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四章の一 高級焼肉店へ。

 北へ北へと向かった道は、途中からクネクネとして森林ばかりが目に入る。文花の運転は少々荒っぽくも感じたが、要領のいいハンドル捌きは、好感がもてた。
 行き先は、千種区としか聞いていなかった。
 ああ、ここかと、後部座席の一華は目を見張り、なじみの風景が素通りしていく。
 そんな中、(今、何をしているだろう)と公季の顔が不意に浮かぶ。目を瞑って、浮かんだ顔と見つめ合う。笑顔のままパッと消えていった。
 それからまた文花の車は、先へ先へと進んでいく。そのうち、こんな街並みがあったのかと、少々驚いた。
 下り坂の両脇に、背は高くない白い建物がずらっとあった。それぞれに有名、無名の店舗があり、それぞれの英字のロゴが、とにかくおしゃれに感じた。
 その背景の中で、大学生ぐらいの女をよく見かけた。普通にウィンドウ・ショッピングを楽しんでいる。思えば、ああいった場にいる自分も、もしかしたら存在していたのかもしれない。そうやって(うらや)む自分が、それはそれで嫌でもあった。
 また目を瞑った。わだかまりを払拭するために、運転席の文花を使う。

「今、なに区? もう千種区じゃないの?」

 どうでもいい質問だった。今ここが、千種区だろうが東区だろうが、本当のところ関心はない。

「どうだろう? ここは千種区だと思うよ」

 文花の丁寧な返答に、「ふうん、そうなんだ」と、ちょっと面倒になった。

 広い通りに出てからは、それほど時間はかからなかった。
 到着した先はコイン・パーキングで、そこから歩いてすぐの五階の商業ビルが、今日の目的地だった。
 あまり広くはないが、真新しいエレベーターで二階に向い、降りてすぐのところに突き当たると、細い看板に『焼肉大樹堂』とある。

「こんな高そうなお店、いいの?」

 一華でも、高級な店だとすぐに分かる。
 店内は、日本料理店のような佇まいで、煙がつきものの焼肉店では、不似合にも思えた。
 注文品が現れた辺りで、その焼肉店らしからぬ種が明かされた。炭火や鉄板ではなく、石盤で肉を焼くらしい。
 文花の説明だと、石盤は一定の熱を保ちやすく、加熱中に内部の肉汁を留めるそうだ。なによりも、煙やニオイが少なく、綺麗な格好で来ても大丈夫らしい。
 実際に文花は、今から結構なホテルのラウンジに行っても違和感のない格好をしていた。
 白のツイード・ジャケットに、アイボリーのフレア・スカートで、光沢感のある足元のヒールは、足を組み変える際に一際ぐんと目立った。
 一方の一華は、抜け駆けされた感が強い。前回の焼肉で、数少ない女の子らしい洋服が汚れた。今回は反省を踏まえて、汚れても大丈夫な格好を厳選した。
 しかしながら、まるで今から登山にでも行くかのような出で立ちで、文花の近くにいるだけでも恥ずかしくなった。
 まあ、それでも、今さら文花にファッションや見て呉れで劣等感を覚えるのも馬鹿らしい。とにかく今は、食い意地だけに集中しようと考えを切りかえた。

「今日は、前回のお詫びだから、じゃんじゃん食べてね」

 ここに到着するまで、いったい何度、聞いたか分からない。確かに、文花の言うとおり、前回の焼肉店では迷惑を被った。
 仕事で世話になったからと、お礼を込めて奢ってもらう流れだったのに、終わってみれば、酔い潰れた文花を介抱し、勘定も一華が全額を払っていた。

「本当に、あの日は大変だったんだから」

 一華は冗談半分に、恩着せがましく言い放つ。

「本当に、ごめんね」

 文花は、胸の前に両手を合わせて可愛らしくした。

「まあ、いいよ、文花は。あの場合は、しょうがなかったと思うよ。問題は、あの、むっつりマゾだよ」

 一華は、介抱のためにやって来た次朗への餌として、「焼肉を食っていいぞ」と許可を出した。車の運転等をお願いせねばならなかったから、しょうがなく丁寧に対応をしたのだ。

「こっちはウーロン茶で、腹の中がちゃっぷんちゃっぷんして、肉を食った記憶もほとんどなかったのに、あのむっつりマゾは、馬鹿馬鹿、肉の味も分からないのに喰いちらかしやがった」

 次朗への恨み節が止まらなくなる。

「本当に、ごめんね」

 文花は再度、胸の前に両手を合わせた。
 いくら次朗への罵りとはいえ、これ以上しつこく言い過ぎると、文花を責める状況になる。

「まあ、いいんだけどね……」

 消化不良的に刀を納めた。代わりに、目の前に並んだ肉へ視線を向ける。

「よし、たらふく食うぞ」

 一華のガッツリ宣言で、開始の運びとなった。上質の肉と、文花の焼き方講座も並行して、ベストな焼肉パーティーの時間が流れた。
 どうだろう。ウーロン茶で、口の中を潤す頻度が多くなってきた辺りで、食うぞ食い散らかしてやるぞの威勢もすっかりなくなった。
 一方の文花も、見た限り、手持ち無沙汰で肉を遊ぶように焼いていた。

「一華ちゃんは、尾藤公季の新曲、聞いた? 今月三十日に出るようなんだけど」

 普通に文花の口から、「尾藤」の名を聞いた。一華にとって、あまり気分はよくない。

「尾藤公季の新曲が、出るの?」

 実際に初耳で、聞き直していた。

「本当に知らないんだ?」

 文花のほうが驚いた。

「なんで、そんなに驚くの?」

「あれ、ファンじゃなかったっけ?」

 ちぐはぐなやりとりが続く。結局のところ一華は、尾藤ファンを否定した。

「次朗君が、チケット十枚も買わされたって、言ってたけどね」

 なんだか釈明を求められていた。

「私も、変な詐欺に引っ掛かってね。強引に売りつけたんだよね」

 とっさにしては、うまく作り話ができた。
 それにしたって、あのむっつりマゾが許せない。余計な話をしやがって。そもそも、いつどこで話しやがったんだと、イラついた。

「尾藤に、興味が出てきたの?」

 あまりにも「尾藤、尾藤」と言うもんだから、あえて一華は話題に乗ってやる。

「興味云々でもないんだけどね。実は、高校のときに、同じクラスだったみたいなんだ」

 さらりと抜かしやがった。しかし一華は、驚かないと不自然に思われると考えた。

「へえ。同じクラスだったの?」

 演技に無理があったと、一華自身が感じた。

「でね、来月の十五日に同窓会があって、そこに来るらしいんだ」

 文花は、あきらかに、一華の様子を窺っている。

「へえ、同窓会にね……」

 同窓会の話も初めて聞いた。なによりも、すでに同窓会の予定が組まれており、公季も出る話になっている。

「出ようか、どうか、迷っているんだよね」

 文花は、焼き加減に関係なく、石盤の肉を左右に転がしていた。

「楽しんで来たら?」

 一華は背中を押す。文花は「どうかなあ」と、どうもはっきりしなかった。

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