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第十話

「…………あっ、こちらこそすみませんっ! 前もろくに見てなかったので……」


鈴のような小さな声に心がくすぐられる。


「ありがとうございます」と、控えめに手を握られ、そこで俺はようやく我に返った。


「い、いえいえ、私の方こそ……。足を痛めたりしていないですか?」


「大丈夫です」


都会の喧騒が次第に煩くなってきた。


気がつくと、道行く人々が立ち止まり、自転車に乗った中学生やサラリーマンがこちらの方を不思議そうに見ている。


着物の女は挙動不審に眼球を動かし、もごもごと言った。


「あ……すみません、私、急いでいるのでこれでっ……!」


黒髪の聖女が逃げるようにその場を後にするのを、自分の鞄を拾うのも忘れて慌てて追いかけた。


「あの……! 待って!」


店の角を着物の裾が走り去る。


跡を追いかけようと角を曲がるが、既に彼女の姿はなかった。


(なんて逃げ足の速い人だ。まるで煙のように消えてしまった…………)


前方から都会とは思えない柔らかな風がビルの間を吹き抜ける。鼻孔に抜けるこの香りは……。


金木犀(きんもくせい)か……?」




その後1時間近く彼女の姿を探したが、結局見つけることは出来なかった。


先程まで荒れていた心は嘘のように晴れ渡り、俺の胸には甘い疼きだけが残っていた。

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