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振戦

 娘は激しい震えに襲われていた。その小さな体が背負っていたのは、重い自責の念であった。自分の犯した罪を強く咎めていて、それに耐えられずワナワナと小刻みに震えていた訳である。手も腕も、首も唇も、全身の筋肉が収縮と弛緩を繰り返して少女は『振戦(しんせん)』を起こしていた。人を殺すのは、自分を殺す行動である。そして自分を殺すことで、他人を殺すことができる。それ以来、彼女は被害者の身で、加害者の身でもある。それは良心の問題。
 幸い少女の『心』はまだ生きていた。良心に悩まされている娘は、薄暗い宇宙遊泳準備室でパニック状態に陥って、やがて植民の一人にそのもがき苦しむ姿が発見される。
「おい! そこで何をしている?」
 それは長年の飲酒でしわがれた、中年男性の声であった。彼が薄暗い中で近づくと、少女の倒れて四つん這いになった姿がだんだん見えてくる。
「おい君! 大丈夫か⁈ 何があった?」
 彼女を横抱きするとその激しい身震いがはっきり伝わる。
「って、凄く震えてるじゃないか! 寒いか?」
「ん、ん・・・ん、ん、ん・・・ん、ん、ん・・・」
 と彼女は上手く話せなかった。それは実に可愛そうな様子であり『こんなに震えるまでこの娘に何があった?』と男性が自問していたところである。
「よしよし、大丈夫だ」
「かか、か・・・か、か、か・・・ん、ん、ぅう~」
「大丈夫だ。何も言わなくていい」
「ん、ん、ん・・・」
 小柄な少女を抱えながら、近くの通路まで運んで、倒れた乗組員の死体を何人か通り過ぎる。真空状態の通路を遠回りせざるを得ず、時に小規模の補助サーバー室、時にスパコンの冷却室、色んな作業室を横切ったり、狭いトンネルの共同溝を一時的に通ったりして、ついに中心区域のロビーに何とか着いたところ、そこでは負傷者二名を発見してしまう。
 彼らに近付けようと、少女を一旦下ろしてその体を壁に持たせると・・・
「お、気を失ってる」
 と、いつの間にか運んでいた間、少女が失神していた。
「ここで安静にしな、嬢ちゃん」
 そして彼らに近づくと・・・
「おい! お前ら、大丈夫か? って、酷い傷だ!」
 負傷者の一人は脚が流星物質に貫通されて歩けない状態で、もう一人は肩が負傷していた。彼らは恐らく中心区域で作業中、逃げ遅れたせいで、衝突に巻き込まれたと思われる。
「た、助けてっ・・・」
 と彼らが中年に懇願した。
「いかん。自分一人で皆を到底運べない」
 中年は気付く。三人を自力で診療施設まで運ぶのが無理だということに。そこでいい考えがひらめく。
「あ、そうだ! 彼女ならきっとできる」
 彼女とはAI毬のことであった。しかし物理干渉不能のAIには一体何を頼もうとするのか。
「おいマリちゃん! どこだ? マリちゃん!」
 男はAI毬の援助を要請しようとしたが・・・
「マリちゃん、AGVを出して欲しい!」
 残念ながら応答は全くなかった。
「マリちゃん⁈ おーい! AI毬?」
 呼び方を変えても無駄である。何故なら抱き抱えていたあの小娘こそが、マリであることを彼は知りも想像もしなかった。少なくとも、その脳が墨染毬のものである。
「仕方ねぇ、手動でやるしかない。自分でAGVを呼んでみるか」
 腕輪端末の画面を立体させて、無人搬送車を呼んでみた。すると画面が赤く光って彼の要請が拒否される。そこで負傷者の一人に言われる・・・
「無駄だぁ。俺たちもぉ、呼んでみたがぁ・・・」
「おい、喋るな」
「・・・マリちゃんもぉ、AGVもぉ、ダメだったぁー」
 彼は何時間も救出を待ち続け、疲労困憊な状態であった。
「分かったから、安静にしろ」
「ぁ、ああー」
「要は、全車が派遣中か。じゃあ、これならどうだ? き・ん・きゅ・う・は・け・ん・・・」
 彼が『緊急派遣:患者搬送』という風に入力を変更してみても、システムが安易に承諾してくれず、管理コードが要求される。幸い中年は同じ中心区域の技師でアクセス権を持っていた。すると、近くに移動していたAGVが直ぐに反応し、運送していた貨物を放棄して、負傷者と少女の搬送に当たる。
「よし、搬送先は『居住区域』・・・えーっと・・・『診療施設』、っと」
 そこでAGVが出発すると、中年が車体後部の足掛けに乗って手()りにつかむ。そうやって負傷者も彼女も居住区域まで運んで貰うことになった。当然AGV専用エレベーターを使って真っ暗な昇降路を通過するしかなかったのだが、搬送車のほのかな照灯がなければ、さすがに薄気味悪くて確実に怖がるところであった。何しろ、普段貨物搬送に使われているので、電気節約のため照明が必要とされていない。
「まっくらっ! ぅう、怖っ!」
 と中年がともかく、寝ている彼女と負傷者たちは当然気にしていなかった。それでそれらを診療施設に預けることになる。
 パピリオが巨大植民船と言っても、そこでは入院個室のない大部屋のみの施設となっていた。その代わりに比較的に広い共用スペースが設けられていて、その場が次々と流星災害の患者に圧倒された状態に陥っていた。騒がしい中、数々の負傷者を速やかに受け入れ医療カプセルに寝かせて、何人の看護師がそれぞれの立体画面を操作していた。
 しばらく経つと・・・中年は一人の看護師さんに呼び掛けてみる。
「あの!」
 そこで振り向いた看護師がとても忙しそうな雰囲気でも、少しの間彼に注意を向けてくれる。
「はい、何でしょう?」
 彼がミズナのほうを指し示して看護師に質問する。
「彼女の容態は?」
 そこでカプセルの立体画面を手早い手振りで確認してから、看護師が男性を安心させる。
「大丈夫です。異常なしですよ~」
「発見した時、凄い震えていたのに」
「そうですね~。もうこのまま退院しても大丈夫ですよ~」
 何しろ、次々と負傷者を受け入れるために、この医療カプセルを空けて貰う必要があった。
「あ、よかった」
「原因は恐らくストレスでしょう。先程の流星で無理も無いかと」
「そうですか。そうですよね」
「では、他の患者がいますので、失礼します」
「有り難うございました」
 お辞儀した(のち)、彼が振り向いて、開いたカプセルの上で静かに座っている少女に話し掛ける。
「よかってね、もう大丈夫だって」
「・・・は、はい」
「そういえば君、お名前は? 名札はどうした?」
 少女は名札のない患者衣を着ていた。
「ま・・・あ、ミズナ、です」
 と、脳移植前の身分を危うく名乗り出るところであった。
 私はもうマリじゃないから、ミズナだ、いい加減に覚えなきゃ!
 と彼女は内心に自分を戒めた。
「じゃあ、両親はどこにいるか分かる?」
 両親? とっくに死んでるよ! ま、そっちの両親は知らないけど。というかミズナの両親に会ったらかなり危ないと思うよね。私が偽物だって直ぐにバレるし。適当に答えよう。
「い、いいえ」
「じゃ、ちょっと検索してみるね」
 検索すんのか、コイツ。
 中年男性は自分の腕輪端末を操作し始めるのだが、情報不足でただ『該当なし』という検索結果が返ってくる。
「ミズナって下の名前だけど、姓は?」
「た、谷川です」
「谷川ミズナかぁ。あっ、俺、草木蒼士朗(くさきソウシロウ)って言うんだ。よろしくな」
 彼は自分の名札を指差した。そこに『草木』と大きく鮮明に記載され、真下に『ソウシロウ』という文字が比較的に小さく見えた。
「よ、よろしくお願いします」
 遅れた挨拶が済まされ、中年草木が両親探しの件に戻る。
「えぇっと、どれどれ・・・よし見つけた! この居住区域の第四ブロックだ」
 ヤバイ。そっちの両親に絶対に会いたくない。
「あぁー、でもぉー、あそこはぁー、まだ封鎖中だ。参ったなぁー」
 よかった! まだAIだった時に警報を発令したのは正解だった! それにしても彼の様子がちょっと変ね。ま、とりあえず厄介な再会を逃れてホッとした。
 その時、居住区域の病院で呼び掛け放送が響く。
「こちら航法士のサノ・アカリです。手の空いてる技師は直ちに中心区域のロビーで集合して下さい。繰り返します。手の空いてる技師は至急、中心区域に集合して下さい」
「あ、俺、行かなくちゃ。ミズナちゃん、一人で大丈夫?」
「いや、一緒に行きます」
「え? ダメだよ、ちゃんと休まないと」
「おじさん、中心部に行きますよね?」
「そうだが」
「そこで友達とはぐれたんですよ! まだそこにいるはずです!」
「え? 少し待て。調べるから、友達の名前は?」
「あっ、金森ヒロと津田セイジです」
「えーっと・・・うーん、二人とも行方不明者となっているな」
「え⁇」
「だから多分まだ中心部にいると思う。どうもあそこは厚いシールドに覆われてるから、位置情報の発信が届いてないだけかもしれん。そしたら・・・」
「お願いです! 一緒に行かせて下さい!」
 少女は敬礼をしていた。
「一般エレベーターがまだ使えないなら、またあの暗いところを通ることになるかもよ」
 彼は真っ暗な昇降路を不安げに思い出していた。
「暗いところ? 何のことです?」
「いやっ、こっちの話・・・」
「暗いところでも構いません! 兎に角お願いします!」
 またお辞儀し今度は最敬礼をした。
「しょ、しょうがないなぁ・・・一緒に来い」
「あ、有り難うございます!」
「怖くても知らないぞぉ、引っ返さないぞぉ」
「はい! 平気です!」
 しかし男性に対しては可愛い少女が、本当は、次のように口答えしたかった・・・
 これくらい大丈夫っつうの。ヤワな女じゃないから。

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