バナー画像 お気に入り登録 応援する

文字の大きさ

ドナレオ・ダビルはかく語りき~天才或いは狂気という名の探究者

 ドナレオ・ダビルは、後に狂科学者として迫害される身となったが、無論彼にも幼き日、そして美しき日々ががあった。

 この記録はドナレオ・ダビル自身の筆ではない。
 彼の良き協力者となったソラリア高原の高地人達、中でも、ドナレオ・ダビルと出会った当時に既に若くはなく病で家族を失い、ドナレオ・ダビルによって知った科学と医術に残りの人生を捧げても良いと考えるようになったジュノという名の女性が書き残したものである。
 従って、曖昧な部分や必要以上に尊敬が含まれている部分もあるかもしれないが、ジュノは、高地人達の中でも最も長い時間をドナレオ・ダビルとの研究に費やしており、彼から多くを聞き知った人物でもあるから、数あるドナレオ・ダビルに関する記録の中では最も信頼に値するものである。

 才能に恵まれた者、或いは天才と呼ばれる者達の多くは、外見すなわち容姿も整っていることが多いようだ。容姿が整っているからと言ってすなわち天才とは言えないが、歴史上の多くの天才或いは才能豊かな人物は、容姿にも恵まれていることが多いのは、読者も感じるところではないだろうか。
 “天は二物を与えず” と言われるが、実は、世の大半を占める常人を慰める (ことわざ)であり、天賦の才を与えられた者は複数の 贈り物(ギフト)を与えられていることが多い。

 ただ、様々な 贈り物(ギフト)を与えられているとしても、必ずしも幸福に繋がるとは限らないし、 贈り物(ギフト)も本人によって磨かれなければ輝くことは無いのである。

 ドナレオ・ダビルもまた、生まれながらに多くの天賦の才を持ち、それこそ天使のように美しい子供だった。ただ、周辺の子供達とは感性も考え方も全く違っていたので、同じ年頃の子供達は勿論、周囲の大人達も戸惑うことばかりだった。

「ダビ君の喋ること、全然わかんない」
「ダビ君と一緒に居てもつまんない」

 同じ年頃の子供達が彼の遊び相手になることはなかった。
 それでも、ドナレオ・ダビル少年は、自分を取り巻く美しき世界に魅了され、飽きることなく没頭したので、孤独を悲しむ必要は無かった。
 それに、ドナレオ・ダビルは貴族の家に生まれたので、幼い頃より家庭教師について学問をする機会が与えられた。学問は、ドナレオ・ダビル少年の素朴な疑問は勿論学究的な疑問にも答えてくれた。学ぶことは楽しく、まだ見ぬ他所の土地や知らない国についての書物は、ドナレオ・ダビル少年の好奇心を掻き立てた。
 ドナレオ・ダビル少年は、寝る間も惜しんで学び、書物を読みふけった。

「先生が先週教えて下さった事と、今の説明は矛盾しています。そのことについて、僕ならこう解釈します」
「先生、そこの計算式は部分的に間違いがあります。正しい計算式と解はこうです」
「先生、その実験の仕方だと条件が統一されません。比較実験の為にはふさわしくないと考えます」

 ドナレオ・ダビル少年が家庭教師の誤りを度々指摘するので、ドナレオ家の家庭教師は成り手が居なくなるほどだったという。

 ドナレオ・ダビル少年が十代に達する頃には、全ての学問に於いて家庭教師を凌駕してしまったので、誰からも教えを受けることが出来なくなり、誰ひとりとしてドナレオ・ダビルを理解することは出来なくなった。

 それでも、ドナレオ・ダビルは後に回想している。幼き日に学問の機会を与えられたのは 僥倖(ぎょうこう)であったと。

 ドナレオ・ダビルほどの稀有の天才でも、学問に触れる機会が全く与えられなかったとしたら、彼を取り巻く驚異の世界の不思議に気付けなかったかもしれず、気付けたとしても、それについて深く思考するには至らなかったかもしれないのだ。
 故に、たまたま貴族の家に生まれたことにより幼くして学問の機会を与えられたことは、ドナレオ・ダビルにとって、何事にも代え難き偶然の幸運なのだった。

 ドナレオ・ダビルは語る。
 如何なる努力も、一瞬の 直観(ひらめき)なしには輝くことが出来ない。そして、その一瞬の 直観(ひらめき)は、幼少期に学問に触れ、学ぶことの素晴らしさ、真理を探究することの面白さ、それらに () () () ()からこそ得られたものであると。

 真理への探究者としての目覚め、それ無くしてドナレオ・ダビルが直観《ひらめき》を得ることは無かったであろうし、天才と呼ばれることも、後に狂科学者と呼ばれることも無かったかもしれない。

 10代に至る頃には如何なる家庭教師をも凌駕し、誰からも理解されることのなくなったドナレオ・ダビルは、或る意味孤独であった。同年代の友人を持つことは不可能で、誰一人としてドナレオ・ダビルと同等に論じることは叶わなかった。ドナレオ・ダビルの世界には彼一人しか存在できなかった。
 それでも彼が孤独を感じなかったのは、彼を取り巻く世界が美しく驚異に満ち、彼はそれを追求することに夢中になれたからだった。

 ドナレオ・ダビルにとって、人間社会は醜さにまみれていたが、自然界には美しさが満ち満ちていた。光の中の更なる輝点、闇の中の様々な色の光点、小さき生命に隠された神秘、水原《カレル》の水面の煌めき、自然界にあふれる数学、数学に秘められた美しき真理……彼はそれらに魅せられ、何時間でも何日でも飽きることが無かった。

 同年代の友人に馬鹿にされようと、大人達に呆れられようと、ドナレオ・ダビルはそれらを素通りし、自分の世界に没頭した。
 周囲の人間達がますます呆れ、ドナレオ・ダビルを無視するようになっても、彼はあまり気に留めなかった。周囲に満ち満ちた美しき世界を見ることも感じることも出来ない彼らに対し、ドナレオ・ダビルに出来ることはないと知っていたからである。

 ドナレオ・ダビルは、周囲の者達が彼の世界を理解しえないことを苦とは思わず、落胆もせず、自分の信ずるところをただ突き進み、それさえ叶えば幸福だった。
 故に、ドナレオ・ダビルの幼少期は、美しさに満ちていた。彼は、美しいものだけを見つめて過ごすことが出来た。彼は幸福だった。

 成長したドナレオ・ダビルは旅に出ることにした。生家とその周辺の小さき世界に留まり続けることは不可能だった。
 天蓋によって区切られてはいるが、その上に広がる空は果てしなく続いている。居住地域であるエルディナの内側には山脈で隔てられた乾燥したソルディナがあるというし、エルディナの 水 原(カレル)は区切られてはいるが、他国へも繋がり、水門の向こうには果てしない海も広がっているという。
 まだ見ぬ世界が広がっているといのに、足元の狭い世界の美しさにだけ囚われていて良いはずがないと、ドナレオ・ダビルは十代にして確信したのだ。

 ドナレオ・ダビルの両親は、とうに諦めていた。俗人ではない息子が、俗人と同じようにして生きられるはずが無いと。息子にとっての幸福は、俗人のそれとは違うのだと。ドナレオ・ダビルの両親は息子を理解は出来なかったが、理解したいとは努めたのだった。
 故に、息子の旅立ちを止めはしなかった。止めても無駄だと知っていた。

 初めて見る世界は、旅人の話や書物で聞き知っていたとは言え、新鮮な驚きと好奇心を掻き立てた。知っているつもりで知らなかったことが如何に多かったかを知らされた。もっともっと知りたい。秘められた謎を解き明かしたい。
 ドナレオ・ダビルは、この世に生まれ出でた幸運に感謝した。解き明かすべき美しい謎が世界に満ち満ちている。少しの時間も無駄には出来ない。解き明かすべき謎はあまりにも多く、一個人である自分に許された時間はあまりにも短い。

 ドナレオ・ダビルは諸国を巡り、更にはエルディナを離れてソルディナへと分け入った。そして、絶対的孤独を知る。

 ドナレオ・ダビルは集団の中にあっても孤独な存在であり、それを受け入れ、孤独の中に己の学究の道を見出していたが、それが浅はかな考えであったことを知った。
 およそ生あるものの気配さえ感じることのできない死のみが支配するかのようなソルディナの荒野で、たとえ誰にも理解されないととしても、周囲に言葉の通じる人間が存在し、自分の学びをいつか誰かに残せるかもしれないという可能性を秘めた社会に存在することが、どれほど彼の慰めであったかを知ったのだ。

 ソルディナという生を拒絶する世界で、自分という1個の命に一体どれだけの価値があるというのか。
 命など存在しなくても、かように美しき世界は存在しえる。ならば命に価値など無いのではないか。この美しい死の世界に埋もれ、屍となって、自分も死の世界に融合するほうが美しいのではないか。

 そんな夢想に囚われながらも、その先にあるものを知りたいという只それだけの為に命を繋ぎ、旅路を進めた。

 或る日、ドナレオ・ダビルはソラリア高原から満天の夜空を仰ぎ見た。
 エルディナの天蓋都市に居ては決して見ることのない深遠なる天空。
  月読(つくよみ)祭が行われる新月や小さな月のみの闇夜が、実は大小様々な輝きに満ち溢れ、荘厳な天体の音楽を奏でていることを知った。
 その輝きと音楽とに、ドナレオ・ダビルは打たれた。

 それは、まさに天啓であり 直観(ひらめき)(ひらめ)きであった。
 すなわち、自分は意味あって生を受け、生かされているのだと知ったのだ。それら無くして自分という命は生まれず、今ここにこうして、世界と、時空と、宇宙と、一つ身になることも無かったであろうと。

 ドナレオ・ダビルは語る。
 迷いし時は天空に思いを馳せ、遥かな宇宙と自分という1個の命の繋がりを思い出すべしと。自分の命は1個の孤独な存在ではなく、遥か果ても知れぬ宇宙と同義であると。自分は宇宙であり、宇宙は自分なのだと。

 ドナレオ・ダビルは私財を投じてソラリア高原に天文台を作り、彼の研究を多く高地人が手伝うこととなった。
 ドナレオ・ダビルの本当の意味での人生の始まりであった。

    (了)

しおり