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第二十二話『これからの話とルインからのプレゼント』

 俺と竹田先輩は飲み屋の外に移動し、店の壁に背を預けて話をした。最初の話題は今の会社を続けるかというもので、俺は頭の中にあった答えをもう一度深く考えた。
 このまま同系列の職場で働く場合、二人と過ごす時間は少なくなってしまう。ならば多少給料が下がっても、自由に使える時間が多い仕事を改めて探したかった。
 「……その新しい職場って、やっぱり残業は長いですかね?」
 「まぁ短くはないそうだな。あくまで横のつながりがあるだけで同じ会社ではねぇから、要望を出して残業が少ない課に移動するってのは難しそうだ」
 「先輩はどうするんですか?」
 「俺はもう三十台だからな。今更新しい仕事も見つからんだろし、提示された職場に行って働くだけよ。めんどくせぇが仕方ねぇ」
 そう言い、先輩はタバコをくわえたままフゥと白い煙を吐いた。わずかな間だが会話が止まり、静かな夜の静寂が俺たちの間に流れた。

 俺は自分の意思と今の話を深く考え、これからどうするのかを決めた。
 「思うところはありますが、今の仕事は辞めることにします」
 「……そうか、まぁそうなるか。仕方がないところはあるが残念だ。まったく、若い者は色々と決められて羨ましいもんだ」
 「先輩と俺って、さほど年齢は離れていませんよ?」
 「ばーか、三十台と二十台じゃ全然別だ。お前もあと少しすれば分かる」
 先輩はどこか吹っ切れたようで、固さのない笑みを俺に見せてくれた。

 その後、俺たちはここ数日の近況を軽く話し合った。参考にしたかったので育児についてのアドバイスもいくつか聞いてみた。どれも俺にとっては為になるものばかりだったが、先輩は「鵜呑みにするなよ」と忠告してきた。
 「俺も凪も、手探りでやっている状態だからな。教育方針でぶつかることも多いし、子どもごとの性格もある。いくら悩んで実践しても正解が分からん」
 「そんなもんですかね。……正直に言うと、俺はまだルインとの距離感を測りかねているところがあります」
 異世界に帰還する方法が無い以上、きちんと面倒は見て行くつもりだ。だが親子になれるかというと、これは正直難しい問題だった。それはきっとエリシャも同じで、俺たち三人の関係はどこか一つになりきれていない部分があった。

 「……ルインは良い子です。あの子の希望なら俺は叶えてやりたい。だけどこんな簡単に誰かの親になっていいものかと思うんです。そう考えるのは、俺が未熟だからなんでしょうね」
 「そうさなぁ……。煉太の場合は本当にいきなりだから、すぐに気持ちを切り替えろってのは無理な話だ。ただまぁ、今の話を聞いて俺は安心したぞ」
 先輩はタバコを口から外し、煙をはぁと虚空に吐いた。そして短くなったタバコを灰皿に押し当て、夜空を見上げたまま話を続けた。
 「確かに今のお前たちは家族じゃないのかもしれない。だけどお前は目を背けず、ちゃんと悩んで接してる。それは、そうそうできることじゃない」
 「……それしか選択肢がなかっただけですよ」
 「だとしてもだ。例え未熟でも真面目で親身なお前だからこそ、あの子はあんなにも懐いているんじゃないのか?」
 言葉を失う俺に、竹田先輩はこう続けた。

 「いいか、レンタ。人は間違う生き物だ。何もかも正しい道を選べるなんて奴は、きっと誰一人としていない。皆何かしらの後悔を経て、今という時間を生きてる」
 「…………」
 「だから俺たちに必要なのは、間違いの先で何を選択し実行するかだ。……くっせぇセリフだと思うけどな、俺はずっとそう考えてきたんだ」
 先輩の語ってくれた言葉は、俺の心をぐっと掴んだ。確かに立ち向かうことばかりを恐れていては、いつまでも人は前に進むことができない。
 「まぁそれでも悩むことがあれば、人生の先輩として助言してやるからよ。お互い子連れの身として、これからも頑張って行こうぜ」
 「はい。改めて、今日は誘っていただきありがとうございます」
 きっとこれからも、竹田家との関りは続いていくだろう。それはとても頼もしく、心にあった不安が晴れるようだ。そしていつかは、俺が先輩の力になろうと心に決めた。

 そうして飲み会が終わり、俺たちは店の前で竹田家の皆と別れた。
 エリシャはお酒を通して先輩の奥さんと仲良くなったそうで、電話番号を書いたメモをもらっていた。当然スマホなど持っていないので電話を掛けることはないのだが、明確なつながりができたことをエリシャは喜んでいた。
 「……スマホというのは、私でも購入できるのでしょうか?」
 「うーん、身分証とか必要だろうから難しいだろうな」
 「あちらから来ている以上、そこは永遠の課題になりそうですね」
 何か良い方法がないか考え歩いていると、ルインが俺とエリシャの服の袖をクイと引っ張った。振り向くとルインの手には、いびつな形をした折り鶴が二羽あった。

 「これって、俺たちにプレゼントしてくれるのか?」
 「うん、さっきマサトにおしえてもらって、いっしょにつくってたの。ルインいつもパパとママにいろんなものをもらってばかりだから……って」
 「そのお返しってわけか、ならありがたくいただくとするか」
 「ありがとう、ルイン。帰ったら私にも作り方を教えてくださいね」
 二人で感謝して受け取ると、ルインはえへへと照れ笑いした。俺はさらに感謝を伝えるため、一度しゃがんでルインを肩車してあげた。そして三人で夜道を歩きながら談笑し、明日の代々木家との交流も楽しみだと話し合った。
 「…………パパ、ママ。ルインいいこにするから、ずっといっしょにいてね」
 ルインが何か呟いたので聞いてみたが、「なんでもない」と首を横に振るうだけだった。
 
 アパートの敷地へ着くと、俺は駐車場に見慣れた車を見つけた。それはジープ系のゴツイ車で、ドギツイ金髪がトレードマークの夏沢拓郎の物だ。
 恐らくは、連絡もなく俺の部屋に遊びに来たというところだろう。この状況を見られるとかなり面倒なことになりそうなので、俺は二人に隠れてもらうか考えた。
 「……レンタ? どうしましたか?」
 急に辺りをキョロキョロと見回したからか、エリシャが不安そうにしていた。そして行動を起こす間もなく、カンカンと音を鳴らし階段から拓郎が降りてきた。

 「よう、煉太。暇だったし飲みに……あ?」
 拓郎は信じられないものを見るかのように目を瞬かせ、俺とエリシャと頭上のルインを見ていた。そして自分の目をゴシゴシとこすり、ポカンとした声で話しかけてきた。
 「お前、煉太だよな。その二人はいったい……?」
 「すまんな、拓郎。俺にも彼女って奴ができてしまったんだ」
 誤魔化すのもおかしいので、ここはあえて素直に答えた。すると拓郎はさらに目をゴシゴシとこすり、恐ろしいものでも見るかのように数歩後ずさりした。
 「うっ、裏切り者! おっ、俺は信じねぇからな!」
 俺も拓郎も大学時代にそういう相手はいなかった。あの時の虚しさを共有する身として、『裏切り者』と呼ばれるのも理解できなくはない。だがこれが現実だ。

 よほどショックだったのか、拓郎はしばらく顔を俯かせ沈黙した。そして大丈夫かと声を掛けようとしたところで、突然叫び声を上げながら駆け出した。
 「ちくしょう! 今に見てろ! 俺もすぐに彼女作ってやるからなぁ‼」
 「あっ、おい!」
 俺の制止も聞かず、駐車していた車にも乗らず、拓郎は夜の闇へと消えていった。そのあまりの行動の早さに、俺たちはその背中を呆然と見送るしかなかった。

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