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第5話 東海道五十三次を描く側とそれを鑑賞する側の違いとは

「ちきゅう?」結城が唇を尖らせて大きく繰り返す。「地球って、我々が住んでるこの」足下に向け何度も人差し指を突き下ろしながら叫ぶ。「ぼくらの地球?」
「――」天津は少しの間視線をさ迷わせたが「ぼくらの、と思っているのは結局、ぼくら側の方、なんですよね」と、結城のものと比べれば砂粒ほどの声量で答えた。
「つまり我々がイベントによって岩盤を開くための許しを乞うのは、地球に対してというわけですね」時中は質問を続けた。
「はい」この問いに、天津と木之花は揃って頷いた。
「しかし当初木之花さんは、聖なる存在は『たくさんいる』と仰いました」時中は木之花の方に顔を向け、彼の眼鏡のレンズが蛍光灯の光を映して一瞬白く輝いた。「地球がたくさんいる、というのはどういう事ですか」
「それは」木之花が視線をさ迷わせ、
「まだよく、わかっていないんです」天津が後を続けた。「いわゆる“聖なる存在”として姿を現すのは、間違いなく地球の――意志、なのは確かなんです」
「地球の」時中が呟く。
「意志」結城が叫ぶ。
「地球さまは、私たちを嫌っているのですか」本原が質問した。「だから排除しようとするのですか」
「――」木之花と天津が揃って視線をさ迷わせた。
「地球さまって」結城が目をぎゅっと瞑って笑った。「どうよ」
「聖なる存在なのだから『さま』をつけました。いけませんか」本原は銀の刃のごとく視線と声を結城に突き刺した。
「それでその“意志”が結局、さまざま怪奇な姿で現れるというのですね」時中が話を戻す。
「はい」天津と木之花は揃って頷く。「予測不能な形で」
「その一つが、さっきのゴツンだった、と」時中は再度確認する。
「はい」天津と木之花は再び揃って頷く。
「わかりました」時中は頷くこともなく、唇だけを動かして答えた。
 しん、と静寂が訪れた。
「へえー」結城が声を挙げる。「地球が怪奇現象起こすのか」
「怪奇ではなく、ヒエロファニー、つまり聖なるものの現れといった方がよいのではないですか」本原が反論する。「怪奇というと何か、ホラーのような、恐ろしい現象という印象になります」
 しん、と再び静寂が訪れた。
「――恐ろしく、ないですか?」天津が小さく問いかける。「さっきの、ゴツン、とか」
「不思議ではありますけれど」本原は天津の方を向いて答えた。「特に恐いという印象ではありませんでした」
「――凄いな」天津は溜息交じりに言い首を振った。「さすがクシナ」
 木之花が天津を横睨みして肘で小突き、言葉を遮った。
「なんですか?」本原が小首を傾げる。
「ああ、以前に研修した方の名前と間違えてしまいました。すいません、本原さん」天津は笑う。
「では皆さん、少し時間は早いですが、今日はここまでと致しましょう。明日また十時に、出社して下さい」木之花は三人の新入社員を見回して告げた。「お疲れ様でした」

「ヒエロファニー、か」大山は頭の後ろに手を組み、そう言ってふう、と息をついた。「確かに、受け入れ力最強だね、本原ちゃん」
「“ちゃん”づけはセクハラになりますよ」木之花は注意した。「社長」
「あそう、ごめん」大山は口を尖らせぶつぶつと謝る。「んじゃ、クシナダヒメ」
「――」木之花は黙っていたが、眼を細め大山を睨む。
「まま、本人にはその名では呼ばない、悟られない、そういう方向で、ですよね」天津が両掌を二人に向けやたらと愛想笑いを振りまく。
「そもそも、本人じゃありませんからね、彼女」木之花は天津と大山を交互に見ながら確認を取るようにゆっくりと告げる。「あたし達が勝手にそう位置づけてるだけで」
「そう。そういうことだ」大山は大いに頷く。「だから本人に、自分が人身御供にされるなんて事を決して悟られちゃあいけない。いいね、天津君」
「は、はい」天津は慌てて大きく頷く。
「研修の方はどうだ。皆、順調に知識を身につけていけてるかね」大山は天津の肩にポンと手を載せる。「岩盤だけでなく、儀式の事も」
「あ……儀式については、まだこれから取り掛かる所です」天津は全身で萎縮するように見えた。「明日から、追々やって行こうかと」
「うん」大山は笑いながら頷いた。「期待してるよ」
「――ええ」天津も笑いを返しながら、小さく返事した。
「よし。じゃあ、後は任せた。よろしく! お疲れ!」大山は元気よく片手を挙げ、勢いよくドアを開け出て行った。
「――は」木之花が短く息をつく。
「期待してるよ、か」天津はぼそぼそと、呟いた。「最高のパワハラだよ」
「ねえ」木之花が何事か思いついたらしい目つきで天津に振り向いた。「社長と結城君って、似たタイプだと思わない? ある意味」
「そう?」天津は天井に眼を向けた。「ああ……まあ、やたら元気ってとこ?」
「とか、後先考えなさそうなとことか」木之花はそう言った後、またなにか思いついたらしく腕組みをし片手で顎に触れた。「やっぱりさ」
「え?」天津は眉を持ち上げる。
「彼が……スサノオ、なのかしら」
「――」天津はしばし無言だった。「わからないな」
「よね」木之花は苦笑した。「暴風雨の神、って感じでも、なさそうだしね」
「意外と、時中君の方がそうだったりして」天津はそう言って笑った。「一旦怒ると手がつけられなくなったりして」
「どうかな」木之花は首を傾げる。「まあ、そのうちわかるかもね」
「がっかりさせられる可能性も高いけどね」
「くく」木之花は手で口を抑え、肩を震わせて笑う。
「ん、何?」
「それ、“最高のパワハラ”ですよ」木之花は訊ねる天津を指差す。「ヒラ社員さん」
「――あ」
「ま、そもそも期待すんなって事よね。スサノオにも、ヒラにも」木之花はそう言うとバッグをひょいと肩にかけた。「じゃ、お疲れ様。お先に」
「あ、ああ、お疲れ」天津は片手を挙げ、バタンと閉まったドアをしばらく茫然と見つめていた。

     ◇◆◇

 みちゃ。
 みちゃ、みちゃ。
 ――
 みちゃ。

 鯰が動くたび、粘質な音がする。
 鯰は岩盤の上に半身を乗せ、そこから上に昇るでも下に降りるでもなく、ただみちゃみちゃと時折体をくねらせていた。
「だいたいね」
 やがて鯰は独り呟きはじめた。
「人間っていうのは、――特に若い世代の奴らは、この世のすべてが簡単な、単純な式に収束できるもんだと思い込んでんのよ。そういうとこが、なんか嫌い」

     ◇◆◇

「いやあー、びっくりしたねえ今日は」門の所で結城は他の二人に向かい、眼を剥いてコメントした。「一体何なんだろうね、あれ」
「地球の意志だ」時中が答える。
「ヒエロファニーです」本原が答える。
「うん、うん」結城は一旦受け入れ、そして「で、それって何?」と問う。
「要するに、警告だ」時中が答える。
「メッセージです」本原が答える。
「うん、うん」結城はまた一旦受け入れ、そして「何の?」と問う。
「我々に『来るな』と言っているのだろう」時中が答える。
「『ようこそ』と言っているのでしょう」本原が答える。
「うん、うん」結城はまた一旦受け入れ、そして「いや、どっち?」と問う。
 二人を見渡すも、二人は特に視線を合わせるでもなく、互いに無表情に佇んでいた。
「まあ、いっか」結城は結論を延べ、それから「いやあ、それにしても今日の研修って内容濃かったよねえ! マントルがどうとかプレートがこうとかって、解ったあれ?」と、話の矛先を別次元に向けた。
「敵を知らずんば、という奴だな」時中が答える。
「私たちがこれからお会いする聖なるお方についての知識です」本原が答える。
「うん、うん」結城はまた一旦受け入れ、そしてもう何も言わずにいた。
「それにしても、悠長な話だ」代わりに時中が話を繋げる。
「えっ、悠長? 何が、何が?」結城は餌を求める池の鯉のごとくに喰いついた。
「警告にしろヒエロファニーにしろ、地球は人間が――恐らく生物が誕生した時から、何らかの形でそれを発し続けていたのだろう」時中が言い、首を振る。「ずっと、この長きに渡る時間」
「ああー」結城は大きく顎を上げ大きく振り下ろした。「確かに! そりゃあまた、気の遠くなるような話だよな! 俺らの寿命なんてその時間からしたら、ほんの一瞬みたいなもんだろうよ。大体俺ら、ほんの五十年後だってどうなってるのかわかりゃしないけどな」
「そうですね」本原が同意する。
「ねえ!」結城はそれに機嫌をよくし、眼を大きく見開いた。「本原さんなんて、自分がお婆ちゃんになるなんてこと想像もできないでしょう」
「私は、結構なスピードで歩くおばあちゃんになりたいです」本原は真顔で答えた。
「え?」結城は金縛りに遭ったかのように硬直した。
「時々いるでしょう、結構なスピードで歩くおばあちゃんって」本原はにこりともせず続ける。
「ああー」結城はすぐに大頷きを再開させた。「わかる! はいはい、いるね、いるよ。結構なスピードで歩くおばあちゃん」
「何故そんなものになりたいんだ」時中もまた表情を緩めるでもなく訊ねる。
「憧れだからです」本原は時中に向かい答える。「多分ああいう人が、日本最初の地図とか東海道五十三次とか作ったんだと思います」
「おおー」結城は感動を口にし首を振る。「なに、本原さんのおばあちゃんがそういう人なの?」
「はい」本原は今度は結城に向かい答えた。「私のおばあちゃんは恐らく、東海道五十三次を描く側の人だと思います」
「おおー」結城は大頷きを止めることなく繰り返した。
「では失礼します」本原が唐突にお辞儀をして立ち去る。
「では」時中が軽く頷き背を向ける。
「あ」結城は左を向き右を向きする。「ああ、うん、お疲れさん」そして二人の背にそれぞれ挨拶する。
 夕焼けの空に、烏が二羽飛び去って行く。
 結城はそれを見上げ「また明日」と声をかけた。
 烏は答えない。無言で、茜の空を飛んでゆく。
「俺は、どうだかな」結城はその影を見送りながら独り呟いた。「東海道、五十三次……描く側か、はたまた眺めてホウホウ言ってる側か」
 誰も、何も答えることはなかった。

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