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第14話 指図をするというストレス、指示待ちするだけという小狡さ

 新入社員たちは地道にこつこつと、またこつこつと、岩壁を叩き続けた。皆の口から出る言葉は、元からそう多くあるわけではなかったが、それでも次第にますます減ってゆき、ついには

 こつこつ
 こつこつ
 こつこつこつ

という音だけが、宇宙開闢のときから未来永劫に到るまでただその音だけがこの世界にあったかのように、耳と、脳と、全身とに感知され続けた。
 だが遂に、そこに変化が現れた。

 がらっ

 それはそういう音だった。全員が瞬時に振り向く。その視線の先には結城がいて、結城の右手にはハンマーが握られており、反対の左手は岩壁に触れており、そして彼の体の前面で土煙が、彼のゴーグルのライトの光の中でもよもよと浮かびあがっていた。
「おっ」最初に声を挙げたのは天津だった。「何かゲットしましたか」
 結城は眼を真ん丸くして振り向く。「先生、これは何でしょう」
「どれ、おお」天津はすぐに傍へ駈けより、そしてすぐに感嘆の声を挙げた。「身代わり土偶ですね」
「身代わり土偶?」三人は声をシンクロさせ訊き返した。
「はい」天津は多少興奮気味に眼を輝かせて頷く。「いにしえの時代、人に災厄が降りかかるのを避ける為に身代わりとして使った、呪術アイテムです。びっくりするほど高価ではないですが、まあまあの値で売れますよ」
「売るのですか」本原が、岩壁の奥に上半身だけを斜めに覗かせている人型の土器から視線を外し、天津に振り向いて訊く。「私たちの身を護る為に使うのではなく」
「あ、ええそれはどちらでも」天津は慌てたように何度も細かく頷く。「ご判断にお任せして」
「売るとしても、誰に売るのですか」次に時中が振り向き訊く。「古物商? というか、どこかの研究機関に提出したりしなくても良いのですか」
「ああ、それでももちろん構いません」天津はまた頷く。「売る場合は古物商ではなく、マヨイガに売ります」
「マヨイガ?」三人は声をシンクロさせて訊き返す。「迷子になった蛾ですか」結城が一人続けるが、他の二人は彼を振り向きもしなかった。
「ではなく、迷子の家、ですね」天津は眉を八の字にして微笑む。「あっちこっちうろうろしてます」
「家が?」三人はまたシンクロで訊く。
「はい」天津は普通に頷く。「たまに、遭遇します」
「どこで?」結城が訊く。
「洞窟の中の、どこかで」天津が答える。
「移動してるんですか」時中が訊く。
「そうですね」天津が答える。
「生き物なのですか」本原が訊く。「お話をしたり、なさるのですか」
「話したりはしません」天津は首を振り「生き物……うーん、微妙ですね」次に首を傾げる。「まあ、死んではいない、かと」
「死んでる家ってどういう家ですか」結城が思わず声を高める。「ホラーだなあ」

「うるさい」

 突然、声が聞こえた。全員、動きを止め押し黙る。
「いい加減にしてよ、女みたいにぺちゃくちゃぺちゃくちゃ、ここ洞窟なの、声めちゃくちゃ響くのよわかんないの? うるさいにも程があるのよ」それは女の声、だが本原のものではなかった。
「あ、す、すいません気をつけますー」そして答えたのは天津だった。「じゃあ、どうしますか、あの土偶掘り出して持っときますか?」声を潜めて三人に問いかける。
「え、どっちでもいいんですか?」結城が彼の中では最小レベルの音量で訊き返す。「って、今喋ったの誰っすか? あの土偶?」
「そう、ですね」天津はちらりと横目で土偶を見遣る。「土偶自身なのか、或いは鯰(なまず)が腹話術してきたのかは不明ですが」
「へえー」結城は驚いて口をすぼめる。「やるな、鯰」
「持って行きましょう」本原が真顔で告げる。「私たちを護ってくれるものならば」
「お、そうする? よーし、じゃあ俺が」結城が颯爽と土偶に近づく。
「あ、気をつけて」天津が慌てて後を追う。
「大丈夫ですよ。まさか土偶の眼からビームが出るとかじゃないでしょう? ははは」結城は振り向き、彼の中では普通レベルの音量で軽口を叩く。
 途端、土偶の眼から白い光線が走り対面の岩壁に当たって一部を破壊した。
「あつぁっ!!」結城は叫んで光線のかすめていった左耳を両手で抑えた。
「大丈夫ですか」天津が眼を見開いて結城の肩を支える。「何をするんですか、危ない」土偶に向かって抗議する。
「とても我々を護ってくれる存在とは思えない」時中が首を振る。
「真面目に仕事する者なら護るさ、もちろん」土偶が冷たく言い放つ。「いいかお前ら、これは仕事だからな。忘れるな」
「わかりました」本原が深く頷く。
「俺だって、わかってるけど」結城は口を尖らせていまだ耳をさすりながらこぼす。
「それからお前」土偶の声が高まり、全員が一瞬肩をぴくりと震わせた。「指導者ならもっときちっと、めりはりつけて指示しろ。さっきから黙って見てりゃ、こいつらの好きなようにだらだら任せやがって。だらしないぞ。ぴしっとしろ」
「は、はい」天津が背筋を伸ばして返事する。「すいません」
「うわあ」結城が首を振る。「すげえ体育会系だ」
「つべこべ言わずにさっさと岩眼を探れ」土偶がなかば怒鳴る。「日が暮れるぞ」
「はい」全員がつられて声をシンクロさせ返事した。
「そ、それじゃ、効率よく進めるために叩き方を指示します」天津が人差し指を立て今更ながら指示を出した。「一箇所を五回、叩いて何も変化がなければ五センチ右横に移動してまた五回、叩いて下さい。ええと時中さんが地上一・七メートルの位置、結城さんが一・五メートルの位置、本原さんは一・三メートルの位置でそれぞれ、右横に移動しながら叩いていって下さい」
「わかりました」三人は早速言われた通りの作業に入った。
 そしてその指示通り全員はそれぞれの高さを叩きながら少しずつ横に――つまり洞窟の奥へと進んでゆき、少しずつ、土偶から離れていった。
 だが誰一人、「あ、そういえば土偶は持って行かないの」と言葉にする者はいなかった。
「はっ」土偶は独り、岩壁の奥で毒づいた。「誰も好きこのんで指図なんかしちゃいないっての」

「もう、大丈夫だよね」しばらく叩き進んだところで、結城がそう口にし、元来た方向を首を伸ばして見遣った。
 そこは、先程の小部屋のような場所からさらに奥へ続く岩の小道であり、空間としては再び上下左右ともに狭苦しいものになっていた。だが全員、そのことに対して今は不満を抱いてはいなかった。何しろビームが飛んで来るよりはましだ。
「あーびっくりした、さっきの土偶」ゴーグルの上を腕で横に拭いつつ、結城はふうと息をついた。「なんだったんだ、あれ」
「すいません」天津が申し訳なさそうに眉をしかめながら苦笑する。「いきなりあんな野蛮なのと遭遇するとは、迂闊でした」
「いやいや、天津さんの所為じゃないですよ」結城が研修担当を励ます。「運の巡り合せが悪かっただけでしょう」
「ではあんな野蛮なのではないものと、今後また遭遇するという事ですか」時中が、法の網の目を潜る悪徳業者のごとく、揚げ足を取る。彼のゴーグルの下には更に彼自身の眼鏡があり、それらはそれぞれに光った。
「そ」天津はたじろいだ。「それは」

 がらっ

 その時、また“その音”が響き、全員が瞬時に振り向いた。
 今度掘り当てたのは、本原だった。彼女は両手でハンマーを握りこんでおり、彼女の前面にはライトに照らされて土煙がもよもよと立ち込めていた。
「――あ」天津が眼を見開く。
 その岩壁の奥から覗いていたものは、幅数センチくらい、長さ二十センチくらいの、直方体のものだった。
「何、これ」真っ先に駆け寄った結城が首を突き出すように覗き込みながら声を挙げる。「ペンケース?」
「でもちょっと曲がっています」本原が異論を述べる。「それに形も左右対称ではないようです」
「それは、柄です」天津が二人の背後から声をかける。
 二人、そして時中が振り向くと、何故か天津は三人から――というよりもその“柄”から数歩離れたところに移動しており、そして何故か顔の前に両腕をかざしており、そして何故かその顔は苦痛に苛まれるような表情をしていた。
「どうしたんすか、天津さん」結城が声をかける。
「柄ですか」本原は天津の様子に構わず話を続ける。「何の柄ですか」
「剣です」天津は苦しそうにしながらも答える。「銅剣ですね」
「銅剣」三人はシンクロして復唱する。
「へえー、武器?」結城が続け、その柄に触れようと手を伸ばす。
「あっ」天津が慌てて手を伸ばす。「結城さん、なんともないですか、それ」
「え?」結城はさすがに直前で手を止め、もう一度天津に振り向く。「何が?」
「いや……痛みとか、痺れとか、来ないですか」
「いや特に」天津の問いかけに、結城は己の両手を見下ろしながら答える。「なんとも」
「――」天津は相変わらず両腕を顔の前に――まるで何かから身を庇うように――かざしたまま、その向こうから結城を見て「ですか……であれば……違うのか」呟く。
「違う? 銅剣じゃない?」結城が訊き返す。
「いえ」天津は小さく首を振る。
「というか、どうしてさっきからそんな所に立っているんですか」時中がやっと、天津の異変を指摘した。「天津さんには痛みや痺れが来ているんですか」
「――はい」天津は首をうなだれさせた。「すいません……その銅剣、さっきの土偶と同じ、呪具なんですね」
「呪具?」三人がシンクロで訊き返す。
「はい……元はいわゆる、悪霊とか邪神を祓うための祭器だったんですが」
「まあ」本原が食いつく。「それでは天津さんは、神さまは神さまでも邪神なのですか」
「いえ、違います」天津は慌ててかざしていた両腕を下ろし両手をぶんぶんと左右に振った。「僕はそういうのではないんですが、この銅剣の方が年月経つうちに見境なくなってきちゃってですね」
「へえー」結城がまじまじと、岩壁の奥に鎮座している柄を見遣る。「もう片っ端から祓ってしまえ的なことになってるってことですか」
「はい」天津は相変わらず気分の悪そうな顔で頷いた。
「でもそれじゃさっき、私に『何ともないですか』とお訊きになったのはまたなんで」結城は再び天津に振り向く。「私は人間ですよ?」
「悪霊の疑いがあるということか」時中が答え、
「邪神の仲間かも知れないからではないでしょうか」本原が答える。
「いえ、いえいえ」結城が女言葉で叫び出す前に、天津が否定した。「もしかして人間にも悪影響を及ぼすようになってたらいけませんから。ただそれだけです」

 ――つまりスサノオではない、ということか。

 そう判断する声は、直接耳に届くものではなかった。その“判断の声”を発したのが自分の心中なのか、それとも別の神なのか、それすらもあやふやであった。いってみればその“判断の声”の主は、会社そのもの、なのかも知れない。
「まあでも、天津さん苦しそうだから、これは見なかったことにして埋め戻そう」結城は独断でそう告げ、崩れ落ちた岩塊を拾い上げて窪みに嵌め込みはじめた。
「勝手にそんなことして良いのですか」本原が意見を述べる。
「うん、まあいいよ」結城は軽く肩をすくめで嵌め込み続ける。「だって先に進めないじゃん、こんなのあったら。それに単純に、天津さん気の毒だし」
「この場での指揮管理権は天津さんにあると思うが」時中も意見を述べる。
「あ」天津は腕を下ろし――実際に結城が埋め戻してくれたおかげで苦痛はすぐに消えた――「えーと」何か指示をしなければと考えを高速で巡らせた。
「まあ、いいっすよ。ねえ」結城は振り向き、声を高めた。
 本原と時中が眉をしかめ耳を塞ぐ。
「万が一掘り出したとしても、指揮管理者の具合が悪くなっちゃあ研修続行不可能でしょう。そんなものは、必要ないどころか廃棄対象ですよ。はははは」
「うるさい」時中と本原がシンクロして抗議する。
「すいません」何故か結城の代わりのように天津が謝罪し、一行は再び細く狭い岩の道を奥へと進んだ。
「……あるいは」天津がそっと呟く。「その力の強大さに“刃”が立たなかった……とか」
 その独り言は、先をゆく三人の新入社員の耳には届かなかった。しかし、会社の者――あるいは会社そのもの――には、伝わったことだろう。

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