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針路

 第三ゲートから瞬間移動で一旦戻って、何しろバーチャルな存在なので、少女は『AI毬』管理室の中を一人でイライラ歩き回っていた。漆黒(しつこく)球体を背にして彼女は自分のホログラムを暴れさせていた。
「エラそうなんだよあの人! ムカつく! ムカつくっ! ああああああぁぁぁーっ‼」
 先程の不愉快な船長との会話を思い出すと彼女は窮屈で苦しい想いをしていた。船長の冷酷な言葉を少女は根に持っていた訳である。やがて落ち着くと彼女は両膝を突いて再び深い絶望を味わう。それでもマリは自暴自棄になっても涙を堪えた。
 泣かない! 泣くもんか! 絶対に泣かない! 確かに私は障害者の身だけど、私にだって、プライドってもんがあるんだ!
 と、最強のAIと呼ばれても過言ではないマリは、どうしようもなく人間であった前生(ぜんしよう)のトラウマやコンプレックスを抱え込んだまま、過去に囚われていた。
 そうだ! 社会に何度も踏みにじられても食いちぎられても、諦めないっ!
「諦めないからっ‼」
 膝を突いたまま前屈みになり、バーチャルな拳で床を叩いた。すると部屋の灯りが消えたり点いたりしながら、まるで少女の不安感を表現していたかのように、しばらくの間点滅した。
「おっと、やり過ぎると何かを壊してしまう・・・」
 と彼女は自制する。
 その時・・・
「AI毬、ブリッジで強制立体!」
 という謎の声がした。
 すると何等(なんら)かの抵抗し難い力が働き掛け、まるで強い吸引力によってホログラムが見えない穴に吸い込まれて消えてゆく。
「なになに⁇ なんだこりゃああああぁぁぁぁぁぁー」
 ホログラムが消失したと同時に、船の指揮所であるブリッジで再び立体させられる。
「え⁇」
 要するに船橋(せんきよう)の呼び出しに従わざるを得なかったという訳である。
 気がつくと周りがブリッジの冷たい構造で、複数の端末の前には配置された航法士(こうほうし)や船員たちの真剣で真面目な視線がジロジロと、白い身なりで貧弱な体躯(たいく)の女の子に向けられていた。そして船長が指示すると・・・
「AI毬」
「っはひぃ‼」
 と緊張の余り彼女の声が震えた。
「直ちに惑星スペス01(ゼロイチ)への針路を計算」
「え、針路ですか?」
「どうした、早くしなさい」
「あ、っはい! ・・・って、どうやって⁇」
 少女の素直な質問が航法士たちには悪ふざけに聞こえた。
「え? じょ、冗談だろ?」
 その馬鹿げた愚問にこの場の皆が驚いていた。
「勘弁してくれぇ、俺らは真面目にやってるからさー」
「リアル設定は要らなくねぇ?」
「ていうか仕事の邪魔よ」
「彼女のリモコンはどこへやったのです? 人格調整したいところですね」
「止めとけ、船長に怒られるぞ」
 次々と航法士たち男女の入り交じった声で並べた文句が聞こえてくる。すると船長は厳しい口調でマリに答える。
「毬君、君は・・・『AI』・・・なんでしょ?」
 まるで叱られた子供のように少女は次の通り反省する。
「・・・はい、ごめんなさい、船長」
 私は一体、何を反省すべきか? 宇宙船AIとしての経験の乏しさを反省すべきなのか? どうせウチの履歴書には『AI』という単語は存在しないけど。つまり充分AIっぽくないのを反省すべか? 人間の私が? 兎に角、船長は怖い・・・ここは言う通りに従おう。
 そして自分の力を発動してみようと、彼女はやむなく運に身を任せる。
 仕方ない。一か八かでやるしかない。
「や、やってみます・・・えーっと・・・おっ・・・」
『おっ』という音を発した途端、AI毬は立ち尽くし微動だにしなくなった。だが実は、外見と異なって脳は急激に活性化し、メインフレームのサーバーから大量のデータを猛スピードで取り出していた。
 ぅぅううううおおおおおぉぉぉーっ! 感じる! 感じるぅ! 数字がぁ! 数字がっ! 数字に溺れるぅぅ! という心の声が弾んでいた。
 マリは気づいていなかった。宇宙航行の針路を計るにはそもそも、太陽系もとい銀河を計る必要があったということに。地形を十分把握していない旅人は決して目的地へ辿(たど)り着くことはできないと同様、彼女は何も知らない宇宙旅人という振り出しから計算し始めたわけである。その膨大な量のデータに圧倒されるのも無理もない。
「数字が、数字が、すうっ、じ、がぁ」
 少女の立体像が突っ立ったまま口を(つぐ)み、何と、瞳孔(どうこう)を開き涙をこぼした。散瞳(さんどう)も落涙すらも起こした無口の娘はまるで、痺れた表情を浮かべていた。その麻痺した様子を航法士たちが目撃すると、AI毬に対して疑問を抱く。
「何だ? おい、何が起きてる!」
「知らないよ。もしやフリーズしてんのか⁈」
「まずいまずいまずい」
 すると何の前触れもなくブリッジの薄暗い空間が突如として、無数の立体線に貫かれながら大宇宙が数字化し始めた。つまり宇宙空間を図式化し、光線で描写し出したということである。まるで冷たい殺風景の部屋が猛スピードで暖かい花火のようなものに覆われて、その雰囲気が爆発的に変わった。
「おお、綺麗」
「・・・ぅうおー」
 と一同に感動する航法士たちであった。
 やがてその現象が静まると、立体されたままの煌びやかな花火のようなホログラム宇宙図の上に、彼女はこれから本船が航行する針路を、細い人差し指で鮮明な一線でなぞってくれる。その終点には・・・惑星スペス01という座標が明滅していた。そして・・・
「針路計算完了」
 と珍しくAI並みの棒読みで発言した。これは感情豊かな彼女の普段の様子ではなかった。彼女はとても変な一面を見せていた。
 まるで『少女マリ』は少女マリでは無くなり、完全に『AI毬』となってしまったかのよう、一時的に自我を失っていた。

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