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第22話 ~恋ぞ積もりて~

 嗚呼(ああ)()()()()()だなんて、思ってもみなかった。
 きっと、陽之助さんの『1番』になんてなれないし、彼があたしを本気で好いてくれることもない。

 ……そういえば陽之助さんに、好きな人は居るんだろうか?

 陽之助さんは女性に興味がないらしいし、彼の女性関係についての話は聞いたことがない。
 もし彼に好きな人が居ないのなら、陽之助さんが他の女性に取られる前に、奪ってしまいたい。

(ワイ)、休んで来るわ。萌華はんも、休んだしか()ェん(ちゃ)う?」
 陽之助さんに話し掛けられ、あたしはハッと顔を上げる。

「あ……うん」
 あたしは咄嗟に答えた。

 すると、陽之助さんは襖の奥に消えて行った。

「…………」

 あたしは部屋に入り、ズルズルとその場に座り込む。
 そっと膝に顔を(うず)め、溜め息を()いた。

 後悔が、心を支配する。
 だけど――もう好きになってしまった。今更、この想いを閉じ込めることなんて出来ない。

 好きだからこそ、心が()き乱される。

「どうして……こんなことに……ッ」


 ――気が付くと、部屋は真っ暗になっていた。

 ……あのまま眠ってしまったんだ。そういえば最近、あんまり眠れていなかったな。

 あたしは静かに障子を開けて、空を見上げる。藍色の空に浮かぶのは、明るい月と雲。
 もう夜になっている。

「――ゴホッゴホッ……ゲホッ」
 突然聞こえた咳に、あたしは振り返った。

「ゲホゲホ……ゴホッゴホゴホ……ッ」

 陽之助さんの咳だ……!

 部屋を出て、陽之助さんの部屋の前に立つ。

「大丈夫?」
 問い掛けるけれど、咳き込む声だけで返事はなく、心配になったあたしはそっと襖を開けた。

 陽之助さんの部屋も5畳で、体調が悪くなった時に直ぐ横になれるように、手前に布団が敷いてある。
 肝心の陽之助さんは、部屋の奥にある文机の前に座り、口元を手で押さえながら咳き込んでいた。

「陽之助さん……!」
 部屋に入ったあたしは彼に寄り添い、肩を支えて背中を(さす)る。

 文机に視線を移すと、紙に書き掛けのキレイな文字が並んでいた。陽之助さんは字が小さめで、比較的読みやすく美しい字だ。
 あたしでも読みやすいなと思ったし、読み慣れている人にとっては、本当にキレイな字なんだろうな。

 やがて咳が落ち着いて来ると、あたしは彼の体から手を離した。

「これは、仕事?」
「うん、別に急ぎと(ちゃ)うねんけど、やっぱり(ワイ)だけ楽するんは性に合えへんさかい……ケホッコホコホッ」
 筆を取って書こうとし、咳き込んでしまった陽之助さんの背中を撫でる。

 今まで下ろしていた髪を結い上げ、紫の着物と左足を露出させた白袴を身に(まと)っているのは、仕事に集中する為だろうか?

「また咳出てる……急ぎじゃないなら、休んだ方が良いよ」
「せやけど――」
 言い募ろうとした陽之助さんの肩を掴み、後ろに敷かれている布団で休むように促す。
 陽之助さんを布団に寝かせようと、あたしはグイッと彼の肩を押した。

 その瞬間(とき)、あたしが彼の肩に重心を置いてしまい、彼も抵抗力が弱かったからか――あたしと陽之助さんは、一緒に敷布団に倒れ込んでしまう。

 陽之助さんが敷布団に背中から倒れる直前、体重を掛けてはいけないと判断したあたしは、彼の肩から手を離した。
 そして、離した手を咄嗟に敷布団に突く。

「…………」
「…………」
 2人はそのまま、無言で数秒間見つめ合っていた。

「……萌華はん?」
 陽之助さんに名を呼ばれ、ハッと我に返る。

 ――あたしは、陽之助さんを敷き布団に()()()()()()()

 困惑したような切なげな表情で、白い頬を桜色に染めている陽之助さんと、視線が絡む。
 熱でも出たように、頬が熱い。きっと今のあたしは、耳まで真っ赤になっているだろう。

 目の前で、同じく頬を染めている魅惑的な美人に、ドクンと心臓が跳ねた。
 色っぽいな――なんて、今この状況で1番思ってはいけないことを、ボンヤリと思ってしまう。

「……(ワイ)のこと、襲うつもりやったん?」
「ご、ゴメンッ!!」
 陽之助さんのその言葉に、今度はサァーッと心臓が冷えるような心地を覚え、あたしは彼の体から離れた。
 少し疲れたような顔で、陽之助さんも起き上がる。

 陽之助さんに背を向けながら、何と言おうか必死に考える。

「……別に(かめ)へんで……()()()()()

 その気がなかったとはいえ、急に押し倒してしまったんだ――誤解を生まないワケがない。

 それより、あたしの気を引いたのは――「慣れている」という彼の言葉だった。

 陽之助さんを襲うような形になってしまったのは、今回が初めてだ。前にキスはしたけれど、あの時は彼に拒絶されないように、優しくした。
 つまり陽之助さんは、()()()()()()()()に今と同じようなことをされた経験があるということだ。

 彼が女性に興味を持たないことと、今の「慣れている」という彼の言葉が、深く関係しているように思えて、あたしは暫く彼を見つめていた。

「……どないしたん? そないに見つめて……。襲いたいんやったら、襲って()ェんやで」
 そう言って、色っぽい流し目を当てた後、陽之助さんが袴の結び目に手を掛ける。

 女性が苦手なハズなのに、何故か全く躊躇わない彼に驚きながらも、あたしは全力で止めた。
「ちょ、ちょっと待って!! 違うの!!」
「え……?」

 袴を脱ごうとする手を止め、陽之助さんがあたしを見る。

「急に押し倒しちゃったし、誤解を生んでも仕方がないとは思うんだけど……本当に陽之助さんを襲う気はなかったの!! ゴメン、本当にゴメン!!」

 今更弁解しても意味がないかも知れないけれど、あたしが出来ることは謝罪だけだ。

 陽之助さんを傷付けたくなかったのに、傷付けてしまった。
 顔に出さないだけで、きっと彼は内心傷付いている。ツラい時こそ、ガマンしてしまう人だから。

()ェで……(ワイ)は別に怒ってへんし。体調悪なって来たさかい、もう休むわ」
 そうとだけ言い、陽之助さんは布団の中に入ってしまった。

「あ、うん……! ゴメンね、長々と……」

 体調が悪いのなら、早く休ませてあげた方が良い。
 あたしは、そっと陽之助さんの部屋を出た。

 そして――後ろ手に襖を閉めた直後。

「……せやさかい、(おなご)なんかキライなんや……」

 えッ!?

 あたしはその場に立ち止まり、目を見張る。

 傷付けてしまったかと思うと同時に――彼がどういう風に女性と接して来て、何故女性が苦手になったのか、知りたいと思った。
 ワザとではないとはいえ、彼を傷付けてしまったあたしに、知る権利があるかは(わか)らないけれど。

「……坂本さん……(ワイ)、やっぱり貴方(オマハン)のことが……」

 この頃のあたしは、彼の()()()()()をまだ知らなかった――。


 次の日の朝、あたしは龍馬さんと共に茶屋に向かっていた。

 朝ご飯は、梅干しの入ったおにぎりを2つ、長岡さんが作って持って来てくれた。それを食べて身支度をしてから、龍馬さんと海援隊本部を出たところなのだ。

()い天気じゃにゃァ!」
「ホントですね」
 伸びをしながら言う龍馬さんに、あたしは微笑んだ。

 雲1つない(あま)色の空が、何処までも何処までも広がっている。

 龍馬さんは、かなり身長が高い。180cmはあるだろうか?
 あたしは147cmと低い為、龍馬さんと並ぶとかなりの身長差がある。彼を見上げると、首が痛くなってしまうのが正直なところだ。

 暫く歩いていると、茶屋が見えて来た。
 
 無断欠勤してしまったし、優しい若女将さんも、流石に怒っているかも知れないな……。
 だけど、心配や迷惑を掛けたのは事実だ。謝って、また今日から精一杯働こう。

「萌華ちゃんじゃない!」
 開店前の茶屋で朝の仕入れをしながら、驚いたようにそう言ったのは、20代くらいのキレイな女性。茶屋の若女将さんだ。

 あたしは若女将さんの前まで行き、彼女に深々と頭を下げた。
「本当にすみませんでした! 何も言わずに何日も休んでしまって……!」

 せめて、連絡だけでも出来ていれば、まだマシだっただろう。だけどあたしは、それすらせずに休んでしまった。
 きっとあたしが居ない間、若女将さんは接客に追われ、忙しく働いていたのだろう。

「良いのよ、萌華ちゃん。顔を上げて頂戴」
 天使の羽のように柔らかく優しい声に、あたしはゆっくりと顔を上げる。

 其処には――安堵したような優しい笑みで、あたしを見つめる若女将さんの姿があった。

「無事で何よりだわ。それに、連絡はこの前貰っていたの――()()()()()()()()()から」
「え?」

 あたしが驚いて後ろを振り返ると、龍馬さんが微笑んでいた。
 まさか、龍馬さんが……?

「近江屋でワシが(ふみ)を書きよったこと、覚えちゃァせんかえ? 他の(モン)に宛てて書くついでに、若女将にも出したがじゃ。けんどそれを言うて、オマンに気を遣わせたらいかんき、言わんかった」

 あの時龍馬さんが書いていた手紙って、龍馬さんの知り合いだけじゃなくて、若女将さんにも書いていたんだ……!

「龍馬さん、本当に有り難う御座いました! あたしの為に、こんな……」
()いき、()いき。それより、萌華の生活のことやけんど、ワシが隊長を務めゆう海援隊本部で、生活させることにしたがじゃ」
 笑って手を振った龍馬さんが、顔を上げて若女将さんに言う。

 若女将さんが目を丸くし、龍馬さんとあたしを交互に見た。

「大丈夫なのですか……?」
 不安げな顔でそう言った若女将さんに、龍馬さんが明るい笑みを見せる。

「何ちゃァ問題はないぜよ。萌華に何かあったら、彼女を預かりゆうワシが責任を取るき。萌華は海援隊本部から茶屋(ここ)に来るゆうだけで、他は今までと変わらん」
 顔はニコニコしているけれど、彼の声は何時(いつ)もより重く響いた。

 龍馬さんの言葉を聞いた若女将さんが、ホッと胸を撫で下ろす。

「じゃあ、それで宜しくお願いします」
「あたしからも、改めて宜しくお願いします!」
 若女将さんとあたしは、2人で龍馬さんに頭を下げた。

 これでもう、宿に泊まって働く生活は終わった。
 海援隊本部にお世話になる為、これからは以前より賑やかな生活が待っているだろう。

「任せとおせ! ほいたら、ワシはそろそろ行くき。萌華、ガンバりや」
 ニッコリと笑って手を振りながら、龍馬さんが茶屋を後にする。
 そんな彼に手を振り返した後、あたしは若女将さんに視線を向けた。

「じゃあ萌華ちゃん、やろうか!」
「はい!」

 目まぐるしかった日々に――ようやくあの頃の平穏が、少し戻って来たような気がした。

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