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(4) 既視感

 学生時代、そうやってアイドルにうつつをぬかしながらも、現実の女の子に恋することも忘れてはいなかった。

 もちろんアイドルとて現実の女の子には違いはないものの、やはり定義の仕方に齟齬(そご)がある。所詮自分たちの見ているものは生身の女の子の皮を被った偶像に過ぎない。それを知っておくことは必要だろう。常に意識する必要はないにせよ。

 日坂からサークルに勧誘されたとき、彼はすでにひとつ上の先輩に想いを寄せていた。
 柴田奈央(しばたなお)だ。
 サークルの見学に行った日にそれを聞かされはしたものの、その先輩ときちんと顔を合わせて話す機会はなかった。テニスをしている姿を離れた場所から見た程度だ。

 サークル初日にはすでに尋深に惹かれていたこともあって、先輩のことは恋愛の対象としては眼中になかった。
 その上、柴田先輩はサークルへの出席率が低かった。たまにしか姿を見せない上に、来ても途中で一人先に帰ってしまうことが多く、極めて接点の少ない人だった。
 日坂がよくぼやいていたのを憶えている。

「柴田さん、何であんなに忙しいんだろうなあ。しょっちゅう顔を合わせられれば、徐々に距離を詰めていく作戦もありだけど、こう会えないことが続くとどうしていいのか分かんないよ」

 おまけに季節的には梅雨が間近に迫っていた。雨が降れば自動的にサークルは休みになってしまう。

 そんなある日——。
 その日は大学キャンパス内のコートではなく、少し離れた市営のテニスコートが練習場所だった。

 柴田先輩が久しぶりに姿を見せていたのに、そんなときに限って日坂の方が休みだったりする。急にバイトのシフトを入れられたのだと怒っていたが、どうせ柴田先輩も休みだろうと言い聞かせるようにしてバイトへ向かっていた。可哀想なことだ。

 コートに着いたとき、柴田先輩はすでにダブルスの試合を始めていた。
 見回してみても尋深の姿はない。来るのか来ないのか、知り得る立場にもないし(すべ)もなかった。ほかの女子メンバーに()けば分かるのかもしれないが、そんなことを訊く理由の説明は不可能だし、訊いた時点で勘繰られるに決まっている。

 とりあえず彼女のことは置いておいて、日坂の好きな先輩のことをじっくりと観察して、できるだけ会話を交わしてみようと思った。
 それは単なる好奇心でもあったし、自分を尋深に引き合わせてくれた日坂の恋を応援したいという気持ちもあった。

「俺は本当は巨乳がタイプなんだけど、柴田さんは例外なんだよ。なんでだろうな。本当に好きになると、おっぱいの大きさなんかどうでもよくなるんだな」

 日坂がそんな失礼なことを言っていたように、先輩は手足も細く、全体的に華奢な体つきだった。それでも打ち返す球には力強いものがあって、全身がしなやかでバネの強い印象を受けた。

 軽いフットワークで珈琲色のショートヘアを揺らしながら球を追う。ある時は飛び上がるように、ある時はしっかりと重心を落として、小さなテイクバックから大きくラケットを振り切る。自分たちにポイントが入れば大きな声を上げ、パートナーとハイタッチをして喜ぶし、自分がミスをしたときは大袈裟なほど悔しがって見せた。

 なるほど見ていて楽しいし、人柄の良さも伝わってくる。彼女に惹かれる気持ちには大いに共感できた。端的にいえば、もてそうな人だった。
 彼氏はいないらしいと日坂は言っていたが本当だろうか。さすがに本人に確認するわけにもいくまい。いや。日坂のことだから確認したのかもしれなかった。

 ゲームに決着がついたらしく、先輩はコート脇のベンチに引き上げた。置かれていたバッグからタオルを取り出して汗を拭っている。そのタオルを膝の上に置いて談笑しながら、右手の人差し指で自分の鼻の頭を撫でるような仕草を見せた。

 既視感に襲われた。
 何だろう。すぐには分からなかった。
 次にペットボトルを手に取って口をつけた先輩が、そのままこちらを向いた。
 目が合った。

 見ていたことを悟られたかと、慌てて視線を逸らそうとしたとき、その瞳に見覚えがある気がした。
 そんなはずはないと、確かめるつもりで視線を留めた。ペットボトルを持ったままの先輩と見つめ合う形になり、やがて先輩の瞳が驚いたように見開かれた。

 だが、そんな表情は一瞬だけで、先輩はすぐに何事もなかったかのようにほかの人たちと再び談笑を始めた。
 その瞳。横顔。笑い方。そして、鼻の頭を撫でる仕草。
 どうして気づかなかったのだろう。
 彼女を知っていた。
 ただし、その知っているはずのその女性の名は、柴田奈央ではなかったが——。

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