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【何が悪で、何が正義か】

【何が悪で、何が正義か】


「···もしガリーナちゃんがこのことを知ったら、何て言うんだろう」


 レイフはぽつりと呟いた。

 ガリーナは、自分の母親が完全な悪人だと思っている。そんな人物の娘だと聞いて、動揺していたのだ。


「え?テゾーロに対して、戦争を仕掛けた人なのよ?」

「で、でもさ、地球を滅ぼしたのは、テゾーロなんだろ?何か···アクマの言い分もわかるじゃんか。地球人だからって、悪いやつらばっかじゃないんだし、滅ぼすってのは···」

「ツークンフトはずっと無理に徴兵されたりしていたんだし···」



 レイフとユキは、着地点のない議論をしどろもどろに言いあった。2人とも、ガリーナほどの頭の良さもないのだが、この議論に本当に着地点がないことがわからない。



 地球人にツークンフトが虐げられていたこと、地球が滅ぼされたこと、アクマがテゾーロに対し反逆をしたこと、全ての事柄は複雑に絡み合い、勧善懲悪をきっちりと分けることができない問題だからだ。



 レイフとユキには、到底この問題を解き明かすことはできない。ガリーナがこの場にいたら諫めることができただろうが、レイフとユキは頭を抱えるしかなかった。



「···お父さんは、どうしてアクマを倒したんだろう?」



 ユキが首をひねる。



「···ああ、父さんの性格的にはアクマ側につきそうだよなぁ。何でアシスにいて、しかも最終的にアクマを倒してんだ?」

「あ、それは俺も思ったんだなー。あいつの性格上、そういう感じだよなー」



 ユキの意見に、レイフもパパゴロドンも同意する。

 シオンは、地球に対して特別な思い入れがないようだった。

 熱心なノホァト教という訳ではなかったのも、かつてアクマの彼女がテゾーロに反旗を翻したことに由来するのだろうと推測できる。



 コナツが表示している2人の映像で、2人がどんなに親密だったかわかるくらいだ。



「···それは、観てもらった方が早いかしらねぇ」



 コナツは、指先を振るった。

 レイフやユキ、パパゴロドンの前に青い粒子がちりばめられる。2人の映像は消え去り、リビングルームの家具が青い粒子によって再構成されていく。



「これは?」



 レイフは思わず、青い粒子に手を伸ばす。再構成された家具に触れようとすると、家具に触れることができる。机や椅子の位置が先ほどとは異なっていたが、特別おかしいことはない。



 ただ――レイフ達の目の前に、1人の女性が構成されたことにはギョッとした。



「えっ、この人」



 ユキが驚いて、自分に抱き着いてきた。腕に抱き着いてきた彼女の体はこわばっていたが、レイフの身体も思わず硬直する。



 目の前にいたのは、まぎれもなくアクマのリーシャだったからだ。

 先ほど見せてもらった映像は顔だけだったが、全身が具現化されている。アシスの軍人達と同じような黒い軍服を着ているが、彼女の場合は豊満な身体の線が浮き出ていて、豊満な胸と臀部が強調されていた。



「過去の映像記録な感じだなー」



 パパゴロドンは冷静に言い、コナツは首肯する。

 映像記録――撮影していた映像を立体化させ、実際にそこにいるかのように見せているのだ。レイフやユキの目の前に、美しい人がそこに立っているかのように見せているだけ。

 頭で理解しているはずなのに、まるで目の前の人物がそこに生きているように見えてしまう。



 リーシャの後ろには、コナツがもう1人存在していた。リーシャに寄り添うようにして存在するコナツは、過去の映像記録の方のコナツなのだろう。



『さよならだよ、コナツ』



 女性にしては、少し低い声音だった。リーシャが言った言葉に対し、コナツは衝撃をうけたように目を見開く。



『嫌よ!!あんたがアシスを辞めるなら、あたしもついてくわぁ!』

『もういらないんだよ、君は』



 彼女は涼しい顔をして、コナツのことを突き放すように微笑を口元に湛える。コナツは嫌がるように首を横に振るが、リーシャは何も言わない。



「お母さん···」



 ユキは過去のコナツに同情するように、細かに肩を震わすコナツのことを見つめた。レイフの腕をつかむユキの手に、力がこもる。



『ほんっと嘘つきだよな、おめぇはよぉ』



 あ、とレイフとユキは同時につぶやいた。



 1人の男性が現れる。彼は間違いなく、父イリス――シオン・ベルガーであった。

 自分と同じ狼の半獣で、年頃としては20歳くらいだと思うが、間違いなく自分たちの父親だ。



(ガラの悪い口調も、ガラの悪い姿勢も、昔から変わんねぇんだ)



 レイフは感慨深く、リーシャの前に立ちはだかるシオンを見つめた。



『嘘つき?私が?』

『ああ、嘘つきだ。おめぇは、俺やコナツを巻き込まないために、俺達を捨てようとしてるんだよ』

『何のことかな?私を買いかぶりすぎじゃないかなぁ』

『――何を考えているか、教えてくれ。リーシャ』



 シオンはリーシャの瞳を見つめた。リーシャは涼しい顔をしたまま、身じろぎもしない。



『おめぇがアシスを辞めるなら俺だって辞める』

『君まで辞めたら、コナツはどうなるの』

『俺は···おめぇがとんでもねぇことを考えていそうで、怖ぃ』



 過去のコナツが、リーシャの背中にぎゅっと抱き着いた。彼女を行かせないように、その場に留めようとしているようだった。リーシャは静かに視線を動かし、フッと笑う。



『大丈夫。子供も産んだばかりだから、少し静養しないとね』



 子供とは、セプティミアのことか。



『ルイス・バーンへの復讐なんて、馬鹿げたことを考えるなよ』



 シオンはきつい口調で言い放つ。



『おめぇがやらなくても良いんだよ、そんなこと。地球のことならミヤ博士が、子供のことなら俺が落とし前つけてやる。おめぇはもうこれ以上傷つかなくて良い』



 ――息子として、レイフはとても違和感を覚えた。



(惚れてるんじゃないかっていうか···父さんはガチでリーシャさんに惚れてたんじゃ···)



 監禁同然の生活で、軍人として働かされていたというアクマのリーシャ。

 シオンの瞳には、リーシャはどう見えているのだろうか。

 明らかにサクラ――コナツとは、扱いが違う。



『···私は、アクマだからね』



 リーシャは諦念混じりに言った。全てを諦めてしまっている、そんな表情だ。



『何が関係あるってんだ、んなこと』

『君には、わからないよ。君はね···私のことに対して盲目過ぎるんだ。懐いてもらえてうれしいけれど、君は自分の幸せを考えた方が良い。君の幸せのためにも、アシスに、コナツのそばにいてほしい』

『それでおめぇが不幸のどん底に落ちるのを見ていろっていうのか』

『君の尺度で、私の幸せを決めつけないで』



 2人の考え方は、違うようだった。



『復讐をすることが、本当におめぇの幸せなのか?』



 コンビを組んでいたと言っても、2人の方向性は全く逆向きにいるようだった。

 リーシャは目を細め、シオンを静かに睨みつけた。



『君は、自分の知らないもの、わからないものをすぐに否定する。1つ教えてあげようか』



 シオンを挑発するように、リーシャは彼を指さした。



『私は、あいつらがのうのうと生きていることが今でも許せない。けど、ただ殺すなんて甘いことはしたくはない。生き地獄を味あわせて、永遠の苦しみを与えてやりたい。それを私がやらないなんてことは私が許せないし、他人に委ねたくないんだよ』



 涼しい顔をしながらも、リーシャの瞳にぎらぎらとした怨嗟が込められた。



 あいつら、と呼んだ人物が誰なのか。複数のテゾーロのことを指しているのだろう。

 鬱々とした暗い感情が、美しい彼女の中で蓄積されている。



 長年彼女の中で育てられた黒い感情は、外見の印象とは全く真逆で、ひどく醜いもののように思えた。



 好きだった地球を滅ぼされ、監禁同然の生活を強いられ、憎い相手の子供まで産まされて――”恨んでいる”という言葉だけでは言い表せないほどの怨嗟の感情がこの世にあるのだと知った。



 その身を蝕む黒い感情は、彼女の身体という器だけでは留められない。



『リーシャ、俺はぜってぇおめぇのことを止めてやるよ』



 レイフが信じられないほどの怨嗟を抱えた相手に、シオンは言った。



『どんなことがあっても、おめぇの考え方が正しくないって否定してやる!俺はおめぇに幸せになってほしいだけなんだ!』



 シオンは、純粋にリーシャの幸せを願っているだけのようだった。



(そうだ。父さんは、こういう人だ)



 子供達にも同じように真っすぐに接していた。嘘がない彼の言葉を信じ、今ままでレイフやユキ、ガリーナは彼の背中を頼ってきた。



『私よりも弱い君が?君に、私を否定することなんてできやしないよ』



 彼女は黒い軍服を翻し、シオンのことを嘲った。

 やりきれない感情にぎらぎらと瞳を光らせ、黒い感情を抱えた彼女の姿は――悪魔のようだった。



『できるもんならやってみなよ。私は、私の願いを叶えるために、君を蹴散らすよ!』



 リーシャはシオンを退かし、コナツを引きはがし、出て行ってしまった。

 彼女の声音は、妙に耳に残る。シオンは過ぎ去る彼女の背中を鋭く睨み、歯ぎしりをしていた。狼が獲物を威嚇するような仕草で、2人が確かに道を別にしてしまったことを露わしているようだ。



 リーシャ、シオン、過去のコナツの姿が細かな粒子となって溶けていく。映像記録はここまでということだろう。



 レイフがコナツを振り返ると、彼女は口をへの字に曲げ、粒子が消えていった後を見つめていた。虚空を見つめ、彼女は何を考えているのだろうか。



「···観てもらった通り、シオンは彼女の復讐に反対していた。アクマと呼ばれた彼女に、ただ幸せになって欲しくて···」



 コナツは悲し気に言った。 

 コナツにとっては、リーシャとシオンという存在は、大切な仲間だったのだろう。2人が道を別にしてしまったことを、純粋に悲しんでいるようだった。



「···父さんは、リーシャさんの復讐劇を終わらせたかったのか···」



 レイフはぽつりと呟く。



(それが、シオン・ベルガーがアクマを倒した理由なんだ)



 2人は仲が良かったのだろうが、不運なことに、リーシャは復讐心に心を囚われてしまっていた。

 彼女の言葉から滲み出る怨嗟を聞いて、他人であるレイフですら恐怖を覚えた。



「可哀想な人なんだな、ガリーナちゃんのお母さん···。たまたまアクマに産まれて、地球のこと好きになったら、滅ぼされて···」



 リーシャの場合は、地球人に作られたツークンフトでもない。レイフの場合には自分が地球人に作られた種族であるから、地球を崇めなきゃいけないという義務感があるが――リーシャの場合は、単純に”地球”という惑星に好意を寄せていただけなのだろう。



「オレ、ガリーナちゃんにこのことを教えてあげたい」

「え?」 



 コナツとユキが驚いて、同時に声を出した。2人に不思議そうに見つめられ、レイフは少し照れ笑いを浮かべる。



「ガリーナちゃんが自分の出生を嘆くことはないって、伝えてあげたい。だって、リーシャさんって、悪人じゃねーじゃん。ちょっと色々···間違えちゃっただけでさぁ」 

「悪人じゃない···初めてそんなこと言われたわねぇ」

「え?だって悪人じゃねーだろ?どっちかってーと···ツークンフト達に無理を強いた一部の悪い地球人はいたみてぇだけどさ、今の事務総長も悪いよな。みんな、どこか悪いところがあったんだと思う」



 レイフは自分でもまとまっていない考えを、必死に言葉に紡ぐ。地球に徴兵された経験があるパパゴロドンも気遣いながら、リーシャのことを大切に想うコナツも気遣わなくてはならない。



「でも、ガリーナちゃんが自分の生まれを嘆くことはないんだって!ガリーナちゃん、リーシャさんについて誤解してるんだから、教えてあげなきゃなんねぇよな!」



 確信をもって、レイフは言った。



「···うん、それはそうね~」



 ユキは同意するように頷くため、レイフは嬉しくなった。



「だろ?」

「さすがはレイフきゅん!」



 2人は笑いあった。いつもの様子のユキを見て、ちりりとレイフの胸が痛む。

 先ほど怒鳴ってしまったことを、後で謝らなくてはならない。こんな姉に対し、何故自分は八つ当たりしてしまったのだろう。



「まずは、嬢ちゃんを助けなきゃいけないのが先決な感じだけどなー」



 パパゴロドンは間延びした口調で言った。レイフは彼を不安気に見る。



「パパゴロドンさん···協力してくれるんすか?」

「お、ここで俺が「じゃ、俺関係ないんでー」とか言う男に見える感じかー?」

「それじゃぁ」 



 パパゴロドンが協力してくれるというのは、どれだけ心強いだろう。

 ホッとしかけるが、彼は顔を顰めていた。



「正直俺みたいなツークンフトからしたら、地球を滅ぼしたことが正な感じだなー。でも、地球を滅ぼされた復讐で、20年前のアクマの事件が起こったなら馬鹿げた話だと思うんだなー」

「パパゴロドンさん」



 ユキは心配そうにレイフ、コナツを見る。馬鹿げた話と言われても、2人の表情は変わらない。



(色んな意見があるに決まってる。まして、地球戦争に徴兵されたツークンフトからしたら、当然の意見だよな)



 レイフやユキ達は、地球からツークンフトが虐げられていた時代を知らない。

 当事者だったパパゴロドンからしたら、地球人は悪なのだろう。



「ま、でもイリス···シオンに大きな貸しを作るチャンスなんだなー。俺が力になれるかわかんない感じだけど、一緒に行くんだぞー」

「ありがとうっす···!パパゴロドンさん!」 



 レイフはパパゴロドンの手を取り、握る。



「っていうか、コナツも良いのかー?2人に操縦権限はないとか言ってた感じだろー?お前、この機体を動かすのかー?」

「えっ、母さん」



 レイフは慌ててコナツを見た。

 彼女は色々話してくれたが――コナツの機体を動かすとは、一言も言っていない。



「あ、あたしだって、ここまで話しておいてアシスに連れていーかない!とか言う女じゃないわよぉ!馬鹿にしないでっ!」

「母さん···」

「母さんって言わないで!!あんたみたいなでかい子産んだ覚えないんだからっ!!」 



 コナツがきゃんきゃんと叫ぶのは、きっと照れ隠しなのだろう。彼女の態度に一安心し、レイフもユキも微笑する。



「で、ガリちゃんはアシス本部にいるんでしょう~?敵陣に乗り込むことになる訳だけど、どうしよっかぁ?」

「ま、真正面から突っ込むのはシオンみたいな馬鹿だけな感じだなー」

「まさかお父さんでもアシス本部に真正面から突っ込まないでしょ~」



 ユキとパパゴロドンは笑う。レイフも、さすがにないだろうと失笑する。



「父さんからの連絡は、ないしなぁ···」



 ラルを使い、レイフは確認する。シオンからの連絡は、ない。



「あの馬鹿は本当年をとっても変わらないわよねぇ」



 コナツはぶつぶつと、嫌そうに言った。



「ねぇねぇお母さん、アシス本部って、結構大きい軍だよねぇ~?」 



 ユキは自分の腕から離れ、コナツの顔を覗き込んだ。コナツは目を丸め、頷く。



「ええ、テゾーロの私設軍よ。宇宙連合軍とも軍の大きさ的には匹敵するわぁ」

「お母さんも潜入には全面協力してくれるんだよねぇ?」

「も、勿論よぉ。23年前のデータになるけど、アシス本部の地図データもあるわよぉ」



 元々コナツはアシスのものだったため、本部の地図データも所有しているのだろう。ガリーナを救出するためには大変頼もしい。



「言質、取ったからね~」



 ユキはコナツに対してウィンクをする。ん?とコナツは不安気に顔を歪めたが、ユキは颯爽とリビングルームから出ていく。



「じゃ、準備するね~」

「準備?準備ってなによぉ?」



 準備?ユキは何か思いついたのだろうか?

 レイフも身体を起こし、2人の後についていこうとするが――肩を強引に掴まれる。



「じゃ、お前はアシス本部に着くまで、特訓な感じなー」

「えっ」

「MA対策しとかないと、嬢ちゃん助けられない感じだろー?」



 パパゴロドンの尻尾が、びたんびたんと床を叩く。怒りを含めているような尻尾の動かし方で、レイフはぎくりとする。


「特訓するんだぞー」

しおり