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ビジネス!ステイサム!

 行くにしても、あと一つだけ重要なことがあった。

「あの、お金のことなんだけど・・・」

 一体いくらかかるのだろう?貯金はしているが、出来れば太一の進学資金に使いたかった。

「あっ、それなら心配しないで下さい」
「えっ?」
「おごりますよ。俺、金持ちなんで」

 そうあっけらかんとカズナリ君は言う。

「いや、パリおごられるとかないから・・・」
「いいから、いいから。細かいことは気にせずに、行きましょう」

 そう言うと、レシートを手にして、立ち上がってしまった。

「あっ、一応、太一君に頼んで化粧道具とか詰め込んでもらったんですけど、服とかないんで、いろいろ買っていきましょう」

 お会計を済ますと、そう言って、有無を言わさずにアパレルショップに向かっていく。カズナリ君は小さなバックパックは持っていたが、身軽だった。

 私も当然仕事帰りなので身軽だ。旅支度をここでしようと言うのだった。

 私は貧乏性なので、今から行われる狂気の無駄遣いに怖気を震った。もうそれだけで、ちょっと後悔し始めていたが、カズナリ君が私の手を握って、冗談めかして言った。

「帰ってくる頃には、二人の旅の思い出いっぱい出来ますね」

 瞬間、二人して手荷物いっぱいにして帰ってきて、可笑しそうに笑っているヴィジョンが浮かんだ。何も先のことなど考えずに、「今」だけみて笑っていられるような、幸せそうな笑顔だった。

 すでにカズナリ君はそんな笑顔をしていた。

 私はつい吹き出した。太一がここにいたら、また『姉ちゃん、ノリ、ワリー』と言われていることだろう。

 おそらく費用は二、三十万くらい。概算し、そのくらいなら行けると踏ん切りをつけた。

「そうだね」私は気づくと微笑んで「せっかくだし、楽しもっか」と言っていた。

 たまにのことなら、いいだろう。そう思うことにした。

 そうは言っても、わざわざ高いものを買う意味はないので、ファストファッションブランドに行って、フリースやシャツ、ショーツ、動きやすそうなパンツ、あとネックピローを買った。

「まだ時間あるね」

 カズナリ君がそう言って、連れてきたのはラウンジだった。

「えっ?入れるの?」
「うん。ビジネスだから」
「は?」

 ビジネス?ビジネスクラスということ?ついさっきした概算が脆くも崩れ去った。儚い。

 ポケッとしてると、私はいつの間にかふかふかのソファに座っていた。目の前には慣れないラグジュアリーな雰囲気が広がり、自然と体が強張ってくる。

「シャワー浴びてくれば?」
「えっ?う、うん?」
「ここ、シャワーあるみたい」
「ラウンジって、シャワーあるんだ・・・」

 私はちょっと驚きながらも、そう言えば仕事終わりでこれから何時間も体を洗えないのだから、絶対に洗っておいたほうがいいな、と思った。

「じゃ、じゃあ、頂こうかな」
「はい、いってらっしゃい」

 マズい。完全に空気に飲まれている。

 しかし、シャワーは気持ちよかった。そして、タオルは埋もれるほどふかふかだった。

 さっき買ったばかりの気の抜けた格好に着替えた。ついでにメガネでスッピンだ。完全に場違いな気もするが、もう開き直ることにした。

 席に戻る時に、脇を見ると、美味しそうな食事やドリンクが並べてあった。どうもフリーらしい。

 さ、さっきのフードコートに行く必要はなかったのでは・・・?ついつい貧乏性が顔を出しそうになる。

 カルチャーショックを受けながら、私は席に戻った。いくら費用が掛かるのか、未知過ぎたので、改めて計算するのは止めて強制シャットダウンした。

 頭から弱々しい煙が上がっているのが感じられる。

 焦点が前にようやく定まると、カズナリ君がずっと私の顔を見ていることに気づいた。

「ど、どうしたの・・・?」
「いや、メガネ姿初めて見たから」
「あっ、ああ、普段、コンタクトだからね」

 そう言えば、メガネ越しでカズナリ君を見るのは初めてだと気づく。普段はカズナリ君がメガネをしているから、今は逆転している。

「?どうしたの、顔赤くない?」

 カズナリ君はいつもと違って、真顔で余裕のない顔をしていた。まるで獲物に飛びつく前の猫のようだった。

「きれい」
「えっ?」
「きれいでかわいい」
「メガネフェチなの?」
「そういうわけじゃないけど」

 カズナリ君はようやく苦笑した。

「湯上がりだし」
「シャワー浴びてくればって言ったの、カズナリ君じゃん」

 なんだか私まで顔が赤くなってきた気がする。

 カズナリ君はアゴに手の甲をやるようにして肘をつき、口元を隠した。何かを抑えているように。薄茶色の瞳に私は見つめられていた。さっき夕焼けのベンチで見た瞳とは、違っていた。

 喉が、渇く。

「飲み物持ってくるよ」

 カズナリ君は、表情を和らげると、私の心の声を読み取ったかのように、立ち上がった。立ち上がったカズナリ君を見て、改めて、大きいなぁとなぜかその時私は思った。


 機内に入ると、やはり私は感動よりクラクラした。当然ながら、エコノミーにしか乗ったことがない。

 食事のたびにテーブルクロスが敷かれる世界は、別世界と言っても過言ではなかった。食事ももちろん美味しい。

 テレビの画面も大きい。カズナリ君と一緒にサメ映画を見た。何十メートルもあるサメを、スキンヘッドのイカツイ主人公がハラハラドキドキの展開の末に倒していく。

「ステイサムかっけえ」
「うん、カッコイイ」

 私達はイヤホンを片耳ずつ嵌めながら、うなずいた。帰ったら、子どもたちと一緒に観ようと約束した。やはり、最後に凶暴なサメをきっちり倒すのが良い。

 それから私達は眠った。なんと、シートの足元が伸びて、寝っ転がれるのだ。背の低い私なら、手足も十分に伸ばせそうだ。一眠りいくら・・・、というのは考えないようにした。

 カズナリ君はさすがに窮屈そうだった。手足を縮こまらせて、ネックピローをお腹に抱いて寝ている。なんだか絵本に出てくるクマさんみたいだった。

 整然と揃った長いまつげに手を伸ばしてみたくなって、やめた。

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