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第四十一話『分かたれた絆、繋ぐ親子の思い』

 博物館の中は閑散としていて、外のようにマスコットがうろついてもいなかった。入ってすぐの展示スペースには古めかしい家電や風景写真など、回収されず残った物品が間隔を開けて置かれていた。
 「レンタ、こっちよ」
 女神は俺の肩から跳び、博物館の中を案内してくれた。

 たどり着いた場所は大型の展示物を置ける構造の部屋だ。経年劣化のせいか天井からは雪解け水が垂れ、床は水浸しとなっている。そしてその中心には、白く光り輝く木が一本存在感を放って生えていた。
 「これが……異界の門?」
 渦のような形状をイメージをしていたこともあり、俺はあっけに取られて見つめた。辺りには木から溢れた光の粒子が、まるで雪のようにフワフワと舞っている。

 「……この先に、あの世界があるのか」
 脳裏に浮かぶのは、異世界で過ごした短くも長い日々だ。勇者として必死に敵を倒し、その途中でエリシャと出会った。新たにできた仲間と共に更なる強敵と戦い、ついには魔王を討つまでいった。
 異世界での生活は間違いなく充実していて、俺にとってかけがえのない思い出だ。だけどそこに戻りたいかと言われれば、それは違うと迷わず言えた。

 どうやら俺は自分で思っていた以上に、この日本という国が好きだったようだ。いや正確に言うならば、改めて好きになったというところだろうか。
 エリシャやルインが帰りたいと言ったら俺はどう答えるべきか。二人も俺と同じように、本心では故郷への想いが絶対にある。もしこの世界を好きだと思ってくれるなら、これからも日本に来て良かったと思ってくれるように努力しようと決めた。
 「……それじゃあな異世界。そっちもまぁ、それなりに楽しかったよ」
 こうして俺は、もう二度と行くことはないであろう世界と決別した。
 
 女神の手伝いでもしようかと歩きだしたところで、俺は隣の部屋から音楽が流れていることに気づいた。導かれるようにして扉を開くと、そこはたくさんの写真が壁に貼りつけられた何かの展示室となっていた。
 案内の表札には『思い出コーナー』と書かれており、足元に落ちていた写真には賑わう遊園地で楽し気に笑うカップルの姿が映されていた。他にもこの遊園地の閉園についての思いが書かれた寄せ書きなど、たくさんの感情が部屋には満ちていた。

 「…………」
 言葉にできぬ切なさを感じ、俺はただ立ち尽くしていた。そして微かな静寂の後、部屋の隅からまた着信音が聞こえてきた。
 置いてあったスマホを手に取ってみると、画面には『お父さん』と着信相手の名が表示されていた。
 (このスマホは、あの子のか)
 電話に出たところで話すことはない。俺は通話ボタンを押すことなくスマホを元の場所に置こうとした。そしてしゃがんで姿勢を低くしたところで、壁の一角に貼られたいくつかの写真が目に入ってきた。
 
 そこには仲睦まじい親子が映っており、優しそうな父親と母親に挟まれるようにして、眼鏡をかけた五・六歳ぐらいの黒髪の女の子がちょこんと立っていた。その子の笑顔は無邪気で愛らしく、どことなく記憶が戻る前のルインの姿が頭に浮かぶようだった。
 俺はその家族がミクルの一家であると気づき、ここにスマホを置いていった意味も察した。きっとこれは彼女なりの決別で、親に対するあてつけなのだろうと。

 他の写真も見ていくと、温かった家族の表情がある時を境に暗くなった。次第に写真にはミクルと片方の親しか映っておらず、最後はついにミクルだけとなっていた。
 残された思い出の数々を見て、俺は心に強い衝撃を感じた。それは一つの家族が歩んでしまった結末であり、俺たちですら無関係ではなかったからだ。

 もしルインがいなくなった日に捜索を諦めていれば、ルインは俺たちの手の届かない場所へと行ってしまった。
 立場や状況は違くても、すれ違いによってミクルは家族から離れていきそうになっている。ほんの歯車がズレただけで、一つの繋がりが終わろうとしている。とても他人事とは思えなかった。
 改めてその事実を実感した時、俺はミクルの親が今何を考えているのか知りたくなった。

 (……にしても、俺の母親に始まってルインからの助けときた。まったく、つくづく電話には縁があるな)
 そんなことを考えていると、スマホの着信が再び鳴った。画面に映るのはさっきと同じ父親のもので、俺は一瞬の迷いの後に通話ボタンを押した。

 『――――っ! ミクル! ミクルなのか!』
 スマホの向こう側からは、娘の安否を心配する父親の声が聞こえた。次に出てきたのは恐らく母親で、どちらも必死にミクルの名を呼び続けていた。
 『……私たちが間違っていたんだ。もうお前を独りになんかしない。だからどうか……、せめて声だけでも聴かせてくれ……!』
 『ミクルちゃんが帰ってきた時のために、好物だったチーズケーキも買ってあるのよ。また前みたいに……、皆でお話ししながら食べましょう』
 母親は喋っている途中で泣き出してしまい、父親がなだめているのが聞こえてきた。

 一度は自分たちで断ち切った絆を、二人は取り戻そうとしていた。きっと彼らなりに間違いを認め、また家族に戻るという選択を決めたのだろう。
 顔を合わせて話をしたわけではないが、俺は彼らの言葉を信じようと決めた。そしてスマホを耳元まで持っていき、ただ一言だけ思いを込めて告げた。
 「――――娘さんは必ず助けます」
 返答を待たずに通話を切り、俺は振り返らず女神の元を目指した。

 異界の門から魔力を補充したからか、いつの間にか女神の身体は大きくなっていた。妖精状態の手のひらサイズから今は中学生ぐらいの背丈で、神々しい力を溢れさせていた。
 女神は大きくなった翼を羽ばたかせ、ぐっと身体を伸ばして俺を見た。
 「レンタ、こっちはそろそろ始められるわ。そっちは大丈夫?」
 「えぇ、問題ありません」
 「じゃあ異界の門を封じる術式を展開するから、少しだけ待ってなさい」
 女神は足元に光り輝く魔法陣を展開し、異界の門に細工を施し始めた。護衛ついでに見守っていると、外から今まで一番激しい戦闘音が響いてきた。

 エリシャとルインの安否を気にして落ち着かない俺を見て、女神は仕方がないといった様子でため息をついた。
 「ここにいてもしょうがないでしょうし、今からあんたに与えるだけの加護を授けるわ。大切な二人を守るために、ここぞというところで使いなさい」
 「助かります。色々と力を貸して下さって、本当にありがとうございます」
 「これはあなたをアルヴァリエの戦いに巻き込んでしまった恩返しでもあるんだから当然よ。…………さぁ、手を出しなさい」
 女神の言う通り手を差し出し、二人で添えるような握手をした。すると手を通して強い力が流れ込んでくるのを感じ、俺はより強力な加護を得ることができた。

 俺は急いで部屋の出口へと向かい、一度立ち止まって女神に声を掛けた。
 「――――元勇者として、役目を果たしてきます。女神様も、どうかご無事で」
 「さっさと行って、ちゃっちゃとこの面倒な騒動を止めてきなさい」
 「はい、必ず!」
 背を向けたまま手を振る女神を横目で見送り、俺は博物館を出て広場を目指した。二人が無事であることを祈り、戦いの中心地へと無心で走り続けた。

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