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同期の彼


時計の針は12時55分を指している。

午後は新規開拓に行こうと決めていた。そのあとは――。

「――佐山。お前こんなところにいたのかよ」

背後で声がして振り返るとそこにいたは同期の流川だった。

180センチ近い長身の彼が私の隣に並ぶと威圧感が半端じゃない。

「流川こそなんでこんなところに?」

「なんでって、お前今日の14時に一緒に広川コーポレーションに行く予定だったろ」

「……あっ!そうだった!!うわぁ……すっかり忘れてた」

午前中バタバタしていて午後の予定をチェックしはぐっていた。

流川に呼び止められずに新規開拓に出向いていたら大変なことになっていた。

「流川に助けられちゃったね。ありがと」

お礼を言うと、流川は私から視線を外した。

「バカ。スケジュールぐらい把握しておけよ」

「……確かに把握してなかった私が悪いけど、バカまでいう必要ないよね?」

「バカにバカって言ってなんか悪いかよ?」

「あのさぁ、流川って私にだけなんか言い方きついよね。なんで?」

黒髪のウエーブヘアに眼鏡。すらっとした長身にスーツ。イケメン眼鏡スーツ男子として社内での人気は半端じゃない。

私にはこうやって意地悪なことを言うけれど、他の女子社員にはすこぶる親切で優しかったりするから本当にムカつく男だ。

そしてさらに私をイラつかせるのはこの男が私より格段に仕事ができるからだ。

仕事の速さも正確さも丁寧さも群を抜いている。頭一つどころの騒ぎではなく私が彼に追いつくことすら想像がつかない。

同期だからこその埋められない差に悔しさが沸き上がる。

「なんでって言いやすいから」

「……はい?」

「お前に言うみたいに他の女性社員に言ったら泣くじゃん。俺、メソメソ泣く女って無理なんだよ」

「え。じゃあ、私がメソメソ泣けばキツイこと言わないってこと?」

「いや、言う」

「なにそれ」

「だって、佐山泣かないじゃん」

「あのねぇ、アンタは私をいったい何だと思ってんのよ。私だって泣くことぐらいあるからね!?」

「へぇ。そうなんだ?じゃあ、泣いたら俺に連絡しろよ」

「なんでよ」

「お前の泣き顔見にいってやるよ」

な、なにそれ!!このクソドS男め!!

「……ハァ!?嫌です。なんでアンタに私が弱みを見せないといけないのよ。絶対に嫌です!!」

「はいはい。そんなバカみたいに興奮すんなよ」

「うるさい!!」

怒っている私なんてお構いなしに流川は終始余裕そうな表情を浮かべていた。

「話うまくまとまってよかったね!!」

「だな」

「ここまでの大型案件取れたの初めてかも!!やったね、流川!!」

広川コーポレーションを出る頃には外は薄暗くなっていた。

流川が練り上げた企画書は完璧で先方も脱帽していた。

正直、私があのレベルの物を仕上げられる自信はない。相手の質問にもさらさらと迷うことなく説明できていたことから相当勉強してきたことがうかがえる

「広川の社長がうちの社長と知り合いらしいし、そういうのもあったんじゃねぇの?」

「な!せっかく契約取れたんだからそこは喜ぼうよ!!」

確かにそんな噂が部署内で流れたこともあったけど、それはそれ、これはこれだ。

流川はムカつく。口も悪くて嫌な奴だ。でも、仕事はできる。とにかくできる。

それだけは尊敬しているし、仕事に対する真っ直ぐな姿勢も学ぶべきことが多い。

「このまま会社戻るか?」

「あー……、そうだね」

そう答えたものの、本当は少しどこかで休憩したかった。

今朝新しいパンプスを下ろしたものの、合わなかったのかかかとに靴擦れができてしまった。

皮が剥けてしまったのかかかとがヒリヒリと痛む。

でも、流川は今日もまだ残っている仕事があるだろうし一刻も早く会社に戻って仕事をしたいはずだ。

「佐山?」

「ごめんごめん。なんでもない。駅の方へいけばタクシー拾えるかも」

「そうだな」

私達は揃って歩き出した。かかとの痛みは徐々に増していく。

ああ、今日のお風呂は地獄だろうなぁ。相当痛いはず……。

流川に気付かれないように必死に歩を進めていると、「佐山さん?」と背後で声がした。

ん?誰……?

振り返るとそこにいたのは猫塚くんだった。

「ね、ね、ね、猫塚くん……!!」

息が止まりそうになる。

こんなところで会うなんて……!!

思わず顔が緩んでしまう。

私服姿も眩しい。っていうか、やっぱり大学生なんだ!!

メチャクチャいい!!猫塚くん、最高に可愛い!!

バックパックを背負っている彼にキュンっと胸が鳴る。

ああ、眩しい。綺麗。キラキラ。笑顔、ほんっと可愛い!!

声をかけてもらったことすら嬉しくてたまらない。

彼のことを上から下まで舐めるように見つめてしまうとか、私ってば本当に気持ち悪い。

「やっぱり佐山さんだ。後姿が似てたからもしかしてって思ったんです」

「そうだったんだ。猫塚くんは学校?」

「はい。ちょうど帰るところで」

「そうなんだね!」

そのとき、ふと彼は視線を私の右斜め上に持ち上げた。

「えっ!?」

何故か私の隣にいた流川が猫塚くんのことを凝視していた。

そしてまた、猫塚くんも負けじと流川のことを見つめている。

え?なに?この二人って知り合いだったとか?なんでそんなに互いを見つめ合ってるわけ?

「佐山、この子誰?」

「えっ?」

この子、って。まあ、私達からしたら猫塚くんは年下だけど「この子」って言い方はちょっと……。

流川の言葉に猫塚くんがほんの少しだけ眉間にしわを寄せた。

「えっと、彼は猫塚光星くん。私の家の近くのコンビニでアルバイトしてるの」

「……で、なんでお前と親しいわけ?」

「それは話せば長い事情があって。ねっ、猫塚くん?」

話を猫塚くんに振る。いまだに猫塚くんは流川から視線をそらさずにいる。

以外にも猫塚くんと流川の身長に大差はなかった。

二人はなぜか互いを見つめたまま目を反らそうとはしない。

何この雰囲気?どうして一触即発の空気なの……?

私はこの空気をかえようと努めて明るく振舞った。

「えっと、こっちが流川。私の同僚です。猫塚くん、ごめんね。ちょっと愛想ないけどいつものことだから」

「ハァ?うるせぇよ」

「いいから!!猫塚くんが怖がるでしょ!?」

私の言葉に流川は不機嫌そうに私の左腕を掴んだ。

「会社戻るぞ」

「えっ、ちょっ、流川!?猫塚くん、ごめんね!またね!!」

流川に引っ張られて歩き出した時、かかとがズキッと痛んだ。

「っ……」

痛みに顔を歪めながら必死に歩いていると、今度は空いている方の右手を掴まれた。

「――待って。佐山さん、足痛いんじゃないですか?」

私の右手を掴んだのは猫塚くんだった。

「え……?」

「さっき歩いているときも歩き方がいつもと違う気がして。違いますか?」

まさか猫塚くんが気付いてくれていたなんて……。

「あぁ、実はちょっと靴擦れしちゃって。まさか猫塚くんに気付かれるなんて」

「やっぱり。大丈夫ですか?」

猫塚くんがそう言って私の顔を心配そうにのぞき込もうとしたとき、「大丈夫だ」と私ではなく流川が答えた。

「こいつのことは俺が会社まで送ってく。あっちで友達待たせてるんだろ?」

流川の言葉に視線をさっき猫塚くんのいた方向へ向ける。

数メートル先には複数の男女が猫塚くんを待っているようだった。

その中に遠めでも分かるぐらい可愛らしい女の子がいた。

彼女はこちらを凝視している。

もしかして……猫塚くんの彼女かな。

そりゃ、彼女ぐらいいるよね……。

「猫塚くん、ごめんね。ありがとう。私は大丈夫だから友達のところに戻って?」

「でも……」

「大丈夫だよ。気にしないで」

私が微笑むと猫塚くんは渋々頷いて「じゃあ、また」と頭を下げて駆け出した。

「あのクソガキ。俺のこと睨みやがった」

「ちょっと!!猫塚くんのことクソガキなんて言わないでよ!!」

あんな天使みたいな子のことをまたクソガキ呼ばわりしようものなら私が許さない。

「つーか、お前いつから足痛かったんだよ」

「実は、午前中から。今日初めて履いた靴だったんだけど、かかとに当たっちゃって。多分、皮むけてる」

「痛いなら痛いって言えよ。そういうところ、お前の悪い癖だから。無理ばっかりしてるといつか倒れるぞ」

冷たく言い放つ流川の言葉にイラッとする。

「何よ。痛いって言ったら流川は何かしてくれるの?」

「お前が望むなら、な」

「私が望むなら?」

「おんぶでもお姫様抱っこでも、好きなことしてやるよ」

一瞬、頭の中がフリーズしかけた。まさか流川の口からおんぶとかお姫様抱っこなんてセリフが出てくるなんて思いもしなかったから。

「……ぶっ!!ちょっと、何冗談言ってんのよ~!アンタ、そういうキャラじゃないじゃん!!熱でもあるの~?」

「ハァ?うるせぇな!!笑ってると置いてくぞ?」

苛立ったように吐き捨てる流川に笑いが止まらない。

「あはははは!!流川って面白いところあるんだねぇ~!」

ケラケラと笑う私に流川はムッとした表情を浮かべながらもそっと肩に腕を回した。

「はっ?なに?」

「足、痛いんだろ。そこの店で少し休むぞ」

流川はそう言うと私の体を支えるように目の前にあるコーヒーチェーン店に向かってゆっくりと歩き出す。

「えっ、どうもありがとうございます……」

「なんで急に敬語なんだよ」

「だって流川が珍しく優しいから怖くて」

「うるせぇな」

「同期なんだし、いつも優しくしてくれていいんだよ?」

「調子に乗ってんじゃねぇよ」

私の顔を覗き込んで呆れたようにため息をつく流川。

流川にも意外と優しいところがあるようだ。

私はにっこりと笑いながら流川に支えられて店に足を踏み入れた。


「色々ありがとう」

「ったく。絆創膏のひとつも持ってないのかよ」

「今日はたまたまきらしてたんですー!」

近くのドラッグストアで絆創膏を買って店に戻ってきた流川にお礼を言う。

これで今日は何とかしのげそうだ。

「あっ、ごめん。お金いくらだった?」

バッグの中からお財布を取り出そうとすると流川が制止した。

「別にいい」

「でも、なんか悪いし。じゃあ、このお店のお会計出させてよ」

「そんなのいいって」

「でも色々迷惑かけちゃったし。それに――」

「ホント、お前って可愛くねぇーな。いいっていってんだから、いいんだよ」

「……何よ、その言い方。もう少し違う言い方はないわけ?」

「強い言い方しないと、お前聞かないじゃん」

流川は運ばれてきたブラックコーヒーに口をつける。

「つーか、いい機会だから言うわ。お前、深夜まで一人で残業してんだろ?他の奴に仕事振れよ」

「知ってたの……?」

「当たり前だろ。そうじゃなくても女子社員の中で仕事のできるお前には相当な負担がかかってるはずなのに、他の奴の仕事まで引き受けるなよ」

「だって……」

「だって、じゃねぇよ。特に進藤綾の仕事なんて全部断れ!」

「なんで進藤さん……?」

「暇があれば男とペチャクチャしゃべってんのお前も知ってんだろ?俺、ああいうのマジで腹立つ。自分の仕事は自分でやれって言ってやれよ、あの給料泥棒に」

「あははは!!流川、言うねぇ~!」

まさか流川が進藤さんのことをそんな風に思っていたなんて意外だ。

同じ課の男性はほとんど進藤綾の手玉に取られている。既婚者ですらなつっこい進藤さんに鼻の下を伸ばしきっているというのに。

「大変なこと人に押しつけて楽しようっていう考えが無理」

「まあね。でも、進藤さんのおかげで男性職員のモチベーションが上がってるのは間違いないしなんとも言えないところだね」

男というのは本当に単純な生き物だ。進藤さんが今の課に来てからというもの、男性社員は彼女にいいところを見せようと競い合うように仕事に励むようになり業績も上がっているという噂を耳にしたことがある。

あんなにもモテるなんて前世でどんな得を積んだんだろうか。

女の武器を全て駆使して男を落とす彼女のテクニックが少し気になったりもして……。

「とにかく、今日は定時に帰れよ。むしろこのまま直帰でもいいし」

時計を確認した流川に私はブンブンっと首を横に振った。

「えっ、それは無理。やり残した仕事もあるし……。それに、コンビニに行く理由がなくなっちゃうもん!!」

「コンビニ?」

「そう。ほらっ、さっきの猫塚くん。彼の働くコンビニ行くのが私の唯一の楽しみだから」

「楽しみって何だよ」

「猫塚くんのシフトって深夜なんだよね。だから、仕事がどんなに遅くなろうと私は彼の笑顔の為なら頑張れるってわけ」

「アイツ、本当にコンビニでバイトしてんのか?」

流川の言葉に首を傾げる。

「そうだよ。あっ、あんな可愛い男の子がコンビニの店員にいるなんてありえないって思ってるんでしょ~?」

「なんで俺が男のことを可愛いとか思うんだよ」

呆れ顔の流川。

「つーかお前、年下好き?」

「えっ?なんで?」

「アイツのこと好きなのか?」

「猫塚くん!?まさか~!!ないない!!まーーったくない!!彼は6歳も年下だもん。猫塚くんは私の癒しであり目の保養なだけだから」

いつもは深夜にほんの少しだけ会って言葉を交わすだけだけど、今日は偶然にも店の外で会ってしまった。

相変わらず可愛い顔してたなぁ……。

私の歩き方で足が痛いのかもと気付いてくれたし……。

彼ってなんてデキる男なんだろう!!ああいう細かいところに気付ける男は彼女のちょっとした変化も見逃さない素敵な彼氏になるだろう。

そのとき、猫塚くんを待つ子達の中にいた小柄な女の子が頭に浮かんだ。

あの子が彼女かな……?

もし違ったとしても猫塚くんを女子達が放っておくはずがない。

いいなぁ。彼の彼女になれる人はきっと幸せだ。

「お前にその気はなくてもあっちはどうなんだよ」

「猫塚くんにとって私はなじみの常連客って感じだよ。でも顔と名前まで覚えてくれてるからなんか特別感があって嬉しいんだよね」

猫塚くんのことを考えると自然と頬が緩んでしまう。

「流川も猫塚くん可愛いと思うでしょ~?」

「思わねぇよ!」

「なんでよー!男には彼の可愛さが分からないのかなぁ……」

テーブルに肘をついて手のひらの上に顎を乗せて猫塚くんに思いを馳せる。

バックパック姿、最高だったぁ……!!

大学生かぁ。青春だなぁ。

「あっ、私のことより流川はどうなの?彼女とかいたりしないの?」

こんなときだからこそプライベートな質問をぶつけてみる。

「いない」

あっけらかんと答える流川に私はくすっと笑った。

「意外だよねー。流川ってモテるのに。女子社員でも狙ってる子多いんだよ?告白とかされたりしないの?」

「たまにな」

「やっぱり?誰かと付き合おうとか思わないの?」

「誰かとって言われても誰でもいいわけじゃねぇよ」

「ふぅん。そうなんだ。流川って理想高そうだもんね」

「なんだよ、それ」

フッと笑う流川につられて私も微笑む。

いつも固い表情ばかり浮かべている流川がたまに見せる笑顔は嫌いじゃない。

眼鏡の奥の切れ長の二重の目が細くなって少しだけ柔らかい表情になるから。

それに、私は知っている。この男はムカつくけれどいい男なのだ。

なんだかんだと文句を言いながらも絆創膏を買いに行ってくれたり、きつい言葉ながらも私の体の心配をしてくれている。

他の社員に対してもそうだ。流川は細かい部分にも瞬時に気付いてフォローする。

きっとよく見ていないと分からないだろう。

悔しいけれど奴は容姿端麗で仕事もできて女にもモテて頭も良くて気も遣える完璧な男なのだ。

私にだけは毒を吐いたりもするけど。

「流川が彼女にデレてるところ、ちょっと見てみたいかも」

「……は?ふざけんな」

「ちょっ、なに。もしかして照れてんの!?」

「照れてねぇよ!」

「嘘!可愛い~!」

私の言葉に流川は眉間にしわを寄せて顔を背けた。

流川も意外と可愛いところがあるんだなぁ。

その横顔がわずかに赤くなっているような気がする。私は流川に勝ったような気分になって心の中でガッツポーズをした。

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