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キャリアウーマン

新卒で入社した物流商社である城崎グループホールディングスの営業部に所属してから早5年。

仕事しかすることのなかった私はそれなりに仕事を続け、今はそこそこの地位にいる。

「佐山さん、すみません。このあいだの議事録の確認お願いします」

「お疲れ様。ありがとう」

後輩の篠原さんから書類を受け取りながら彼女の顔を覗き込む。

そのとき、異変に気が付いた。何故か顔が真っ青だ。

「篠原さん、具合でも悪いの?」

「実は今朝生理になっちゃって……」

「そうだったの?」

デリケートな話題だからか周りを見回してから小声で言う彼女に私もヒソヒソ声で言う。

彼女は新卒で入社してまだ数か月なのにきちんと責任をもって意欲的に仕事をこなすなくてはならない人材だ。

「確か毎月キツいんだよね?無理しないで休んでよかったのに」

「ありがとうございます。でも、大丈夫です。それに……そんなことで休んだら進藤さんに怒られちゃうので」

「え」

顔をあげて進藤綾に視線を向けると、彼女は男性社員に囲まれて楽しそうに会話をしていた。

そもそもこの議事録だって進藤さんの仕事のはずだ。彼女が篠原さんに押しつけたに他ならないというのに。

篠原さんの苦しみに気付かずおしゃべりに花を咲かせている彼女に顔が引きつる。

「今日はもう帰って?議事録も出してもらったし。もし修正があれば私がやっておくから。ゆっくり休んで」

「でも……」

「大丈夫。進藤さんには私の方から伝えておくから。ほらっ、もう帰る!」

「佐山さん……!!すみません……。本当にありがとうございます……!!」

「いいのよ。困ったときはお互い様!」

篠原さんは申し訳なさそうに頭を下げる。

私達のその様子を進藤さんは遠巻きに不服気な様子で見つめていた。

仕方なく立ち上がり、進藤さんの元へ歩み寄る。

「篠原さん、体調不良で帰ったから」

「ふぅーん。まさか、生理で早退とか言うんじゃないよねぇ?この前もそれで早退したよね?毎月早退って信じられないんだけど。あんまり甘やかさないほうがいいんじゃない?」

「あっ、じゃあ俺はこれで」

「はぁい~!またあとで!」

彼女の周りにいた男性職員は気を遣って散っていく。

「彼女は大丈夫って言ってたけど、私が帰るように伝えたの」

「生理なんて大したことないじゃない」

「大した事ない人もいるかもしれないけど、毎月大変な人もいるの。同じ女性なんだから気持ちは分かるでしょ?」

ちょっと考えれば分かることだろう。でも、彼女には想像力も協調性も皆無だった。

「全然分かんないけどぉ?あの子、生理を理由に帰りたかっただけなんじゃないの?」

彼女は長い髪の毛を指でクルクルと遊ばせながら吐き捨てるように言った。

「篠原さんはそんなことしない。今までだってそんなことなかったでしょ?今日だって議事録を作って持ってきてくれたし。そもそもこの議事録をお願いされてたのって進藤さんだよね?どうして篠原さんに押しつけたの?」

「押しつけた?嫌な言い方しないでよ。篠原さん、仕事がなさそうだったからあたしが仕事振ってあげただけなのに」

「仕事なら私が振るから。こういうことはやめてね」

「……は?何よ、偉そうに」

「偉そうにしてる覚えはないけど?」

「アンタってホントウザい女」

チッと舌打ちすると、進藤さんは私を睨み付けてから自分のデスクに戻っていった。

くっそー!!なんて女だ!!!

顔には出さずとも心中穏やかではいられなかった。


「篠原ちゃんが帰るときにちらっと話聞いたんだけどさ。玲菜、アンタってマジでいい上司だよね~!男だったらモテモテだっただろうね!」

「男だったらっていうのは余計ですー!!」

今、私は会社からほど近い小さなカフェにいる。鮮やかなグリーンを基調とした店内はまるで木々に囲まれているような気分になる。

大きな窓は開放的で差し込む光が暖かい。

オープンからクローズまで多種多様な美味しいサンドイッチを食べられるということもあり、常に店内はお客さんでいっぱいだ。

時間が合えば今のように同期の鈴木京子と会社近くのお店でランチを取るのが私の日課だ。

京子とは配属先が決まる前の研修期間中に言葉を交わしたのがキッカケで仲良くなり、今は会社関係なくプライベートでも親友と呼べるぐらい仲が良い。

京子は受付業務を担当している。会社の顔といわれる通り、受付は容姿抜群の女性の集まりだ。

京子も例外ではなく、顔もスタイルも抜群に良い。そして、口がうまい。

外面も良く、取り繕うのがうまい。でも、私の前では毒舌になる。

彼女曰く、それは心を許しているかららしい。

「でもさ、進藤綾ってホントひどい女だよね。男にばっかり媚び売ってさ。まあ確かに可愛いけど、ぶりっこすぎてみてて痛いわ」

「私は別に彼女がぶりっこでも媚び売ってても関係ないんだけど、もう少しちゃんと仕事してほしいかな」

「そのしわ寄せが全部玲菜にきて残業することになっちゃってるんでしょ?」

「まあ、それだけが理由ってわけでもないんだけどね。私がもう少し仕事ができれば早く終わるんだろうけど」

氷が解けて薄まってしまったルイボスティーをストローで吸い上げる。

確かに進藤さんの仕事が私に回ってきている感じは否めない。

とにかく彼女は人に仕事を振り、自分だけが楽をして、最後のおいしいところだけをかっさらっていく典型的な人間だった。

「いやーー、玲菜はエライ!本当にエライ!!もういっそあたしのところに婿にきませんか?」

「なんで婿なのよ」

「だって、男前すぎるから!でも、ここ最近は毎日午前様でしょ?ご飯とかちゃんと食べてんの?」

京子の言葉でハッとする。そうだ。あの子の話を京子にしよう。

「ご飯、で思い出したんだけどさ。実はうちの近くのコンビニにすごい可愛い男の子がいるの」

「へー、そうなの?可愛いってどういう意味の可愛さ?その子、年下?」

「大学生!!その子がね、店に入るときに『いらっしゃいませ』ってキラキラした眩しい笑顔で言ってくれるんだよねぇ」

あの笑顔は一級品だ。もう癒されるなんてもんじゃない。まるでオアシスだ。

「はぁ?そんなの店員だったら客に言うに決まってるじゃん」

呆れ顔の京子に反論する。

「言い方が違うんだって。しかもね、すごい笑顔なの。もうふわぁーって空気感が変わるっていうのかな?その子の周りだけがキラキラしててもうとにかく眩しいの!」

「ふぅん。イケメンなんだ?」

「イケメンだよ。多分、他の女性の目から見たらね」

「えっ。じゃあ、アンタの目から見たらなんなのよ?」

「……可愛い息子?」

「なにそれ」

京子がケラケラと笑うのを横目に私はプレートの上のポテトを指でつまんで口に運んだ。

「昨日ね、店の中で男に絡まれた時助けてくれたんだ。そのときにね、『佐山さんに何かあったら俺が嫌なんです』って言われちゃって。私あの時ちょっと自分でも信じられないんだけど……」

「だけど?」

「母性本能がくすぐられたせいか母乳が出そうだった。なんかね、胸が張ったの。ほらっ、母乳が出るときって胸が張るっていうし??」

「ハァ!?もう訳がわからない!!アンタこの年になっても男関係全くないからこじらせまくってんじゃん!」

「別にこじらせまくってるわけじゃないよ!!ただ、なんか可愛い小動物みたいな感じで母性本能をくすぐられちゃうの」

「いや、全然分かんないけど実際に彼は小動物系なの?小さくて可愛いとかそういうの?」

「うーん……。それはどうかなぁ。背も私より高いし力もありそうだった。ただね、可愛いの」

「いや、意味が分かんない。ていうか、全然想像できないから」

「京子も見てみれば分かるって。彼の笑顔に癒されるために無理をしてでも毎日コンビニに通っちゃうんだよね」

「あのさ、アンタさっきから可愛い可愛いとかいいながら実は男の子に恋してんじゃないの?」

「え?」

「だから、恋。玲菜って年下好きだったの?」

「はっ!?ちょっ、なにを……!」

ナプキンで上品に口を拭きながら尋ねる京子に私は首を横に振った。

京子の口からそんな言葉が出るなんて信じられなかった。

「まさか。だって彼は6歳も年下だよ?」

「てか、なんでアンタその子の年知ってるの?」

「あぁ、そっか。言ってなかったね。実はね……――」

私がキラキラ光る大学生の猫塚光星(ねこづかこうせい)くんに出会ったのは今から1か月ほど前にさかのぼる。


あの日もトラブルばかり起きて精神的に参りながらも必死に深夜まで残業し、くたくたに疲れ果てていた。

空腹を満たしたいのに家の中の冷蔵庫には数本のミネラルウォーターしか入っていない。

何かを食べないと倒れてしまう。重たい体をひきずってあのコンビニに入ると、「いらっしゃいませ」と明るい声が店内に響いた。

それが彼、猫塚くんだった。大学生だろうか。ずいぶん若く見える。

このコンビニはよく訪れていたけどこの時間レジにいるのはやる気のない中年のおじさんだけだった。

私が店に入っても「いらっしゃいませ」の挨拶もなく、それどころか就業中なのにスマホゲームに夢中だったのか迷惑そうに私を睨み付けるそんな人だった。

へぇ。若い子が入ったんだ。

買い物かごを持ちレジへ向かったとき、レジの奥であの中年おじさんが椅子に座り漫画を読んでいた。

制服姿ということは今も勤務時間中なのだろう。

新人の彼に全ての業務を任せて自分はのほほんと漫画を読むなんて……!!

進藤さんに仕事を押しつけられても笑顔で頑張る私。

状況も立場も違うけど、目の前の彼と自分がどこか重なり合ったような気がした。

「ありがとうございました」

会計を終えて商品を受け取った後、

「こちらこそ、ありがとうございます」

と思わずお礼を言った。

きっとあの日、私は誰かにねぎらってほしかったのだ。

よく頑張ったね。偉いね。ありがとう。お疲れ様。

でも、私にはねぎらってくれる人はいなかった。

だったらせめて彼のことをねぎらってあげたい。そんな気持ちだった。

「え」

顔を持ち上げた彼は少し驚いていたようだ。

客に突然声をかけられれば驚くのも無理はないだろう。

「ごめんなさい、急に。深夜にお仕事大変だなって思ってつい」

「あぁ、そういうことでしたか」

「今日、仕事ですごく疲れてて。でも、お店に入ったとき『いらっしゃいませ』って笑顔で迎え入れてもらってなんかパワーが出てきました!」

「あっ、お仕事だったんですね。こんな時間までお疲れ様です」

「ありがとう。でも、私はもう終わっているので」

言葉を交わしていると、「チッ」と舌打ちして中年のおじさんが奥の事務所の方へ消えていった。

「ごめんなさい……。おしゃべりしてたことあとで怒られちゃうかな……?」

「いえ、大丈夫です。お気遣いありがとうございます」

笑顔で首を横に振る彼はなんて礼儀正しい若者なんだろう。

「若いのにエライなぁ……」

感心して思わず口から零れ落ちた言葉に彼が不思議そうな表情を浮かべる。

「年齢、そんなに変わらないと思いますよ」

「まさか!私、27歳だし全然年上だよ」

彼の意外な言葉に私はバカ正直に自分の年をカミングアウトしてしまった。

「俺は21歳です」

「やっぱり……!6歳も差がある……」

「6歳しか、ですよ」

彼は言いよどむことなくハッキリした口調で言った。

「じゃあ、そろそろ……。お仕事、頑張ってくださいね」

彼に微笑んで小さく頭を下げてレジから離れようとしたとき、

「――あの!!」

呼び止められて振り返る。彼はカウンターから身を乗り出した。

「お名前、教えてもらえませんか?」

「佐山です。佐山玲菜(さやまれいな)」

「佐山さんですね。俺は猫塚光星です」

「猫塚くん」

猫のつく名字の人と出会ったのは初めてだ。

顔だけじゃなくて名前までも可愛かったのか……!

「はい!昼間は大学に通っているので、この時間にいることが多いんです!またお待ちしてます」

「ありがとう。また来ます」

『またお待ちしてます』

彼の言葉に変な意味はないだろう。

お店を出るときに言われるなんてことのない店員さんの言葉に過ぎない。

だけど、私はあの言葉を真に受けてその日から連日あのコンビニを訪れている。

そしていつからか私たちは会えば気軽に言葉を交わす仲となり、私は彼の可愛さに日々癒されている。

「うーん。まあ話はなんとなく分かったけど、彼を恋愛対象としては見てないってこと?」

京子の言葉に私は迷うことなく頷いた。

「もちろん!彼にはコンビニにいる間癒してもらえればそれで十分だもん」

「まったくもう。そんなこと言ってるから彼氏ができないんじゃない。もう27歳なんだよ!?そろそろみんなも結婚とかそういうの考え始める時期なんだし将来のこともう少しちゃんと考えないと」

「まあね。それは分かってるんだけど、私に結婚は向かないと思うの」

「なんで?」

「ほらっ、あれ。京子にも話したじゃない」

「あ!アンタがまだしょ――」

「ダメ!!口に出さないで!!」

私は京子の言葉を必死に制止した。

ここは小さなカフェだ。隣の席との距離も近いし、どこかで誰かにこんな話を聞かれたら大変だ。

京子はうんうんと頷くと、ヒソヒソと囁くように声を潜めて言った。

「付き合った男はいるのに、最後までできなかったって話?」

「そうそう。27歳で処女な私が結婚なんてできるはずがないよ」

私もコソコソと呟くように答える。

「それはさぁ、何度も言うようだけど男が下手くそだったんじゃないの?」

「わかんないけど……数人ダメだったってことは私に問題があるとしか思えないもん」

私はハァと小さく溜息をついた。

高校生の時に初めて彼氏ができてから付き合った人は数人いる。最後の彼氏は大学生の時だけどその全員とうまく性行為ができなかった。

出来なかったというか……最後の一線を越えるという段階でうまくいかないのだ。

『あれ……?なんでだ。おかしいな……』

男が焦るのをベッドに寝転んで待ち続けるのは地獄のような時間だった。

無理に押し込まれそうになり思わず『痛い……』と呟くと彼氏は私を睨み付けた。

『こんなこと今までの彼女では一度もなかった。お前のが変なんじゃないの?マジで萎えるんだけど!!お前って欠陥品だな!!』と怒りと恥ずかしさで真っ赤な顔をしながら捨て台詞を吐かれた。

あの日以来、性行為はおろか恋すらしていない。

あんな言葉を投げかけられるのもうまくできないのももう二度とご免だった。

お前は女の魅力がない、女として不能、そういわれているみたいで胸が張り裂けてしまいそうだった。

それからは仕事を生きがいにして生きてきた。

私には仕事がある。仕事で成果をあげれば認めてもらえる。そんな思いでただひたすら走り続けていた。

「最後の彼氏って大学生だったんでしょ?まだ経験も少ないだろうし、案外今誰かとしたらもうすんなりできちゃうかもよ?」

「でもその当時の彼氏は経験人数50人超えてるって言ってたよ?」

「そんなの自己申告なんだからいくらだって言えるでしょ」

「そうかもしれないけど、できなかったのは事実だから……」

なんだか当時の辛さを思い出して胸が詰まる。

みんなどうしてそんなにスムーズにエッチができるのか分からない。

「問題はそれだけなの?」

「ううん。恥ずかしいけど私、部屋の片付けも掃除も洗濯も得意じゃないし。そんなダメな女誰ももらってくれないもん」

「誰だって欠点のひとつやふたつあるもんでしょ。玲菜は仕事ができるじゃない。もっと自分に自信持ちなって」

「京子はそう言ってくれるけど、私はまだダメダメだもん。もっともっと頑張らないと」

同じ部署には男性が多い。優秀だと評価されているのも男性社員ばかりだ。

彼らに負けていられない。

そして何より、私には同期に一番のライバルがいる。

あの男を越えるべく私は日々闘志を燃やしている――。

腕時計を確認する。始業時間が迫り私たちは揃って店を出た。

「ちょっと行く場所があるからここで」

「オッケー!午後も頑張ろ~!」

「うん!京子も頑張ってね」

京子と手を振って別れた。

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