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触知

 うるさい警報が発令されたまま、鉄板通路が非常灯の点滅する赤い光に浴びていた。流星と衝突してから数時間が経っているのに、宇宙船パピリオの空気漏出防止および緩和システムが作動中であり隔壁のロックがまだ解除されず、あちこちに船員が閉じ込められたままであった。AI毬が機能停止した以上、構造損傷の自働検出は不可能であって現状がどれほど深刻か誰も調べられなかった。
「こちらブリッジ。各自はこのまま待機し救出を待つようにお願い致します。封鎖された区域および通路に閉じ込められた場合、隔壁やドアの強制開閉の際に大変大きな危険が伴うので、必ず控えて下さい」
 という放送が船内で繰り返して流れていた。なぜなら、もし強制的に開けた扉の向こう側が真空状態であれば、人間は数秒で気絶し数分後に死亡する。という大きな危険がある。
 一方肝心な子供たちの三人は、まだ封鎖中の区域で、本船の中心区域に閉じ込められていた。脳死状態のミズナがAI毬管理室に搬送された時には、マリが幾つかの扉のロックを解除してくれたのだが、それでは移動範囲が少ししか広がず、ほぼ密室状態であった。一方カプセルの立体画面が突如として発動すると、少女のステータスが更新される。
『谷川ミズナ自動健康診断結果、STATUS:異常なし』
 つまり先程の拒絶反応が収まって、少女の容態が安定していた。するとカプセルのガラスは初めて開こうとし、そのナノ素材が分解していって、ついに彼女が解放された。
「ミズナちゃん!」
 そこで突然二人の男の子に抱きつかれる。
「ぇ?」
 と強く抱かれたせいで虫の息しか発声できなかった。
「よかった! 本当によかった!」
 その時彼女は非常に妙な現象に襲われる。
「どうしたミズナ⁈ 涙ポロポロして・・・痛いのか⁈」
 二人が一旦離れる。すると彼女が否定する。
「いや、そうじゃない」
 あれ? あれ? 変だ。涙が止まらない。
「ち、違う、違うの、な、涙が・・・」
「違う⁇ じゃあ、悲しいの⁇」
 と彼らは直球に尋ねた。
「ううん、違うよ」
 彼女は静かに(すす)り泣き、様々な思いを巡らしていた。
 もしかして薬の副作用か? いや、有り得ない。それともこの体になってから涙腺がもろくなったのか? ミズナは泣き虫だったっけ? 一体何が起きてる⁈
 同時に、男子らはこう話していた・・・
「悲しくないって」とセイジ。
「え? じゃあなに?」とヒロ。
「もうー、ヒロが強く抱きつくからさぁ! ちょっと力加減しろよ~」
「いや、さっき痛くないって言ってた」
「・・・痛くない・・・悲しくない・・・」
「分かったかもセイジ! きっと嬉し涙ってヤツだぜ!」
「ぇえ⁈ 嬉し涙あぁ? こんな状況で? さっきの流星で船がヤバイっていうのに?」
「ふぅ~、考えすぎなんだよ、セイジはぁ~」
 セイジが賛成しなくとも、ヒロが勝手に納得していた。悲し涙でなければ嬉し涙に違いないという単純な思考でありながら、案外正解に近い答えであった。そして彼はいきなり再び彼女を抱き締める。
「もおおぉぉーミズナ、俺たちも嬉しいぜ‼」
 そしてセイジを輪に含めようと彼の肩を荒っぽく組む。
「俺たち、仲間なんだぜ‼」
 と、がさつな小僧は相変わらず彼女を呼び捨てで、嫌がられるほど彼の肩を強くつかんで、そして大きな声で友情宣言を叫びやがった。
 ミズナとセイジは、その有り余る体力と熱心に敵わないまま、ヒロの気持ちを受け止めた。
 一方、息苦しいほど強く抱きつかれ、その二人の温もりがじわじわと伝わってきて、少女は涙を堪えなかった。なぜなら九ヶ月ぶりに人の肌に触れるからだ。それ以前も人と接触するのが滅多に無かった。マリは知らないうちに、人との触れ合いに非常に飢えていたわけである。少女はそのまま無言で泣き続け、一方彼らは、彼女が泣き止むまで大人しく待ってくれた。
 何年ぶりだ、人の肌に触れるのが。誰かの肌を触るのが、そこまで心を動かせるものだったの? そこまで気持ちのいいものだったの? 私は今まで、どうやって生きてきたの? 私は一体、どこまで人生に冷めていたの?
 と、二人の暖かさに彼女の凍てついた心が溶け始めていた。
 でも忘れちゃいけない。AI毬を演じる必要がなくなったけど新しい役割が割り当てられた。それはこのちっぽけな存在、華奢でか弱くて何も出来ない娘。うぶで無垢な女の子。それは、『谷川ミズナ』。ま、記憶喪失という設定でよかった。無理に演じることは無い。それよりもボロを出さないほうが、よっぽど気をつけるべき点だ。私はマリでもAI毬でもない・・・・ミズナだ。
「・・・ぅ、うん、ありがとう(みんな)
 それにしても変な名前だな。キラキラネームってレベルじゃない。これは完全に野菜じゃん!親は一体どういうセンスしてるの⁈ いかにも弱そうな名前に聞こえるんだけど。とりあえず誰かの餌にならないように頑張ろう。
 その時その場で、船長直々の放送が届く。
「こちら船長。そちらに居るのは・・・子供か」
 と近衛京子は、室内の複数の監視カメラでこちらの様子を(のぞ)いていた。
「ギクッ‼」
 とミズナが反応した。その冷淡な声に聞き覚えがあった訳である。
「あ、はい」
 とセイジが自分の腕輪端末で応答してみたが、一方彼の動きを見て船長はこう話す・・・
「腕輪は使えん。船の中心区域は常に圏外となっている。代替手段として、室内の壁に端末が埋め込まれてあるはずだ。それを探しなさい」
 近衛京子は知っていた。パピリオの中心区域はAI毬のみならずメインフレームとスパコンのサーバーを宿す重要区域なので、宇宙放射線遮蔽と電磁シールドに囲まれた区域であること。無線の代わりに壁埋込式端末で通信を行う仕組みになっていた。
「せ、船長、聞こえますか?」
 セイジが端末越しで応答した。
「大人はいないか」
「い、いえ、ぼ、僕らだけです」
「仕方ない。先程AI毬からの応答がない。君らに頼むしかない」
「え? 何をですか?」
「ブリッジからでは確認できないものがある。君らは黒い球体を見たはずだ」
「あ、はい、見ました」
「球体がどうなってる」
「えっと、うぅぅぅん、割れているみたい、です」
「その中身は?」
「中身? え? 空っぽですけど」
「・・・」
「船長?」
「・・・分かった。このまま待機しなさい」
 すると端末が雑音を響かせる。
 一方ヒロが声を掛ける。
「おいセイジ、なんだったんだ?」
 彼が振り向くと困惑顔を見せて眉をひそめる。
「分かんない」
 その時ミズナは冷や汗をかいて焦った表情を浮かべていた。患者衣のまま娘は立ち上がる。
 ぅうおぉ、脚が、脚が使える! こんな感覚、昔、巨大震災以前に感じたもの、両親を亡くした前の自由な生活。何て懐かしい気持ち。いや、でも喜ぶ場合じゃない。アイツがこっちの動きに気付いてる。もう時間が惜しい、早くここから出ないと。
「ね~みんな! ここから早くでよう!」
「え? あ、うん、そうだね」
「ミズナちゃん、頭痛はもう大丈夫?」
 とセイジが軽く彼女の額に手を当てると・・・
「え⁇ うん、全然」
 ミズナが頬を赤らめ恥ずかしがる。
 何しろ船内カメラから合成された多視点映像の彼よりも、今肉眼で見ている彼の姿が何倍も効果的であり、その手もまた優しい温もりを放っていた。
 生のセイジはヤバイ。やっぱり可愛いすぎる! そしてチョッピリ格好良く見えてくる!
 というのは、どうやらこの体のせいである。何しろこの視点からガキの彼でも大きく見える。これはもしや、マリ自身の感情ではなく、『細胞記憶』という仮説に基づいた本体のミズナの感情では? と自問してしまう彼女が仮説を検証する時間も与えられない・・・
 そうだ、この変な雰囲気に無性に水を差したくなる一人がいたからである。AI毬管理室の戸口の外側からその彼が呼び掛ける。
「おーい! イチャイチャすんな、エロセイジ! 早く行こうぜ!」

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