、大晦日に会った時もこんな状況だったなと思い出す。
「古内さん!」
「あっ、梶浦君」
 手を挙げながら呼びかけると、古内さんが振り返った。
 俺は足早に古内さんへ近づいていく。
「仕事、どう? 忙しい?」
「うん。けっこう忙しいよ。梶浦君は?」
「俺も忙しいよ。今日、書類を作りまくってさあ」
「あっ、来たよ」
 エレベーターが開いて、俺と古内さんは一緒に乗り込む。
 古内さんがボタンを押すと、エレベーターのドアが閉まった。
 さてと、これは絶好のチャンスだ。
 早速、デートに誘おうじゃないか。
「今度さ、どこか行こうか?」
「おっ、いいね。映画でも行く?」
 古内さんが振り返って微笑む。
 映画か。まあ、映画でもいいか。 
「映画か。いいね。ソウモウシネマで観ようか?」
「うん。梶浦君、何を観たい?」
「やっぱり、君と焼き芋を食べたい、かな」
「ああ、あれ、流行ってるよね」
「うん。すごい気になってるんだよね」
「いつ空いてる?」
「もちろん、土日は空いてるよ」
「あっ、ソウモウ商事って休日出勤とかないの?」
「うん。ないよ。ホワイト企業だから」
「へえ、そうなんだ」
「トレントトレンディは?」
「トレントトレンディもね、基本的にないよ」
「じゃあ、土日なら大丈夫?」
「うん。今週の日曜日にしようか?」
「うん。一時くらいでいい?」
「うん。一時になったらさ。ぴんぽーんって呼びに行くからさ」
 古内さん、やけに積極的だな。自分から呼びに来てくれるのか。
 これは、いけるかもしれないぞ。

 日曜日の昼下がり、俺と古内さんはソウモウシネマの前に立っていた。
「うわあ、懐かしいねえ」
「うん。ソウモウシネマも変わってないね」
「えー、もしかしてさ、看板も変わってないかな?」 
「映画の看板は変わってるよ」
「そうだよねえ。ずっと同じ映画は上映してないよね」
 君と焼き芋を食べたい。
 今、話題のアニメ映画だ。
 焼き芋が大好きな女子高生、志賀葵が魔女に呪いをかけらてしまう。
 焼き芋を食べたら死んでしまうという呪いをかけられてしまうのだ。
 主人公の男子高校生がその呪いを解くために頑張る。
 この映画は、そんなお話だ。
 期待通りの名作だった。
 ラッドウインプスふうの音楽が流れる中、物語は大団円を迎えたのだった。
 映画の後は喫茶店だろということで、俺達は喫茶店へとやってきた。
 俺はコーヒーを、眞衣はカプチーノを飲みながら、のんびりと話をしていた。
「梶浦君さあ、次はどんな映画を観たい?」
「次? 次はね、やっぱり……」
「やっぱり?」
「俺と眞衣のラブストリーが観たいな」
「えっ? 梶浦君と私のラブストーリー?」
「うん。どうかな?」
「そうだね。それ、私も見たいかも」
「じゃあさ、付き合おうか?」
「うん。付き合おう」

 2月。
 今日は俺の誕生日だ。
「そうだ、先輩。今日、誕生日ですよね?」
「そうだぞ。よく覚えてたな」
「もちろんですよ。おめでとうございます」
「ああ、ありがとう」
「あっ、別にプレゼントとかはありませんよ」
「いいよ、別に期待してないし。野郎同士だしなあ」
「そういえば、先輩。古内さんでしたっけ? あの子とは、どうなったんですか?」
「いやあ、順調だぞ」
「部屋の行き来は、まだしてるんですか?」
「まあな。俺が行く時もあるし、向こうが来る時もあるし」
「じゃあ、時間の問題じゃないですか。早く結婚してくださいよ」
「お前が早まってどうするんだよ。まずは交際からだろ」
「あっ、それもそうですよね。ところで、先輩。せっかくだから、学生時代の誕生日の話でも聞かせてくださいよ」
「お前なあ、そんなことを語り始めたら日が暮れるぞ」
 俺は腕組みをしながら鼻を鳴らす。
「えっ? そんなに色々あったんですか?」
「そりゃあなあ。学校中の女子からプレゼントを貰ってだな。奈々なんか、大胆にも俺に抱きついてきて。それから……」
「それ、先輩の妄想ですよね?」
「おっ、よく分かったな」
「分かりますよ。先輩がそんなにモテるわけありませんよ」
「ぐぬぬぬぬ……分かってるけど、お前に言われると無性に腹が立つな……」

 フォークを刺して、イチゴをすくう。
 口へ運んで、いちごを噛む。
 おいしい。イチゴのショートケーキの味がする。
 うーん、これが俺の誕生日か。
 まあ、こんなもんだろう。
 部屋で独りケーキを食べるのも悪くないだろ。
「古内運輸でーす!」
 溜め息を零していると、チャイムが鳴った。
 しかも、眞衣の声が聞こえてくるではないか。
 古内運輸?
 そんな名前の会社は存在しないはずだけどな。
 ドアを開けると、古内さんが立っていた。
 しかも、大きなダンボールを抱えながら。
「えっ? 何それ?」
「プレゼントだよ。今日、誕生日でしょ?」
 至極当然の質問をすると、うれしい答えが返ってきた。
「あっ、覚えてたんだ」
「もちろんだよ。ここ、置いとくね」
 古内さんは腰を屈めると玄関にダンボールを置いた。
「うん。あの、開けてもいいかな?」
「もちろんだよ。ダメって言うの、乙姫様くらいだよ」
「はっはっはっ、そうだよね」
 床に膝を着いて、ガムテープを剥がしていく。
 ダンボールを開けると、将棋盤が入っていた。
 高いやつだ。プロが対局で使ってそうな、本格的なやつだ。
「あっ、将棋盤ね……」
「うん。梶浦君、本格的な将棋盤、持ってなんでしょ?」
「うん。いや、これはうれしいな。ちょうど、欲しかったからさ」
「これで修行してさ。もっともっと強くなってよ」
「うん。俺、強くなるよ。どんなソフトにも負けないから」
「ところでさ、そのうち結婚しようか?」
「うん。そうだね」

 俺の部屋に、眞衣がいた。
 今日は大晦日。
 俺達は大晦日の風物詩、紅白歌合戦をテレビで見ていた。
「今年も乃木坂、出てるね」
「うん。もう常連だね」
「飛鳥、髪が長いなあ」
「うん。ずっとロングだよね」
「いや、そういや、映像研には手を出すなの時はショートだったよ」
「ああ、そういえば、そうだったね。役作りでね」
「私が短くしたら、どうせ子どもみたいって言われる、って、のぎおびでぼやいてたよ」
「へえ、詳しいね」
 古内眞衣は今では梶浦眞衣。
 俺の妻だ。
 このマンションで一緒に住んだカップルや夫婦は永遠に幸せになれる。
 ハイツドラブの伝説は本当だったんだ。



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