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第十二話『まどろみの朝とエリシャの朝食』

 ぼんやりと目を覚ますと、真上には見慣れた白い壁紙の天井があった。すぐ横の無地で青色のカーテンからは、薄い朝日が差し込んでいる。
 寝そべりながら昨日の夢を思い返そうとするが、頭を捻っても内容は出てこなかった。何か大事なことだった気がするが、靄がかかったように光景が浮かばない。
 (……まぁ、そのうちに思い出すだろ)
 諦めて寝返りを打つと、すぐ隣にはぐっすり眠るルインがいた。俺のTシャツを無意識にギュッと握り、顔を胸元に寄せてくれていた。反対側にエリシャの姿は見えず、先に起きてトイレにでも行ったのかもしれないと考えた。

 「んぅ……、パパ……ママ……」
 むにゃむにゃとルインが寝言を漏らしたが、まだ起きる様子は無さそうだ。頭をそっと撫でてやると、眠ったまま表情をへにゃりとほころばせた。
 「こんな姿を見たら、警戒するのは難しいな」
 記憶を取り戻したルインが、俺たちに攻撃を仕掛けてくる可能性は残されている。一緒に過ごした結果後悔する、それはあり得ない話じゃない。もしそうなったとしても、俺はルインと仲良くしていきたいと思った。
 (父親にはなれなくても、せめて頼りなる大人として……な)
 そんなことを考えながら朝の余韻を味わっていると、部屋の扉が静かに開かれエプロン姿のエリシャが姿を現した。

 「あっ、もう起きてましたか。おはようございます、レンタ」
 男としてその姿にぐっとなり、幸福感で表情が緩みそうだった。俺は呆れられないようキリッと気を引き締め、普段通りの顔を心掛けようとした。
 「ふふっ、まだ眠いんですかね? だらしない顔をしてますよ、レンタ」
 「え、まじで?」
 ペタペタ顔を触る俺を、エリシャは面白そうに見つめていた。
 「おっおはよう、エリシャ。今日は早いな」
 「せっかくなので朝食を作ってみたくて、キッチンを眺めて使い方を思い返してました。もしよろしければ、調理に関して色々と教えてもらってもいいですか?」
 俺はもちろんと返し、ルインの手を起こさないように外した。するとまたルインは「パパ、ママ」と寝言で呟き、俺とエリシャはそれを見て微笑んだ。

 たった数回見て手伝った程度なのに、エリシャはキッチンの使い方をおおよそ理解していた。俺は終始後ろから見守るぐらいで、スムーズに調理は進んでいった。
 「俺がアルヴァリエに行った時は魔道具の扱いにだいぶ時間が掛かったのに、そこまで使いこなせるなんてエリシャは凄いな」
 「ふふっ、考え方を変えただけですよ。確かにレイゾウコもセンタクキも凄いですが、そういう魔道具と認識すれば許容できます。機械というのは高度に発達した道具というだけで、決して怖い物ではない……というのが私の結論です」
 俺がその境地にたどり着くのに、最低でも一年はかかったはず。エリシャの適応能力に感心し、同時に自分もそういう見方を心掛けたいと思った。

 エリシャの頼もしい後姿を眺めていると、自室の扉がゆっくりと開き、寝ぼけまなこのルインが姿を見せた。起きて俺たちがいなく不安だったのか、眉をしょんぼりと下げていた。そして俺たちを確認すると、安心したのかふぁと大きな欠伸をついた。
 ルインは一人で椅子に登り、俺たちを眺めながら朝食の香りを鼻で味わっていた。
 「ルイン。せっかくだし、朝起きた時の挨拶を日本式で教えてやろう」
 「……んぅ? あさのあいさつ……?」
 「こっちでは朝に人と会ったら、『おはようございます』と言うんだ。これができると色んな人と仲良くできるという凄い魔法なんだぞ」

 当然ではあるが、異世界でも朝昼晩の挨拶は当然存在する。実際エリシャも、さっき俺に異世界式の朝の挨拶をしてくれた。ただ日本で暮らしていく以上、日常会話ができるぐらいには日本語を習得していないと色々と苦労することになってしまう。
 「パパ。えっと、オハヨウゴザイマス」
 「よし、悪くないぞ。それじゃあ質問だけど、ルインは昨日教えた食事前の言葉をちゃんと言えるかな?」
 「えっと、えっとね。たしか、イタダ……キマス?」
 ちゃんと覚えてくれていたのが嬉しく、ルインの頭をうりうりと強めに撫でた。ルインも褒められて嬉しかったようで、えへへと愛らしい笑顔を見せてくれた。

 エリシャが作ってくれた朝食は、ちょうどいい焼き加減のベーコンエッグとトーストだった。ルインは昨日いなかったこともあり、初めての食パンに興味津々といった様子だ。
 改めて三人でいただきますと言い、楽しく会話しながら食事となった。
 エリシャはルインの手前静かな様子だったが、ちゃんと朝食を作れたことに安堵していた。ルインの方は好き嫌いがないのか付け合わせの野菜も黙々と食べ、終始美味しそうに口を動かして眼を輝かせていた。

 エリシャはルインの口元についたケチャップを拭い、自信なさげに話しかけた。
 「……その、美味しいですか、ルイン?」
 「うん、とっても! ママ、おいしいごはんありがとう!」
 「ふふっ、良かったです。レンタも、手助けしてくれてありがとうございます」
 「俺は大したことしてないけどな。この朝食は全部、エリシャ自身の腕前だよ」
 そう言いながら一通り食べ終えると、エリシャが何か言いたげな様子で俺を見ていた。どうしたのかと聞いてみると、エリシャは俺に一つの提案をしてくれた。

 「もしレンタが良ければですが、私にこの家の家事を一通り任せてはくれませんか? いくら勝手知る仲だとしても、いつまでも助けられたばかりでは申し訳ないです」
 「まぁ、エリシャならそう言うと思ってたよ。だったら今の状況が変わるまでの間、エリシャには家事をある程度任せてもいいかな?」
 「そうして頂けると嬉しいです。慣れない内は色々と聞いてしまうかもしれませんが、どうかよろしくお願いします」
 すべきことができたからか、エリシャはとても安心したようだった。俺たちの会話に耳を傾けていたルインもばっと手を上げ、自分も何かやりたいと言ってくれた。

 朝食を終えて一通り家事を片付け、予定していた図書館へと出向くことにした。
 エリシャには白とベージュを基調としたコーディガンを渡し、ルインには薄ピンク色でパーカーの付いたダウンジャケットを着せた。どちらも昨日の買い物で俺が選んだもので、いずれ皆で買い物に出かけた時に欲しい物を選ばせると約束した。

 外出に際して目立つ二人の髪色だが、そこは隠すのも難しいので開き直った。ただルインの頭の両脇から生えている巻き角だけは、どうにかしなければいけない代物だ。一応秘密兵器は用意していたので、さっさくルインの目の前にそれを取り出した。
 「パパ、これなぁに?」
 「俺も詳しい名前までは知らないけど、それはお団子ヘア用の髪飾りだ。それならルインの角を隠せるから、外に行く時は絶対に着けるんだぞ」
 「これ、かわいいね。パパ、ありがとう」
 ルインの髪色は美しい白銀色なので、シンプルな水色の髪飾りを選んだ。さらに俺はキッチン近くの戸棚から長方形の箱を取り出し、蓋を開けて中身をエリシャに見せた。

 「実はエリシャにもプレゼントがあるんだ。もし良かったら受け取って欲しい」
 「え、いいんでしょうか?」
 「もちろん。気にいってくれるかは分からないけど、一目見て似合うと思ったんだ」
 そう言って俺は、紫の花弁が素敵な藤の花型の髪飾りを手渡した。全体的なデザインは大人向けの落ち着いたもので、値段はそこそこした。だがそのおかげあってか、エリシャの翡翠の髪に負けない確かな存在感があった。
 「うん、やっぱりいいな。凄く綺麗で似合ってる」
 「はい、私もすごく気に入りました。本当にありがとうございます」
 エリシャは髪に着けた髪留めを鏡で確かめ、とても嬉しそうにしてくれた。

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