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第3話 ぎゃっふー

「許し?」
「許し?」
「許し?」
 三人の問い返しが珍しくもまったくシンクロした。
「はい」木之花が頷く。
「許しって、誰の?」結城が目をまん丸くして訊く。
「洞窟の神様?」本原が真顔で訊く。
「――」時中は無言で小鼻に皺を寄せる。
「一言で言い表すのは難しいです」木之花は微笑みを維持したまま、変わらず静かに答えた。
「どうして?」結城が問う。
「洞窟には」木之花はゆっくりと瞬きをした。「神聖なる存在が数多く棲んでいます」
「神聖なる」時中が呟く。
「存在?」結城が叫ぶ。
「まあ、素敵」本原がため息まじりに囁く。
「それらから見て私たち人間というのは」木之花はまたゆっくりと瞬きした。「汚れた、忌むべき存在です」
「汚れた」時中が呟く。
「忌むべき?」結城が叫ぶ。
「まあ、そんな」本原がため息まじりに囁く。
「なので、私たち卑しくも汚れた人間たちは」木之花はまたゆっくりと瞬きした。「洞窟を掘る時に、その大それた罪深き行為を許していただけるよう、儀式を執り行わなければなりません」
「儀式」時中が呟く。
「執り行う?」結城が叫ぶ。
「まあ、素敵」本原がため息まじりに囁く。
「それをやっていただくのが」木之花はまたゆっくりと瞬きした。「あなた達、つまり『洞窟イベントスタッフ』の皆さんなのです」
「我々が」時中が呟く。
「洞窟イベントスタッフ」結城が叫ぶ。
「まあ、そんな」本原がため息まじりに囁く。
「これは大変重要なお仕事です」木之花はまたゆっくりと瞬きした。「このイベントが成功するか否かで、我が社の調査、研究、そして当然利益につながるか否かが左右されるわけですから」
「成功するか」時中が呟く。
「否かで?」結城が叫ぶ。
「まあ、素敵」本原がため息まじりに囁く。
「そうです」木之花はまたゆっくりと瞬きした。「社運の係っている、一番大事な仕事といって差し支えありません」
「――」時中が黙り込む。
「うわあ」結城が叫ぶ。
「まあ、そんな」本原がため息まじりに囁く。
「すいません」時中が片手を肩の高さに挙げる。
「はい、何でしょう」木之花は微笑んでそちらを向く。
「もしそのイベントに失敗した場合、我々にはペナルティが課せられるのですか?」時中が訊く。
「ペナルティ?」結城が叫ぶ。
「まあ、素敵」本原がため息まじりに囁く。
「素敵?」結城が本原を見て叫ぶ。
「順番からいって、これになります」本原が真顔で答える。
「会社から皆さんにペナルティを課す事は一切ありません」木之花は否定した。
「減俸とか、解雇されたりとかは」時中が更に訊く。
「社内規定に反する行為があまりにも目立って繰り返される場合を除きそういう事はありません」木之花は明確に答えた。
「じゃあ、イベントに失敗しちゃっても別に、そんなに落ち込むことはないんですね」結城は両掌を上に向け肩をすくめて言った。
「もちろん、次のイベントに向けまた再出発していただくだけです」木之花はにっこりと頷いた。
「その再出発というのは、確実に来るんですか?」時中が訊いた。
「――」木之花は言葉を切った。
「どういうこと?」結城が時中に訊き返す。
「我々がもしイベントに失敗した場合でも我々の“命の保証”はしてもらえるんですか?」時中は結城に一瞥もくれず、ただ真っ直ぐに木之花を見て問いかけた。
「保障は」木之花はそこまで言うと、くるりと向きを変えホワイトボードに再びマジックで書き記した。
 そこには、四文字の漢字と、三文字の漢字が並び書き記されていた。
「――」三人は無言でそれを凝視した。
「労災保険」木之花はゆっくりと瞬きをした。「並びに遺族への慰謝料という形でお支払い致します」
 労災保険
 慰謝料
 ホワイトボードにはそう記されていた。

「説明、済んだ?」室内に入ってきた木之花に、天津は声をかけた。
「済んだわ」木之花はばさりとファイルをデスク上に置きながら答えた。「いつも通り、ごく大まかに話したんだけど……今回の子たちは、かなり考えの回る子たちのようね」
「ほう」天津はコーヒーを口に運びながら頷いた。「いろいろ質問出た?」
「ええ」
「で、理解はしてもらえた?」
「そうね」木之花は右手の人差し指を唇に当て視線を上に向けた。「理解することを見越した上での採用だったのでしょうから、後は社長の人選力を信じるのみというところね」
「なるほど」天津は缶を机に置き、自分のファイルを持って立ち上がった。「それじゃここからは、俺の出番だな」
「よろしくね、ヒラ教育担当さん」
「その『ヒラ』付けるの、やめて」天津は眉尻を下げた。
「見苦しく媚びるからよ」木之花は眼を細めた。「社長に」
「媚びるって、そりゃ」天津は出て行こうとした足を止め肩越しに振り向く。「気は使わなきゃでしょ。主神だもん」
「ふん」木之花はそっぽを向く。「あたしだって使ってるけど」
「――」天津はそれ以上何も言わず、肩をそびやかすように部屋を出てドアを閉めた。
 廊下を、三人の新人の待つ部屋へと向かう。かつかつかつ、と自分の靴の踵が小気味好い音をリズミカルに奏でる。それを聞きながら天津はそっと、己れの胸部に片手を当てた。
「もう」小声でそっと呟く。「咲ちゃんの視線ってホント……痛え……」

「なあなあ、どういうことなんだろうね」木之花が退室してから、早速結城は他の二人に振り向いて疑問を投げかけた。「保障は労災と慰謝料って……慰謝料」
「遺族に、と言った」時中が眼鏡のレンズを光らせる。「つまり我々がイベントに失敗し岩盤を開き損なった場合、それは」
「それは?」結城が目を丸くして訊く。
「我々の家族が“遺族”と化す、という事だ」
「じゃあ、私たちはどうなるんですか」本原が問う。
「無論、棺の中に収められる存在になるということだ」時中がやや天井を見上げて答える。
「死ぬってこと?」結城が叫ぶ。「ぎゃっふー」
「なんですか『ぎゃっふー』って」本原が問う。
「衝撃の事実を知った時に使う感嘆詞だよ」結城が人差し指を立てて答える。
「そうなんですか、ぎゃっふーって言うんですか」本原が確認する。
「言わなくていい」時中が唇の端を歪めて言い捨てる。
「けどこれは衝撃だよ、死ぬって」結城はホワイトボードを見ながら言った。そこに書かれてあった文字は今すべて消されているが、元はそこに「労災保険 慰謝料」と書かれてあったのだ。「慰謝料って」
「しかしそんな重大な労災事故が起きれば無論ニュースに取り上げられるはずだが、ここの社名がニュース上で流れたのを見聞きした記憶はない」時中が冷静に話す。「ということは、実際にはそんな労災事故は起きていないという事か」
「なあんだ」結城は両肩を持ち上げすとんと落とした。「ただの脅しか」
「脅されたのですか」本原が確認する。「私たちは」
「まあ、最悪の場合のリスクヘッジはされているという事を言いたかったのだろう」時中は眼鏡を人差し指で押し上げながら考えを述べた。
 コツコツ、とその時、ドアにノックの音がした。
「先生がお見えになりました」本原が言い、三人の新入社員は揃ってドアの開くのを見た。
 入ってきたのは頭髪を大雑把なポニーテールに縛り、無精髭を疎らに生やした三十路ほどの男だった。服装はチェックのシャツにチノパンといったビジネスカジュアルだが、ヘアスタイルと無精髭の影響であまり“きちんと感”というものは演出しきれていなかった。顔立ちは整っていて、入ってきて最初に三人に向けにこりと笑いかけたことから、性格は温和そうに見えた。
「どうも、初めまして」ビジカジ男はホワイトボードの前に立ち、挨拶した。「天津といいます。研修担当を勤めさせていただきます。よろしくお願いします」頭を下げる。
「よろしくお願いします」
「よろしくお願いします」
「はいっ、よろしくお願いいたしますっ」
 新入社員たちも座したままそれぞれ頭を下げる。
「えーとまず、出席を取ります……出席っていうと大げさかな、まあ、名前をお呼びしますんで、お返事お願いします」ふふふ、と静かに笑う。
 温和そうな、言い換えれば気弱そうな男に見えた。
「えーと、時中さん」手に持つクリップボードを見下ろして呼び、顔を上げる。
「はい」時中が口元だけを動かして返事する。
「はい」代わりに天津が大きく頷く。「えーと、本原さん」
「はい」本原は右手を肩の高さに挙げ返事する。
「はい」天津はやはり大きく頷く。「それから、結城さん」
「はいっ」結城は右腕を頭上に真っ直ぐ上げ、その弾みで右半身を僅かに飛び上がらせて叫ぶ。
「あ、はい」天津は逆に仰け反りながら硬直したが、すぐに元の姿勢に戻った。「えー、では皆さん、早速ですが研修資料をお配りします」
 三人の着座する机の上に、天津はA4サイズの紙を綴じたものを置いていった。『岩盤について』と、その表紙にはタイトルが付されてあった。
「岩盤について」結城が口に出して読む。
 だがその読み上げに対して返事する者はいなかった。

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