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エピローグ3

凍てつくような寒さに目が覚めた。

触れる床も空気も、氷のような冷たさ。しまった、早く部屋を暖かくしないと、と大急ぎで小さな部屋を出ようとした……が。
ベッドに彼女はいなかった。もう暴れないだろうと思って鉄格子のドアのカギもかけてはいなかった。
「マティエ……?」ふと、白い息とともに寂しく漏れる言葉。

焚き木を取りに行かなければいけない目的も忘れ、ひたすらに小さな彼は部屋中を探した。
しかし彼女の痕跡はどこにもない、いつの間に外へと出て行ったのだろう。焦りはつのるばかり。

「それほど食事もとっていないし、あまり歩ける身体じゃないはずだ……」ルースはラボを飛び出し、城の方へと向かう。
彼女のわずかな匂いを追って出ようとしたが、そこに痕跡は残されてはいなかった。
となると……まだこのラボのどこかにいる?
しかし、見つけていない場所と言えば……台所くらいしか。

台所!?

思い出した。自分とタージアと二人でここで研究をしていた時のことを。
このラボにずっとこもりっきりの時とか、タージアが簡単な夜食とか作ってくれた台所が!
ルースはちゃっちゃっと爪音を床に響かせて台所まで走った。ラボからさらに伸びる一筋の通路を。
湿ったカビ臭い空気の中、ふと……懐かしい匂いが混じり込む。
これは……

「マティエ!」自分用のサイズで作られていない重い鉄製のドアを開けると、そこには冷たい空気は漂っていなかった。
懐かしく暖かく、そして美味しそうな匂いが、小さな部屋中に満ちている。
「ようやく起きたか。おはようルース」

真っ白な寝巻のままだが、そこにはかつての、寂しげだが優しい笑顔の彼女がいた。
「マ、マティエ……もう大丈夫なのか!?」
きょとんとした顔で彼女は答えた。
「ああ、この前負ったわき腹の傷か? それならもうふさがっているが?」
「いや、そうじゃなくて……君の」
マティエは朝から慌ただしいなというと、簡素な木製のテーブルの上に、まだ熱々の湯気の立ち昇るスープ皿を置いた。
「こ、これ……君が作ったの?」
それは芋とトウモロコシの粒、そしてルースの大嫌いなニンジンが煮込まれた牛乳のスープ。
「残ってた野菜しかなかったけどな……口に合うかは分からないぞ」

そしてマティエも向かいの椅子につき、軽く祈りをささげる。
サイズこそ全く違うが、共に味わう朝食。

「夢を見ていた……」うつむき加減にマティエは、そうつぶやいた。
「ゆめ……?」
「ああ、とても長い夢だ。パデイラの攻防から続く、長い夢だ」
パデイラ……その名前にルースは思い出した。マティエが心に深い傷と、そして一族の誇りの象徴である大きな角を失ったあの地。

「ボロボロになった私は、ずっと暗く長い、先すら見えない道を独り歩き続けていた……胸からあふれ出しそうな、もはや拭いきれない泥のような血の固まりを抱えたまま」

ルースはマティエの作ってくれたスープを一口、口に含んだ。
うえっ。と嗚咽を出しそうになる衝動を寸前でこらえる。
不味い。ラッシュの言葉を借りれば、糞のように不味い出来栄えだ。
ミルクと塩だけなのに、一体どうすればこれほどまでに混沌とした味を作り出せるのだろう。別に野菜は傷んではいない。けど……

そうだ、これがマティエだ。
自分との結婚のために、今まで学んでもいなかった料理をずっと勉強して……だけど、どうやってもできる料理は総じて沼の底にたまった泥のような味と化してしまう。
無類の味オンチ、それこそがマティエなんだ。

「その道からは出られたのかい、マティエ」
ああ、と彼女はうなづき「はるか先からたくさんの人の声が聞こえたんだ。けどそれは亡者が誘う声とは違うとすぐに私は確信した。これは生きている仲間たちの声だってことに」

マティエは自分の錬成した混沌の味のスープを、眉一つ動かさずに完食し、おかわりを皿によそった。
「ジールに、タージアに、マティエに……そしてルース。だけどなぜか王もいたな。私を呼んでいて、その中には……そう、この前会ったばかりのラッシュもいた」

その言葉に険しさは全く存在しなかった。思い出を懐かしむかのような、白い吐息に包まれた、優しい言葉。
分かる。あの頃のマティエとは全く違うことに。けど秘蹟で錯乱した時の彼女とも違う。
……乗り越えたんだ。克服したんだ。
きっと自分に会う前の、ぶっきらぼうだけども、ぎこちなく優しい彼女に。


「ルース……あとでこういった場合の詫びの仕方を教えてくれないか?」
「詫び……? いいけど、なぜ?」
「ラッシュの……いや、あの男たちの前で無礼を働いたしな。きちんと謝らなければと思って」

ふいに、どっとルースの目から涙があふれ出た。
こんな彼女じゃなかったのに、けどマティエなんだってことに。
「う、うん……いい、よ」涙でつかえて言葉が出ない。
「いろいろ、失くしてきたことを追っていかないとな……なによりもお爺様や父上、先祖のみんなに示しがつかないし……悪いけど、手伝ってくれないかルース」
「そう……だね、二人で頑張っていかなきゃね……」
「ほらきちんと食べろ。作り立てが冷めちゃもったいないだろ?」

言われて慌ててスープを口に運んだ。
ああ、なんだ、さっきの味とは全然違ってたじゃないか。きちんと深い塩も感じる。
……じゃない、涙だねこれ、全然涙止められないから、その味が……
「大嫌いなニンジンもあえて入れておいたからな。ちゃんと残さず食べるんだぞ」

「ああ……大丈夫。残さないから……」

なんだこのニンジン。涙が止まらないからかな……全然嫌な味がしないや。

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