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66.自分からキスを求めたことは内緒です

「おはようございまーす」

 そのうち、社員がわらわらと現れたが、ちひろだけが真っ赤に熟れた林檎みたいな顔で、その場に立ち尽くしてしまう。
 当の逢坂はというと、平静極まりないといった調子で給湯室に行き、コーヒーサーバーを手に取りカップに注いでいだ。

「中杢さん、邪魔。朝っぱらから、何突っ立ってんのよ」

 冷たく言われ背後を見ると、憮然とした表情で高木が立っていた。
 慌ててデスクに戻ると、悠木が近づいてきて小声で話しかけてくる。

「高木さんは逢坂社長を狙っているからね。朝から逢坂社長とふたりっきりで会話なんてしていたら、風当たりがきつくても仕方ないと思って諦めて」

「社内イジメを容認されるんですか?」

 ちひろは、なんとなく社風に合わないセリフだなと感じて、言い返したに過ぎない。
 だが悠木は、その返しに対し面白いという顔をした。

「あなた、結構言うじゃない。カジュアルブランドチームは、ざっくばらんとしているから、入りたければいつでも受け入れるわよ。荷物持ちは常時募集中だから」

「荷物持ち……ですか?」

 ちひろが真顔でそう返すと、ますます悠木は楽しそうに笑う。

「そうよ。私を含め、最初は誰でもそうでしょ。いかに下働きからのし上がれるかが才覚ってものじゃない? あなた、結構うまくやったわよね。きわだって世間知らずで鈍くさいから、逢坂社長自ら手をかけることになったんだもん。運がいいじゃない」

 きわだって世間知らずで鈍くさいという評価をされ、複雑ではあるが真実なので何も言い返さなかった。

(悔しいけど仕方ない。運とか言われずにすむように、早く一人前になりたいなあ……)

 顔を引きつらせるちひろに、悠木がふふっと笑った。

「逆に高木女史は運がないわよね。特に男運。せっかくハロワの長谷川さんが結婚してライバルがいなくなったもんだから、これ幸いと逢坂社長に迫ろうとしていたっていうのに。とんだ伏兵が現れたわよね」

 ちひろも普通の22歳。
 恋バナは好きだが、こういうギスギスした話は好まない。
 返事ができないちひろを置いて、悠木は楽しそうに話を続ける。

「……と言っても逢坂社長はこれまで、ほかの女性とそれなりに付き合いはあったみたいだし、高木女史には目もくれなかったんだから推して知るべしよねえ」

「何か言った!?」

 高木が目をつり上げて、ちひろと悠木を睨みつけた。

「なんでもありませーん。じゃあね、中杢さん。次の撮影の補佐、考えておいて」

「はい」

 悠木が半笑いで自分のデスクに戻ると、残されたちひろに高木がギリギリとした視線を突きつけてきた。

(やだなあ……美人が怒ると怖いんだもん)

 自分から逢坂にキスを求めたなんて、絶対にバレないようしないと――


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