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喜劇・五輪離婚 ~オリンピック・ディボースショウ~

「だいたい、私は夏って嫌いだし」
「身も蓋もないこと言うなよ」
「そうだね、いまのは忘れて」
「えーと、なんだっけ、どこまで話した?」
「だから、結局は何のためにやるのってこと」
「ああ、そうだ。もちろん、何回も言ってるとおり、選手のためだよ」
「慎一とか賛成派の人たちはそう言うけどね、本当に選手のためを思ってるようには見えないよ。決めるのは選手じゃないのに、上の人が勝手にいろいろ決めたり、方針変えたりして。なのに、選手が批判されたり」
「批判してるのは反対派だろ」
「私はやってない」
「わかってる」
「選手の待遇も悪い。お金あるはずなのに、外国から来た選手団の食事がカップラーメンだったみたい」
「一応、高タンパク、低糖質のほうのラーメンかもな」
「ちょっと! 冗談で話はぐらかさないで!」
「悪い、悪い」
「まったくもう」
「これも散々話したけどさ、選手にしたって、ボランティアにしたって、嫌ならやめればいいんだよ。本人たちが自分の待遇をわかっても、やりたいって言ってるんだったら、洋子がどうのこうの言う問題じゃないだろ。それしなきゃ生きていけないみたいな、ブラック企業の問題とは違うんだし」
「だけど……」
「それにしても、結構な時間使って、おれたち話し込んだ気がするけど、実際はそんなに経ってないのかな」

 夕方の六時を過ぎているが、まだ空は明るく、その時間に対する空の色から、初夏の訪れを二人は感じていた。

「……おれも組体操は否定派だよ。あれは危ない」
「そこは意見が一致したね」
「小学生のとき、一番上に乗せられて、練習中に落っこちたんだ。マジで死ぬかと思った」
「生きててくれてありがと。死んでたら、私は少なくとも、原田洋子にはならなかったんだね。偶然、慎一以外の原田性の人と出会う可能性もあるけど」
「もしくは、いまの大川洋子のままとか」
「失礼な!」
「怒んなって。とにかくさ、組体操なんてやってもしょうがないけど、これは別物だろう。参加するのは大人だし」
「大人とか子供とか関係ないよ。誰だって危ないんだから」
「危険なのは、おれも他の賛成してる人たちも、参加者だって百も承知さ。安全って言ってるわけじゃなくて、徹底して安全な形でやればいいんだよ。洋子は映画好きだろ。劇場もしっかり換気に消毒、検温とかしてるから安全だってお前が言ってたじゃないか」
「もう、そうやって揚げ足を取る」
「でも、同じことだろ」
「規模が違いすぎるよ。海外からも来るんだし、終わったら、またそれぞれの国に帰っていくんだよ?」
「そりゃそうだけど。あとさ、すでに二回も延期してるんだぞ。流石に今年2022年にやらなかったら、もうチャンスはないから。いまやめたら、余計にカネもかかるし、他の国にいろいろ説明もしなきゃならない」
「その考えはよくないよ。結果的に完全に中止になったなら、しょうがないんじゃない? そのときは、やめるほうが正しかったってことだから」
「今年こそは普通にやれると思ったんだけどなあ」
「私だって、あれから二年以上も経つのに、いまでもマスク生活してるとは思わなかったよ……」

 二人は壁に掛かったカレンダーを見る。この状況下で迎える三度目の五月だ。今年の連休もまた、旅行をすることはなかったが、どちらにせよ、今回二人にはそんな暇などなかった。

「経済ももうダメになってきてる。みんなギスギスしてるだろ。リモートとかソーシャルディスタンスとかいって、そういうのって、やっぱり心が離れちゃうこともあるし。だからこそ、この一大イベントをやり切ることで、自信が付くっていうか、シンボルとして明るい方向に向かっていけるかもしれないんだよ」
「人の命を懸けてまでやることなの?」
「何かといえば、それ言うよな。命、命って。そういう考えが思考停止なんじゃないのか」
「なによ、それ」
「だいたいだな、式だってお前が望んだから苦労して進めてるんだぞ。おれは別にやらなくていいって言ったのに」
「だって、人生で一番大事なことだし、それにちゃんとやれば安全にできるから」
「ほら、同じじゃないか。あっちのほうも国にとって、国民にとって大事なイベントなんだよ。ちゃんとやればできるし」
「もう、やめてよ、また揚げ足取るようなこと。『マウントを取る』って言うんだっけ? そういうのはしない人だと思ってたのに、最近の慎一、変わったね……」
「おれはおれだよ。ずっと前からこうだよ。それに気づいただけじゃないの。考え方とか含めて、いろいろおれたち、違ってたってことだろ」
「……なんだろうな。昨日のテレビで誰かが『これをきっかけに日本を明るく』って言ってたけど、私たちにとっては、暗くなるきっかけになっちゃったね」
「まあ、先に気づいてよかったんじゃないの。式もやめようか。中止だ、中止」
「ちょっと待ってよ。本気で言ってるの? キャンセル料かかるんだよ? お花とかも、もう手配しちゃってるし、友達とか家族、親類にどう説明するつもり?」
「ふっ」
「は? なんで笑うの?」
「いや、さっきはおれが同じこと言ってたなって。そしたら洋子は、それでもやめるほうが正しいって言ってたろ」
「もうやめて! うんざり!」

 気づけば空は青痣のように青黒くなり始めていた。周囲の家々には明かりが灯っていたが、二人のいる部屋はいまも暗かった。影の中、互いに沈黙したままだったが、しばらくして慎一が立ち上がり、電灯のスイッチを入れた。六畳間にも関わらず、間違えて十二畳用のシーリングライトを買ってしまったため、その光量は部屋の中を不自然なほど明るく照らした。洋子も慎一も眩しさでしばらく目を細めていた。

「悪かった。おれも式は楽しみにしてたのにな」
「慎一には感謝してるよ」
「振り返れば、おれらもこの状況の中、よくここまで進めたよな。いろんな人に手伝ってもらって。ほら、あいつ、藤堂の助けがなかったらと思うとゾっとする。おれも洋子もあいつ苦手だったろ。けど、例のトラブルの一件で、藤堂の頼もしい意外な一面が見れた。おれはこの歳になってから、親友が一人増えたって思ってる。それもすべては、無理してでも結婚式をやろうって頑張ってたからなんじゃないかな。最初から中止してたら、藤堂と絆……って言い方はお前が嫌がるか、まあでも、あいつとの仲は深くなってないはず」
「確かにそうだね」
「だからだよ。困難な状況だからこそ、そこを乗り切ることで生まれる新しい何かってのは絶対あると信じてる」
「わかるよ」
「当然、誰かが犠牲になってもいいなんて思ってない」
「うん」
「いまでもおれは開催してほしい思いは変わらないし、洋子は中止がいい。でも、それでおれたちがケンカするのはおかしいって。おれがお前を怒らせたのに、言える立場じゃないけどな」
「慎一……」
「あらためて、謝るよ」
「こっちこそ、なんかごめんね。ムキになってたかも。それでも、私は中止してほしいけど……でも、そうだね、考え方が違っても、私たちの仲は変わらない。だってほら、私ら趣味も合わなかったでしょ。私は映画好きだけど、慎一は二時間ずっと座ってるのが耐えられないとか言うし。逆に私はボルダリングの面白さに未だに気づけないし」
「楽しいんだけどな」
「そんなんでも、付き合うようになって、結婚までするんだよ?」
「だよな」
「そういうこと」
「腹も減ったし、この話はもう終わりにしよう。そういえば、おれたちのところは今日で緊急事態宣言解除だから、明日は一旦、式のことも忘れて、どっか行こう。ボルダリングとか」
「私は映画がいいな」
「はは、やっぱ合わねえな、おれたち」
「あはは、そうだね」

(完)

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