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二章の五 一華と公季の過去。

 土曜日の朝。一華の部屋では、尾藤公季のニューアルバム『想いのままに』が流れていた。
 アルバム『想いのままに』は、『文子』と『いつも探してる』のシングルと、それぞれのカップリング曲を含めた四曲を中心にして、新たにアルバム用八曲を加えた計十二曲が収録されていた。
 CDジャケットの帯には、『文子』のアンサーソングがここにはある。と表記されている。一華は、その帯を見るたびに目を背けた。
 アルバム『想いのままに』のCDは、尾藤公季本人から郵送で届けられ、「いつもありがとう。また東山へ行こう」と短く添えられた手紙も同封されていた。


 いつ壊れてもおかしくないCDラジカセが、嫌な唄を垂れ流していた。
 CDラジカセは、父親のお古だから、かれこれ二十年は使っている。壊れたら、小さなコンポでいいから買い換えようと、ずっと思っていた。
 特別今日は、さっさと壊れてくれないかと願った。しかし聞きたくなくても、聞かねばならない義務感もある。今まで、アーティスト『尾藤公季』を支えてきた自負があるからだ。
 高校生のとき、同じ吹奏楽部の半端者同士としてつるんだ。どっかの部活へ絶対に入らなければならないルールの中、仕方なく入った一華と、楽器もできないミュージシャン志望の公季が、隅に追いやられた成り行きで知り会った。
 ミュージシャンになりたいと、本気で口にする公季を、一華は応援した。
 高校に入ってからまもなくの一華は、家庭の事情で、大学進学の道が閉ざされた。だが、進学校の中で小さくなっていた一華に対し、公季だけは明るく接してくれた。
 公季が文花に恋をしてからは、相談に乗った。今の感情を唄にしたらと提案もした。文花に失恋したときは、今の感情を唄にしたらと慰めた。
 高校卒業後。公季だけとは関係が続いた。大学在学中の公季の音楽活動を、裏で支えた。
 路上ライブにも付き合ったし、ライブ活動の手配も率先して動いた。ミュージック・テープも、全国の音楽事務所に出し続けたし、活動費だって捻出したりした。
 やっと所属する音楽事務所が決まり、CDが出せるようになったときは、飛び上るほど嬉しかった。しかも、公季のデビュー・シングル『あなたがいたから』は、一華を想って作った作品だ。
しかし、『あなたがいたから』は、まったく売れなかった。二枚目、三枚目は、プロデューサーがテコ入れした二作品だったが、なにかしら一華を想って制作された。
 二枚目、三枚目も売れず、四枚目は「これで駄目なら――」と音楽事務所から厳しい話をされていたようだ。
 公季は「もうネタがない」と弱音を吐いた。
 一華は「高校のときに作った曲があるじゃない」と、不意に励ました。
 作品制作の相談などは、そこで最後になっていた。


 CDラジカセのカセット・デッキ部分は、すでに壊れていた。尾藤公季のミュージック・テープを録音した功労者で、思い出深い奴だ。この今のご時世では、普通考えられないが、カセット・テープで音楽事務所へ曲を送った。何の計算もなかったが、公季を拾ってくれた音楽事務所は「このレトロ感がいい」と褒めてくれたそうだ。


 アルバム『想いのままに』は、六曲目に差し掛かっていた。ここまで延々と『文子』の続編らしき唄が続いた。
 一華は耐えられなくなった。自分以外の女を想った唄を、恋人が六曲続けていたのだ。
 義務感など、どうでもよくなった。乱暴に、上から叩きつけるように、CDラジカセのCD停止ボタンを押す。そのまま脱力感で、畳に寝そべった。
 仰向けになった一華の頭の中は、ろくでもない思い出がぐるぐると巡る。六曲近く続いた、CDのせいで間違いない。
 高校三年になってから、公季は文花に振られた。数多い中の一人だっただろうから、文花は覚えてすらいないだろう。
 だが、公季の落胆ぶりは、あまりにひどかった。振られ方も原因の一つだっただろう。
 他人目(ひとめ)がいない隙をついて、公季は告白しようとした。ちょうど文花は、携帯をいじっていた。
 公季が近寄って「あの、ちょっといい?」と声を掛けても、文花からは返答がなかった。もう一度試みても、そっぽを向いて返答がない。三度目は、少し大きめに声を掛けていた。
「あの、ちょっといい?」と。
 それでも、「今は、ちょっと」と、文花は携帯の画面から目を外さなかった。
 シチュエーション的に、だいたい察しがつくはずだった。明らかに、無視をしていた。
 公季は「ごめんね」と、足早に逃げて行った。
 当時、公季の恋の相談をしていた一華は、心の中で勝ち目がないと思っていたし、実際に口にしていた。だが、何かの拍子で、いてもたってもいられなくなった公季が、どうしてもと言い出した。
 一華は、文花の行動を探り、独りになるときを探り当てて、公季に報せた。だから一部始終を知っていたし、木陰みたいなところで、すべてを見ていた。
 他人事ではなくなっていた。
 一華は自らを、公季に投影していた。頑張れば、うまくいく。勇気を持って挑めば、道は開けると、信じたかった。
 しかし目の前には惨劇が待ち構えていた。自分たちは、ああやって輝いている者たちとは、同じ舞台にすら上げさせてもらえないのだと。
 公季は振られてから、三日間は学校を休んだ。登校してからは、一華の前で泣きに泣いた。

 午前中の間は、畳の上で寝そべるつもりでいた。ずっと情熱を傾けてきた『尾藤公季』のサポート活動を、いつの頃からか、やらなくなっていた。
 携帯の呼び出し音が鳴っていた。公季に決まっている。土曜の今の時間帯に、一華の居場所を知っている数少ない者だ。
 十回、二十回と、携帯の呼び出し音が鳴り続ける。一華は、出ようか出まいか迷った。
 二十回が過ぎた辺りで切れた。
 またすぐに、携帯の呼び出し音が鳴り始めた。一華は、出ようか出まいか迷った。
 十回が過ぎた辺りで切れた。一華は急いで、携帯の電源を切った。

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