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私たちはまるで導かれるままに歩んでいる。

ひとまず私たちは札幌駅から小樽築港駅まで電車に乗って、滞在するアパートに落ち着いた。少しのあいだ、リビングの窓を開けて涼やかな風が室内に入っていく様子を黙って感じていた。風には海の匂いが漂っていて、思わず心地よい嘆息が出てくる。潤子も窓から見える海にうっとりと、見とれていた。
「みつき、私の住んでいる横須賀にも海が見えるけど、そことはちょっと違っている。ここの海はなにか、夢のなかに迷い混んだみたいな印象がある。懐かしさや、初めて触れたようなとても気持ちの良い感じ。息を吸うと肺の中に新鮮な海の生き物たちの奏でるハーモニーがいっぱいになって祝福してくれる。ああ、なんて気持ちが良いんだろう。今、とても幸せ」潤子は満面の笑みで遠くの景色を眺めている。
「潤子、私も久しぶりにこんな脳にまるで新鮮な空気が供給される感覚を味わっているわ。様々な種類の小説を読み比べているみたいって言うのかな。いっぺんにたくさんの心地良い情報が伝わっている感じ。凄い刺激だわ。目が冴えて、まるで小学生の時に次の日が遠足で楽しみにしていて、前日眠れなくなるみたい。そんな気持ち」
「うん。みつきの抱いている感覚わかるわ。でも不思議となにか歯に物が挟まるってことはなくて、脳の細胞ひとつひとつに酸素が与えられるみたいな、それでいて、夢のなかにいながら、そこが夢ではなくて実際に目覚めたみたいな雰囲気がある」
「きっとここは、私たちの為の、記念の場所になっているのよ。潤子の言うとおり、桃源郷なの。理想とは違うかもしれないけど、今、最善のベストというか、サイコロを3つ転がして、3つとも同じ数字が出たって感じかな」スマホがメールの着信を知らせてきた。芹沢さんからだった。
『どうも芹沢です。先ほどは潤子さんとの絵画の取引ができたことを嬉しく思っています。サクラさんとのアポイントが取れましたので連絡致しました。住所と携帯電話の番号をお知らせします。サクラさんも潤子さんとみつきさんに会うことを楽しみにしているとのことです。素晴らしい出会いになることをお祈りしています』メールの末尾にサクラさんの住所と携帯番号が添付されていた。
「潤子、これからサクラさんに電話をかけてみるわ。心の準備はできている?」
「オーケーよ。ああ、なんだか胸がドキドキする。大好きな人に告白するみたいな感じ」潤子は両手を心臓の位置に押しつけ、目を閉じて大きく口から息を吐いた。それからとびっきりの笑顔を見せ、期待を込めて私の手を掴んだ。
私も少し緊張して、なぜだか心の底から横隔膜を震わせるみたいになって、メモ帳にサクラさんの携帯番号を書き込んでから、彼女に電話をかけた。
「はい、サクラです」
「どうも初めまして、みつきと申します。芹沢さんからサクラさんへの連絡先をお聞きしました。今、お電話大丈夫でしょうか?」
「ああ、みつきさんですね。芹沢さんからあなたのこと、それから私の作品を購入した潤子さんのこと、教えてもらいました。どうもありがとう。とっても私の絵画を評価されたということ聞きました。とても嬉しいわ。今、小樽にいらっしゃるんですってね」
「はい。突然電話をかけてすいませんでした。私も潤子もサクラさんの描いた作品にとても心を奪われました。こんな素晴らしい絵画を描いた人に是非ともお会いできたらと思いまして、もしよろしかったらお目にかかれないでしょうか?」
「いいですよ。私も潤子さんがまだ小学生だと聞いて、本当にびっくりしてます。私の作品をきにいってくれて、購入した作品以外の絵画も見て欲しいと思っています」
「サクラさん、ご都合はよろしいでしょうか?いつお伺いしたらいいですか?」
「明日はどうですか。今小樽にいるんですってね。私の住んでる札幌の手稲区まで一時間もかからないと思うわ。何時でもいらしてください。楽しみに待っています」サクラさんの声の調子から、本当に嬉しさが溢れている声音だった。
「では、明日の午前十時頃にお伺いしたいと思います。では」潤子は期待を込めた表情だった。こんな真剣な眼差しは久しぶりに見る。
「ああー、ほんと楽しみだね。サクラさんどんな人なんだろう?でも作品から見て、きっとこの世界に対して不満を抱えていることは確かだと思う」潤子は窓のレースのカーテンを開いてから、窓ガラスを透かして見える海を眺めた。
「正直なこと言うと、きっと相性が合うと思う。それもかなりの確率で。電話で話した感じで、お互いのジグソーパズルが気持ち良く組み合わされているような感じがしたから。文章を扱う仕事をしている私たちと画家は同じような血が通っているのかもしれない。絶対そうよ。私たちはかけがえのない友人に出会うことになるんだわ。なんか気持ちが高ぶってきた。明日まで眠れないかもしれない。まるで小学生ね!そうだ、なんかお土産用意しないと。潤子、これから小樽の繁華街まで繰り出すわよ。何が良いかな?小樽といったらガラス製品よね。日常的に使える物がいいかしら」
「芸術家に送るんだからセンスが良くないとね。きっと値段で決めるより、誠実さと純粋な気持ちと相手の人に喜んでもらいたい、そんな感情が必要なのかも。ナンバーワンの商品よりも、オンリーワンの物が欲しいのかも。誰かの名言だけど」
「そうよね。画家さんに喜ばれる物。と言うより、サクラさんが喜ぶ物」彼女の絵画を通して見られるサクラさんの姿を思い浮かべる。そこから滴のように流れ出しているものはいったいなんだろう?」私は札幌の画廊で見た、サクラさんの絵画をイメージした。重要なのは、少年と少女が手を繋いで、じっと真正面を見つめている姿だ。そしてその背景に、忙しそうに無数のビジネスマンが足早に歩いている姿。彼らは少年と少女には興味がないようだ。自分の考えでいっぱいで、自分のこれからの生活や仕事で考えが満たされている。そうだ、少年と少女を模したペンダントとかアクセサリーなどどうだろうか。いつも、どこでも身につけられる物。そんな些細な物をきっと喜んでくれるだろう。
「潤子、慎重に選びましょう。男性が恋人に、彼女の為に心から喜んでもらえるような物を探そう」私はきっとサクラさんが喜んでもらえる物を見つけ出すことができると、心の底から確信していた。
「あと、みつき、お腹が空いたから何か美味しいものを食べに行こうよ」
「そうね、そういえば私もお腹空いている。近くにお寿司屋さんがあるからそこに行きましょう」
「お寿司かー、楽しみだな。北海道は魚介類が新鮮で豊富だと聞いている。ホタテにアジにハマチが私の大好物なの。最後に納豆巻きを食べておしまいにする。それが私のルーティーンなの。でもほんと外が天気でよかった。でも雨降りでも叙情があって素敵だと思うけどね」
私たちはアパートを出て小樽運河沿いを歩いた。たくさんの観光客がぞろぞろと歩いている。みんな顔に笑みを浮かべて、まるで愛する人に告白して受理されたみたいな表情をしている。旅は恋愛的な要素をはらんでいるのだろうか。潤子も360度周りを見ながら新鮮な気持ちで歩いている。国道を渡って回転寿司屋があって、私たちは店のドアを開けて中に入った。店内は混んでいて、10分ばかり待つことになった。それから店員さんに名前を呼ばれて私たち二人はカウンター席に座った。早速メニューを開いて注文用紙に目あての寿司を書き入れる。私はハマチ、ホタテ、アジにした。潤子もメニューを見ながら真剣な表情で好みのネタを書いている。決まると店員さんに用紙を渡して、お茶を飲みながら待機する。
「それにしても遠くに来ちゃったよね。海を渡って北海道王国まではるばるねー。なんか感慨深い。まるで夢の中に入っちゃったみたい。夢ならば覚めないで、みたいな」
「そうね、私、飛行機に乗るのも初めてだし、もちろん北海道に遊びに来るのも初体験だから、見るもの全てが新鮮な感じ。札幌は東京と変わらない感じがするね。でも小樽の町並みは、少々古臭さがあって、とても素敵。なんか昔にタイムスリップしたっていうのかな。心が震えている感じがする。港の哀愁みたいな」潤子はテーブルに置かれているガリを小皿にわけてから口に運んだ。
「このガリ、とても新鮮で美味しい。みつきも食べてみて」
「どれどれ」私は箸をとってからガリをつまんで口に入れた。
「うわー、ほんと新鮮、酢の塩梅と辛味っていうのかな、これだけをおかずにしてご飯を食べられるわ」私はもう一口ガリを口に入れた。これはたまらない。潤子もまた小皿からガリを箸でつまんで食べた。
「そうだ、突然関係ない話になるけど、潤子が小説を書くうえで大切にしていることってなに?」
「そうね、自分の心が動かされない限り、書かないってことかな。それから日常の風景は抹殺すること。当たり前の事柄は書かないっていうこと。そうよね、だってごく普通のことを書いたって、読者は喜んでくれないからね。みんなそんなに暇じゃない。やるべきことはいっぱいあるからね。だから本当に人々に訴えること、心を動かされるようなエピソードを書くことかな。そして自分自身が感動すること。だって自分が感動しない作品が人を感動させることなんてできないじゃない。それと、ハートウォーミングな暖かい情景かな。イギリスの作家、ジェーン・オースティンみたいな日常生活を描いた物語にも興味がある。あー、早くサクラさんに会いたいな。どんな人なんだろう?まだ会ったことはないけど、きっと素敵な出会いになるということはわかっている」潤子はホタテの寿司を箸で取って口に入れた。
「うんっ、美味しい。なにこのクリーミーさは!新鮮ってありゃしないっ!これが北海道の力ね」私も出されたブリのネタを口いっぱいに頬張った。
「うふぁー、とろける!何この香味は!」ブリの二貫目も勢いで口のなかに入れた。
「爽やかー、幸せー!」私は思わず潤子の肩を軽く叩いて感動をあらわした。
「みつき、私も今本当に幸せ。北海道の寿司は美味しいって聞いていたけど、これほどのものだとは知らなかった。新鮮そのもの。夢にまで出てきそうな感じ」
「私も久しぶりにお寿司食べたけど、やっぱり小樽の寿司は最高ね」私は注文していたサンマも口に入れて、感じたことのない慈味が口のなかに広がっていくのを何処か遠くに、記憶が飛んでいくのを味わった。潤子も出された品を箸でつまみ、じっくりとその美しい姿を拝見してから、厳かに口のなかに入れる。まるで儀式をしているみたいに。
私たちは興奮覚めることなく寿司を堪能すると、店を出て観光客がたくさんいる通りを散策することにした。さまざまな店が軒を連ねている。ガラス製品を売っている店内に入ると、七色に輝くガラスでできたコップに注目がいった。
「わー、綺麗ねー。水をこれで飲むには豪華過ぎるし、だからと言って、お酒を飲むにも華やか過ぎるわね。これは手に取って愛でる為に存在するようなものね」
「うん、この品を手に取るたびに、小樽で経験してきたことを一緒になって思い出す、そんな装置のような感じかな」
私たちは店内を一周して、いろいろ眺めてから外に出た。通りの向かえにアクセサリーショップがあった。
「あそこに行きましょう」私たちは道を渡ってその店に入った。店内は薄暗くて、照明が品物に当たって美しく輝いている。早速近づいて、ひとつひとつの商品を見る。
「みつき、見て、このアクセサリー。男の子と女の子が手を繋いでいる。まるであの絵画そっくり。凄くない?私、これに決めた。サクラさんへのプレゼント。素敵じゃない」
「ほんと、細かい細工が施されているわね。これこそナンバーワンの品じゃなくてオンリーワンの商品ね」潤子は店員を呼んで、この商品を包んで貰うようにした。
「サクラさんへのプレゼントも決まったことだし、お家へ帰ろうか。今日は本当に充実した一日になりそうだね」
「そうだね。なんだか様々な記憶の断片が頭の中にこだましていく。小説を書きたい気持ちでいっぱいだわ。帰ったら早速タブレットを使って小説を書くことにする」
「そうね、私も作家さんから送られてくる小説を見ながら、進むべき方向を定めるわ。
私たちは国道沿いを歩きながら、少し涼やかな風に当たりながら、気持ち良くアパートに向かった。海に近いということもあって、潮の香りがとても心地よかった。明日、サクラさんと合うことができる。きっと、貴重な体験になることだろう。彼女の姿を想像してみた。それは少年と手を繋いでいた少女のひたむきに真正面を見つめているあの絵画そのものだった。サクラさんはきっと、自分に似せて描いたにちがいない。高度経済市場主義。そのなかにあって、幼いながら抵抗を続ける少年と少女。勝てる見込みは無いのに自分の主義、主張を通そうとする気概が伝わってくる、あのサクラさんに絵。その絵を見ていると、私まで勝てもしない巨大な敵に立ち向かっていくことができそうな気がする。なんて絵画って凄い力をもっているんだろう。そして私は小説も同じような力をもてるのではないかと気づきはじめていた。私の受け持つ担当の作家さんたちにも、世界を動かすほどの作品を書いて欲しいと願っている自分がいた。私の瞳は鋭く、虹色のように輝いている。潤子が私の左手をつかんだ。にっこりと笑って清々しい感じだ。明日楽しみだね。言葉に出さなくても、そう言ったのがわかった。

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