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友人とのいさかいpart3

 玲は真剣だった。
 度肝を抜かれた発言を聞き、優志は思わず固まってしまう。友人はクスリともしないでなんとも下品をラッピングする彼の神経を疑ったのだ。

「なんの宣言してんだよ」

 やっと言えたのはそれだけだった。
 明らかに面食らっている優志に心底残念な素振りで肩を落とす玲。
 仕方がない。今この状況を懇切丁寧に教えてやっか! といきり立つ玲は、まるで演説を始めるみたく仁王立ちになった。

「今、俺は賞味期限が2年過ぎたクッキーを食べたんだよ。これはもう確定だろ!」

「だったら余計帰れよ」

 玲は思わせぶりな深いため息をつく。"お前にはがっかりだ。失望したと" そう言いたげに両手を腰につけ、目を瞑りながら下に向けた顔を左右に振っている。そしてまた深いため息。

「なんだよ」

 そう促され、お言葉に甘えて友人への不満を暴露する。

「薄情だな、お前」

「は?」

「これから、自分の部屋に戻ったら1人になるんだよ。未だかつて経験したことのない下痢になる友人を、お前は見捨てるのかっ!!」

「もうすぐ死ぬみたいに言うなよ。いちいち大げさだなぁ……」

 優志はあまりに必死すぎる友人に失笑してしまう。

「お前知らねぇだろ。腹下した奴の気持ちを!」

「そんなことないよ。俺だって腹下したことくらいあるよ」

「どうせ気にせず食べたヤツが(いた)んでた、とかそんなんだろ。俺も(いた)んでたヤツなら食ったことあるよ。買ってたポテチが賞味期限5日切れてて捨てようか迷ったけど、でももったいないなぁと思って食ったら大丈夫だったよ。それ経験してるからさ、2週間切れたポテチ見つけて、ちょっと挑んでみっかって食ってみたら、おもいっきり腹下したよ」

「なんで挑戦すんだよ」

 優志はボソリと小さくツッコむ。

「小一時間トイレから一歩も出られなくなったよ。出ようと思ったら、また腹がトイレの『大』流した時の最後の音を出すんだよ」

「『大』流した時の最後の音ってなに?」

「ゴボゴボってなるだろ! 調子悪い時! 便器の中でいつもの水位に戻ろうとしてゴボゴボってなるんだよ! って、んなことどうでもいいんだよ! 今の下痢の話だよ! 過去の下痢なんてどうでもいいんだよ!」

「お前が先に話し始めたんだろ」

「2週間で腹下したんだぞ。もう何倍かも計算する気も起きねぇよ! 腹痛でのたうち回ったの経験してたら怖くもなるだろ!」

 優志はいいアイディアを思いついたかのように表情を明るくさせる。

「あ、下痢止め飲めばいいじゃん!」

「下痢止めを大学生が常備してると思ってんのか」

「ないの?」

「あるわけねぇだろ。寮暮らしの大学生なめんなよ」

「別になめてないよ」

「じゃあこれから買って来いよ」

「その間に下痢が来たら一巻の終わりだろうが」

「その辺のトイレに入ればいいじゃん。コンビニとか」

「そしたらコンビニのトイレから出られなくなんだよ。俺がトイレにこもってたら店員が不審に思うだろ。それでノックされて、声をかけられたら俺は未だかつてない下痢に見舞われてることを言わなきゃいけなくなるだろ。もうそのコンビニ行けねえよ。俺がまたそのコンビニに現れたら、未だかつてない下痢の人っていうあだ名が、そのコンビニの店員の間で広まっちまうんだよ。その上SNSの話題にされんだよ。未だかつてない下痢の人がハッシュタグで拡散されんだよ」

「気にしすぎだろ~。下痢で盛り上がんねぇよ」

 優志は解決策を提案しようと思って色々出したが、玲には響いていないらしい。
 このまま未だかつてない下痢を、自分の部屋のトイレでされるのは親友であってもさすがにキツイ。だが見るからに、玲はこのまま自分の部屋のトイレでやる気満々だ。
 このてこでも動かなさそうな狂気染みた男を納得させるのは、どんな重みのある深い説法でも難しい気がする。困り果て、遂に沈黙に服してしまう。

「お前、下痢止め持ってないの?」

 今までの発言など色々悪いと思ってか、玲の声には落ち着きが感じられた。

「持ってないよ」

「なんだよ。じゃあなんで聞いたんだよ! 本人が聞いといて自分も持ってねえってどういうことよっ!」

 一瞬湧いた同情もすぐに醒めた。
 優志は、再び玲の無礼な態度と素行のせいで玲は苦しめられていると主張を固める。

「なあ、マジで帰ってくんない?」

 優志はストレートにお願いする。

「無理だって! 下痢がやってくるまで一緒に待とう!」

「なんで俺まで待たなくちゃいけないんだよ!」

「お前がインテリア用と食用を分けて置いとかなかったからだろうが! ちゃんと確かめなかった俺も悪いけど、お前も悪いんだから待つくらい当然だろ!」 

 すると、玲はまたムカついてくる。湧き上がってくる怒りと、腹を下る2年の歳月を得て腐ったクッキーの消化物。背反する片方が上がれば上がるほど、または下れば下るほど、互いに上へ下へとベクトルは強まっていくようだった。玲は舌打ちし、自分の発した言葉に愚痴をこぼす。

「なんだよ下痢待ちって。そんな言葉を体現することになるとは夢にも思わなかったよ。夢ならさっさと覚めろよ!」

「お前誰に言ってんだよ」

「聞いたことあるか? 下痢待ち」

「知らねぇよ」

「下痢待ち!」

「うるせえよ。ちゃんと言い直さなくていいって」

「この怖さ分かんねえだろ。毒を摂取したことを知らされた人の気持ちが、お前には分かんねぇんだよ! おとなしくじっとなんかしてられっかよ!!」

「ほんとうるさいって、苦情言われるからやめて」

 優志は口元に人差し指を立てる仕草で玲を制する。その時だった。玲の瞳が開かれる。

「ア"ッ!!」

「えッ!?」

「あ、ヤバいッ!!」

 玲の顔は引きつり、眉をひそめる。体を屈め、腹を押さえた。

「ヤバいヤバいヤバいヤバい!!」

「もう早く行けよ!」

 優志は諦めた。

「あー痛い! 痛い痛い痛い!」

 玲は体を九の字にしながらトイレに向かった。ガチャリと開いた扉が閉められ、ようやくざわめきから解放される。

 辟易(へきえき)する身からこぼれた重苦しい吐息。自分のトイレから未だかつてない下痢の臭いがついてしまう。考えたくもない。どんな臭いがするかなど。
 そしてその臭いを処理しなければならないのは自分であるという事実。後ろめたくなり、自分のトイレを掃除すると言い出す義理人情があの男にあるとは思えない。そういう意味では、優志が恐怖を感じていたことは確かであった。

 トイレから流す音がかすかに聞こえてくる。いやがうえにもトイレから出てくるであろう男を待ちわびてしまう。
 顔をしかめて出てくるであろう、未だかつてない下痢の人に、このままトイレを貸し続けなければならないことを覚悟し、死んだ目で迎え入れるのだ。それでさっさと帰ってもらい、一生玲を部屋に入れないと誓うのだった。

 しばらくすると、玲がトイレから出てきた。片手で腹を擦りながら、神妙な面持ちで、先ほどいたカーペットの上に立ち止まる。

「大丈夫か?」

 優志は心にもなく気遣った素振りをする。玲はふっと顔を上げ、厚い唇で小さく言った。

「下痢じゃなかった」

「え?」

「普通のヤツだった」

 優志は沈み切ったテンションに濡れた表情を破顔(はがん)させた。

「よかったじゃん」

 優志は胸を撫で下ろす。
 これで全部解決したのだ。トイレは無事だし、玲が部屋に留まる理由もなくなり帰ってくれる。狂った論争を繰り広げたが、玲の胃や腸が異常に優れていたことに免じてすべて水に流してやろうと思った。トイレだけに……。

「あ」

 すると、玲が低い声を漏らした。

「ん?」

「そういえば、今日の5限と6限の間に、サンドイッチ食べたなぁ……」

 玲は雷に打たれて悄然(しょうぜん)とするように顔つきが暗く染まる。

「次だ、次だ次! まだ終わってねぇんだよ!! うわー最悪だ」

 玲は頭を抱えたり、右左に行ったり来たりを繰り返してうろたえ始める。

「ダメだ。動けねぇ。また下痢待ちだわ」

「もう帰れよ!」


 結局、玲は未だかつてない下痢の人になった。
 優志のトイレからは、未だかつて嗅いだことのない異臭が3日間取れず、消臭剤もまったく効かなかった。
 優志は未だかつてない異臭がトラウマとなり、自分の部屋のトイレを使うことができなくなった。


 おしまい。

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