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第27話 ~Run away~

 長岡さんを呼びに行かなきゃ……!
 そう思ったのと体が動いたのとは、ほぼ同時だった。

 あたしは立ち上がり、長岡さんを呼びに行こうと襖に手を伸ばす。

「どういたッ!?」

 先に襖が開いたかと思うと、長岡さんが立っていた。あたしの声を聞いて、部屋に駆け付けてくれたのだろう。

 長岡さんが部屋に入って来る。

「ゴホッ……ゲホッゲホッゲホッ……ゴホゴホッゴホン!!」
「どういた!? 咳が止まらんがか!?」
 陽之助さんが顔を背けた。

 ポタポタと血が滴る。

「オマン、血が……!!」
 長岡さんは驚愕に目を見開くが、直ぐに険しい表情になってしゃがんだ。

「落ち着きや、陸奥。動いたらいかん」
 陽之助さんの体を支え、落ち着いた声で語り掛ける長岡さん。
 苦しそうに胸を押さえながら、陽之助さんは荒い呼吸を繰り返している。

 あたしには、ただ見守ることしか出来ない。

 暫くして、長岡さんに背中を撫でられて、幾らか落ち着いたのか――陽之助さんの咳の回数が少し減り、呼吸がゆっくりになって来た。

「口を開けや」
 長岡さんが、懐から紙包みを取り出しながら、陽之助さんに告げる。
 陽之助さんがその小さな口を開けると、長岡さんが慣れた手付きで紙包みを開けた。
 中には、白い粉が入っている。恐らく、薬だろう。

 長岡さんが陽之助さんの口の中に、薬をサラサラと入れた。

「――ッ!!」
 薬を入れられた直後、陽之助さんは俯いて口を押さえる。

 あたしは急いで、傍らにある水の入った湯呑みを、長岡さんに手渡した。
 長岡さんが無言で受け取り、陽之助さんに飲ませる。

「……ッ! ハァッ……、ハァッ……! ゲホッゲホッ……ゴホッ!!」
「陸奥、横になりや。安静にせんといかんき」
 陽之助さんが水を飲んで落ち着いた後、長岡さんが言った。

 その言葉に従い、陽之助さんが布団に横になる。
 すると長岡さんが、あたしに視線を向けた。

「萌華、もう寝て()いぜよ。陸奥(コイツ)のことは、オレに任せや」
「じゃあ、お任せします。お休みなさい」

 長岡さんが付いているし、もう大丈夫だろう。第一、あたしが出来ることは殆んどなかった。
 あたしは静かに部屋を出て自室に戻り、眠りに就くのだった。


 翌日、あたしは朝から茶屋に向かった。
 若女将さんは心底ホッとしたような顔で出迎えてくれて、あたしは以前のように、この茶屋で1日中働いている。

 龍馬さんの破傷風も、治療をしてから4日くらい経った頃には治っており、長岡さんは「後は包帯が取れるのを待つだけだ」と言っていた。
 この前、陽之助さんに急に冷たい態度を取られたのが気になるけど、まだあたしに心を開いてくれていなかったんだろう。

 そんなある日、あたしが何時(いつ)ものように茶屋での仕事を終え、海援隊本部に戻っている時のことだった。

 急に後ろから強い力で抱き寄せられたかと思うと、あたしの背中は洪庵先生の診療所を囲む漆喰の塀に、叩き付けられていた。
 反射的に閉じた目をゆっくりと開けると、視界に浅葱色の羽織が飛び込んで来る。

「夜道を女1人で歩くたァ、随分と無防備じゃねェか」
 聞き覚えのある江戸っ子口調に、あたしは顔を上げた。

 ()(はく)色の無造作な髪の間から、切れ長の鋭い瞳が覗いている。その口元は、不敵に歪んでいた。

「沖田さん……ッ!」

 あたしは目を見張り、彼を見上げる。

 ドンッ!
 沖田さんの手が、あたしの背後にある塀に突き付けられた。
 突然の壁ドンに驚きながらも、あたしは沖田さんに鋭い視線を飛ばす。

「テメェの名は何だ? 名乗れ」
「……織田原萌華です」
 あたしが名乗ると、沖田さんは口元を片方だけ吊り上げた。

「萌華、()()()()()()()

 顎を(すく)い上げられ、妖しげに細められた彼の瞳にあたしの顔が映る。
 彼を睨み付けて、あたしは拒否の意を示した。

 恐怖がないワケではない。だけど此処で怯えたような態度を見せれば、恐らく彼は調子に乗るだろう。

 それに沖田さんは神鬼狼(てき)だし、人斬り集団の一員だ。そんな人の恋人になろうなんて、微塵も思わない。

「あ? 何だよ、その目。オレに逆らう気か?」
「貴方に従う気なんてありません」
「大人しくオレの言うことを聞くってェんなら、(わり)ィようにはしねェよ」
「イヤです」
 塀に押さえ付けてあたしの逃げ場を奪い、口説いて来る沖田さんに、あたしは真っ向から反抗した。

 沖田さんがイラ立ったように、笑みを引き()らせる。

「ガキの分際で、良い度胸してんじゃねェか。その反抗的な目……どうやら、()()()()()()()()()()()()何時(いつ)までオレに逆らっていられるか、楽しみだぜ」

 高圧的な視線を注がれ、背中に氷を当てられたような感覚に襲われた。

 だけど、ゼッタイに沖田さんの言いなりにはならない。あたしが好きなのは、沖田さんじゃなくて陽之助さんだ。

()い加減、オレの言うことを聞け。テメェに選択肢は()ェんだよ」
「イヤです。辞めて下さい」
「口答えしてんじゃねェ、クソガキ。自分(テメェ)の立場、理解(わか)ってんのか?」

 睨み付けて拒絶するけれど、彼の態度は変わらない。(むし)ろ、その不敵な笑みは、先程より深くなっているような気がする。

「……テメェがその気なら、オレも()()()()()()()()

 沖田さんの骨張った大きな手が、あたしの胸へと伸びて来た。

 突然の彼の行動に、一瞬思考が停止する。
 だけど、その一瞬すら命取りだったようで――あたしの着物の中に、彼の指が滑り込み掛けていた。

 ――状況を理解するより、行動する方が早かった。

「触るなッ!!」
 あたしはそう叫び、沖田さんの頬に思い切り平手打ちを食らわせる。

 沖田さんも、あたしの行動が予想外だったらしく、自らの頬に手を伸ばしながらあたしを見た。

 視線を感じたけれど、彼と瞳を交わす程の余裕はなく、あたしは夢中で駆け出す。

 それは本当に、咄嗟の判断だった。これが最善の策だったかと問われれば、恐らくあたしは首を縦には振らないだろう。

 ――逃げろ。
 今のあたしの脳は、その命令しか出していなかった。当然、それ以外のことを考える余裕などない。

 次に捕まったら、最後。
 あたしがどれだけ抵抗しようと、彼は強引にあたしを押さえ付けて、己の欲を満たそうとするだろう。

「テメェ……ッ、待ちやがれ!!」
 沖田さんの声と共に、足音がだんだんと近くなって来る。

 心臓が張り裂けそうなくらい痛くて、足もフラフラだ。
 それでも、あたしは走った。

「!?」
 その時、足に何かが当たったかと思うと、突然視界がグラリと揺れた。
 体が地面に叩き付けられる。

 瞬時に顔を上げて振り返ると、沖田さんが直ぐ近くまで迫って来ていた。

 ()()()()()――。

 あたしは、固く目を閉じた。

 ダァン!! ダァン!!
「ぐッ……!!」
 頭上で響く2発の銃声と、男性の呻き声。

 え……!?

 あたしは恐る恐る目を開けて、音のした方を見上げる。
 其処には――藍色の髪を風に踊らせた若い男が、あたしに背を向けて立っていた。右手に持つピストルの筒先は、煙を吹いている。

 まさか、この人は……!

「――高杉から貰ったピストル、流石に1発で当てんのは至難の業だな」

 振り返ったその人と、視線がぶつかる。髪の色と同じ藍色の目が、あたしの姿を捉えている。

 政宗様だった。

「萌華! オレは言ったハズだぜ、『夜道には気を付けろ』ってなァ!!」
 そう叫んで、彼は2発撃つ。しかし沖田さんに当たることはなく、放たれた2発の弾は(くう)を突き抜けた。

「独眼龍……ッ!!」
 先程、政宗様に撃たれたのだろう――左肩を押さえながら、沖田さんが呟く。

 (やいば)のように鋭利な視線を絡め合う2人。

「早く行け、萌華!」
 政宗様の言葉にハッとして、あたしは立ち上がる。

 早鐘のように打つ心臓を押さえ、懸命に足を前に出しながら、あたしは海援隊本部に駆け戻った。


「ハァッ……ハァッ……! う……ッ」

 海援隊本部に着いたあたしは、入り口の前で膝を突く。
 顔を歪め、両手で心臓を押さえた。

 だけど直ぐに目の前が真っ暗になり、あたしの体は()を描いて倒れる。

「萌華はん……!?」

 意識を手放す直前、陽之助さんの声が聞こえたような気がした。

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