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スプートニクにさよなら

 三か月という時間を掛けて企画した物語はしかし、担当編集によって電話越しにバッサリと切られた。

「ウチの読者層とはずれちゃう気がするんですよ、先生のお話はとても面白いと思うんですけどね」

 否定形で褒められて、思わず言い返しそうになるが、それで企画が通るようになるわけでもない。大きく深呼吸をして気持ちを落ち着けると、短く礼を言って電話を切った。
 肺腑から噴き出しそうになる悪態を飲み込み、しかし飲み込む必要もないのか、と気付いたときには吐き出す元気すらなくなっていた。
 一年前に念願の書籍化を果たした私は、次作について伸び悩んでいた。
 一〇回も二〇回も公募に落ち、それでもアルバイトをしながら書き続けていたのだが、デビュー作が軌道に乗らなかったことで打ち切りの憂き目に遭い、企画が通るまでは書くことすら許されなくなった。
 商業作家は売れるものを書くことが求められる。
 長い年月、構想を練り続けてきたデビュー作ならばともかく、まっさらなところから新規の物語を書くには、多くのものごとを決め、精査し、その上でプロットを練らないとならないのだ。
 そうして作ったプロットを設定とともに担当編集に送るのだが、今日で七回目であった。
 私の考える設定はどうにも担当編集の琴線には触れないらしく、提出するたびに否定される。もちろん担当編集とて、自分が担当する人間が鳴かず飛ばずでは困るだろう。時には意見をくれたり、修正案について考えてくれることもあった。
 しかし、どこかを修正すれば他の場所にほころびが生じる。そこを直そうとすれば、別のどこかが崩れていく。
 豆腐を楊枝で救おうともがくような、先の見えない虚無感のまとわりつく作業であった。
 仕方なしにそれまでのプロットを破棄して再び一から創作する。
 そうして、三つ目の物語を作ったところでいつも通りにダメ出しをされ、私はついに担当編集に不満をぶちまけた。担当編集はそれをきちんと受けて止めてくれたものの、その次である今日に関しは修正案もなければ意見もない。
 しいて言うならば、『ウチには合わない』というのが意見であり感想だろうか。
 きっと彼も、私が怒ることを厭って何も言えないのだろう。あるいは、私そのものを厭っているか。
 燃え尽きた不満が溜息となって吐き出される。
 ふと脳裏によぎるのは、諦める、という選択肢だ。
 同世代の友人たちが就職し、結婚し、子どもを設ける。
 今では二児、三児の親という者もいる。
 それに対して私はどうだろうか。
 高校生や大学生と並んでアルバイトで食いつなぎ、ようやく叶えた書籍化の先に待っていたのは、創作すらできずに苦しむ自分であった。
 いつか自分の作品でパンパンにしてやる、と意気込んで買った大きな本棚には、デビュー作にして唯一の書籍が寂しそうに佇んでいる。

「……ダメ、か」

 ことばに出すと、すとんと落ちた。
 私にはきっと色んなものが足りないのだろう。
 それは担当編集のことばに対する真摯さかも知れないし、いわゆる才能と呼ばれるものかも知れない。
 もしかしたら運などという自分にはどうにもできないものである可能性もあったが、とにかく何かが足りないのだ。
 諦めるという選択肢が脳裏で小躍りしているが、どうにもそれを選ぶことができなかった。
 これではまるで、作家になるために創作し、作家になったことで『終わった』みたいではないか。
 そうではない。
 書くことが好きだった。
 創作すること自体が好きだったんだ。
 誰かの心を動かしたかった。
 そこまで考えて、すでに自分が過去形で考えていることに気が付いた。
 ああそうか。私は終わるんだな。
 ぽろりと涙がこぼれ、そのまま止まることなくあふれ出す。
 頭の中がぐちゃぐちゃになってしまった私はまともに考えることもできず、大声で泣き叫び、暴れた。手書きでまとめた資料の類をぐちゃぐちゃに破り捨て、書籍を投げ、一〇年もの間苦楽を共にしたテレビを引き倒す。
 投げつけるようにして座卓をひっくり返し、目についた悉くに感情をぶつけた。
 そうして、どのくらいの時間が経っただろうか。
 一時間か、二時間か。
 もしかしたら、もっと経っているかも知れなかったが、デジタル表示の置時計は私が暴れたときに割れてしまい、何も映していない。
 色んなものが散乱した部屋の真ん中、私は妙にすっきりしていた。
 子供のように癇癪を起し、鬱憤を晴らしたからだろうか。
 それとも作家となり、夢を叶えたことで満足したからだろうか。
 半分に破け、べろんと垂れ下がっているカレンダーに目をやる。シャッターを露出したまま放置し、星々の軌道が線となった夜景が描かれたカレンダー。
 ふと、脳裏に浮かんだのは世界初の人工衛星であった。
 実験のために地球を飛び立ち、打ち上げが成功したことで役目を終え、大気圏へと突入した衛星。摩擦で真っ赤に燃え、そのまま消えてしまった小さなそれは、最早どこにも残っていない。
 衛星は、燃え尽きるときに青い地球を見ながら何を思っただろうか。
 妙に感傷的な自分に気付くと、むしろ滑稽にすら感じて笑いがこみ上げる。
 くく、とのどを鳴らして笑うと、すっかり感情を吐き出し終えたためか、むしろ爽快にすら思えてくるのだから不思議なものである。
 最期くらい、書きたいもの書くか。
 差し当たっては部屋の片づけをしなければなるまい。当然と言えば当然だが、私には速筆の才もなく、長丁場になることは目に見えているのだ。
 ひりひりする洟をこすりながらも部屋を見回す。
 そして、まぁ良いや、とすべてを無視してデスクへと向かった。
 先も後もない。
 私は、今を生きたいのだ。

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