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第5話 ~不治の病~

 それから数週間後、遮那王君に貰ったお金と茶屋で稼いだお金で何とか生活を続けていたけれど、遮那王君に貰ったお金が尽きそうになっていた。
 宿は食事付きで、1泊銀貨2枚と銅貨3枚が必要になる。茶屋での給料は銀貨2枚くらいだから、銅貨3枚分は遮那王君に貰ったお金から払っていた。
 でも、それももう直ぐ尽きそうだ。茶屋での給料だけでは、宿泊料を払えない。

 龍馬さんに相談しようかと思い、龍馬さんが居るという海援隊本部を訪ねた。海援隊本部の場所は、以前龍馬さんから教えて貰っている。

「すみませーん」
 海援隊本部に着いて声を掛ける。

 大勢の男の人達が忙しそうに仕事をしていて、その中に龍馬さんと陽之助さんの姿もあった。2人は何かを話している。
 龍馬さん達は、此処で仕事をしているんだ。

 海援隊本部は作業場のような印象で、2階建てのようだ。木製の建物で、大きな入り口に扉は付いていない。その入口から、大勢の男の人が大小様々な箱を持って出入りしている。建物の中にある机に大きな紙を広げて、それを囲むように並んだ別の男の人達が、何やら相談のようなこともしていた。

 呼び掛けても気付いて貰えないくらい、彼等は各々の仕事で忙しそうだ。
 あたしは龍馬さんに用があるし、龍馬さんと陽之助さんの会話が終わるまで待ってみよう。

「――坂本さん、これを読んで頂けまへんやろか?」
「『商法之愚案』……? これはオマンが書いたがか?」
「はい、海援隊の活動の幅を広げる為にどないしたら()ェか、(ワイ)なりに考えて(まと)めてみたんです」

 龍馬さんが、陽之助さんが書いたという『商法之愚案』に目を落とす。

「成程、よう書かれちゅう。確かに、西洋の方式は積極的に取り入れた方が()いち、ワシも思うぜよ」

 ザッと目を通した龍馬さんが、陽之助さんを見下ろして彼の頭を撫でた。

「これは後でゆっくり読ませて貰うき。陸奥、オマンは相変わらず、まっこと頭が()いにゃァ!」

 龍馬さん、仕事中は陽之助さんのことを名字で呼んでるんだ。

 あたしの前ではあんなに冷たい態度を取っていた陽之助さんが、龍馬さんにホメられたのが嬉しかったのか――微かな笑みを見せる。
 女のあたしでも美人だと思ってしまう程、美しい横顔。

 其処へ1人の隊士らしき男性が現れ、龍馬さんに何かを伝えた。

 それを聞いた龍馬さんが、隊士の皆さんに言う。
「皆ァ、ワシは今から政宗の所に行って来るき! 何かあったら、長岡(ながおか)に相談しィや!」
「はい!!!」

 政宗って、伊達政宗様のことだろうか?

 隊士さん達に背を向けて、海援隊本部から出る龍馬さん。陽之助さんもそれに続く。
 陽之助さんは見送りかな?

 龍馬さん、忙しそうだな……。お金に困って相談しに来ただけだし、また今度来よう――そう思った矢先。

 海援隊本部から出て来た龍馬さんと陽之助さんが、海援隊本部の前に立っていたあたしに気付く。

「萌華じゃないかえ! 何かあったがか!?」
 驚いた様子の龍馬さんが、あたしの元に駆け寄って来た。

「ちょっと、龍馬さんに相談があって……。でも忙しそうですし、また日を改めて来ますね」
「ちっくと待っとおせ。せっかく来て(もろ)うたがやき、今此処で聞くぜよ。どういたがじゃ?」

 あたしを見下ろして、龍馬さんは優しく微笑んでくれる。
 そんな彼に、あたしはお金が底を突きそうになっていて、生活に困っていることを話した。

「……そうかえ……。けんど、まだ金はあるがじゃろう? ほいたら、取り敢えず暫くはそれで生活しとおせ。ワシが後日そっちに行って、若女将と相談しちゃるき」
「有り難う御座います……!」

 あたしは、龍馬さんに頭を下げた。

(かま)んぜよ。ほいたらワシは行って来るき」
 そう言って、龍馬さんが海援隊本部を後にした。

 そして外には、あたしと見送りに来た陽之助さんが残される。

 陽之助さんを振り返ると、彼と視線がぶつかった。

 陽之助さん、あたしの前では笑ってくれないんだな……。とってもカワイイ笑顔だったのに……。
 それに、体は大丈夫だろうか?

 あたしは、思い切って陽之助さんに話し掛けた。
「陽之助さん、体調は大丈夫?」
「うん、風邪引いてしもただけやさかい。それに、もう治ったわ」

 やっぱり、ただの風邪だったんだ。

「治って良かったね」
 あたしの言葉に、陽之助さんが頷く。

 すると、陽之助さんが急にあたしから離れた。

「……ケホッ」
 (こら)え切れなかったように、軽い咳をする陽之助さん。

「……!!」
 あたしの背筋に、ゾクッと悪寒が走った。

「陽之助……さん……!」
 イヤな予感がした。

 以前、蒼白(あおじろ)い顔で「あの人には知られたくない」と呟いていた陽之助さんの姿が、あたしの脳裏に蘇る。
 まさか、陽之助さんは――。

「コホッ……エホ……ッ! ゴホッゴホッ……ゲホゲホッ……ゴホゴホッゲホッ!」
 痰が絡み出し、咳はなかなか止まらない。

 ようやく咳が治まった陽之助さんが、振り返る。

「ただの、風邪やさかい」

 こうして陽之助さんを見ると、彼が明らかに痩せていることに気付いた。ただでさえ華奢だったのに、その細い体が更に細くなっている。

「ホントに風邪なの?」
「……何故(なえで)、ウソ()かなアカンのや」
「……そう、だよね。……ゴメン」

 あたしは俯く。

「ゲホッゲホッ……ゴホッゲホン!! ……ゴホゴホッ!!」
 陽之助さんが、懐紙で口元を押さえて咳き込んだ。

 懐紙に痰を吐いているのか、暫く口元に懐紙を当てている。
 陽之助さんは、痰を吐きクシャクシャに丸めた懐紙を、暫く見つめていた。

 一瞬見えただけだから確かではないけれど――彼が痰を吐いてクシャクシャにした懐紙に……少しだけ鮮やかな(くれない)が滲んでいた気がする。

 あれは……()()

 もしあれが血痰なのだとすれば、何らかの肺の病だ。肺炎か、結核か、ガンか、それとも別の肺の病か――。

「陽之助さん……!」
 あたしが名を呼ぶと、彼はサッと懐紙を隠して振り返った。

「……どないしたん?」
「今の――……ううん、何でもない」
 血痰らしきものについて訊こうとしたけれど、思い留まった。

 何故か、訊くのが怖かった。

 陽之助さんが口を開く。
「萌華はん、もう(ワイ)に関わらんといて。それに――」

 陽之助さんが、真剣な瞳をあたしに向けた。

(ワイ)が人生を捧げるんは坂本さんや。……(おなご)なんか興味あれへん」

 あたしは目を見張る。

 陽之助さん、女性と接するのがあまり好きじゃないのかな?
 それに――龍馬さんに、()()()()()()()()()()()()()()()()? どうして其処まで……?

 だけど、それを陽之助さんに訊く暇もなく、彼は仕事に戻ってしまった。

 陽之助さんのことを、もっと知りたい。彼がどんな人なのか。
 きっとあたしは、彼の()()()姿()をまだ知らないから――。


 それから1週間後、あたしは高杉さんと会っていた。

「萌華、坂本君に着物を()うて(もろ)うたんか! よう似合(にお)うちょる!」

「有り難う御座います。やっぱり龍馬さんは良い人ですよね」
「そうじゃろう? オレの友人じゃ」
 あたしに明るい笑顔を向ける高杉さん。

 高杉さんの言葉に答えようと、あたしが口を開いた刹那――。

「ぐッ……ケホッ……ゴホッゴホッ……ゲホッゴホゴホッ!!」
 高杉さんは、突然咳き込み始めた。

 サッとあたしから離れ、彼は再び咳き込む。

「高杉さん!? 大丈夫ですか!?」
「来たらいけん!!!」
「!!」
 高杉さんの鋭い声は、駆け寄ろうとしていたあたしの足を止めるには十分だった。

「ゴホッゲホゲホッ……ゴホッゴホン!!」

 ふと見ると、口を押さえた高杉さんの手の甲を、何かが伝っては落ちて行った。
 背を向けているからよく見えなかったけど、高杉さんの手を伝っていたものの色は――(あか)かった。

「高杉さん……?」
「クッソォ……ッ!!」

 悔しそうに拳を握り締める高杉さん。

 そういえば沖田さんも高杉さんと同じように咳き込んでいて、その手は紅く染まっていた。

「高杉さん!」
 あたしは、高杉さんの元へ歩み寄る。

 地面が紅く紅く染まっていた。

「萌華……ッ!」
 苦しげな声であたしの名を呟いた高杉さんは、着物の袖で口元に付いている赤を拭った。

「もしかして、血を……!?」

 彼は立ち上がり、あたしを見下ろす。
 高杉さんの切れ長の目があたしを捉えた。
 視線がぶつかった。

「……労咳じゃ」

 高杉さんは、小さく微笑んでいる。
 本当は、とても苦しいハズなのに……。

「労咳……!?」
 あたしが訊き返すと、高杉さんは頷いた。

「血を吐いて死ぬ()()()()――。
 最初はオレも、風邪か何かじゃと思うちょった。高熱が出た後にだんだんと微熱が続くようになって、たまにしか出んかった空咳も、だんだん痰絡みの強い咳になって行ったんじゃ。あまりにも続くけェ医者に診せたら、『労咳』っちゅうて……。
 ……悔しいのゥ。なしてオレが、こねーな病に(かか)らんといけんのじゃ」

 言葉が、出なかった。
 まさか高杉さんが、労咳に罹っているなんて……。

 高杉さんは目を伏せて、俯いている。

「今直ぐ医師(せんせい)に見せないと……!」
「萌華、君が気にする必要はないけェ。オレは大丈夫じゃ」
「そんなことありません! 呼びに行きます!」
 あたしは強い口調で、高杉さんに言った。

「君は、気の強いところもあるんじゃのゥ。そねーに言うんじゃったら、君に任せよう。()(がた)洪庵(こうあん)っちゅう医者が()るけェ……ゲホッゴホッ、その人の元に向かってくれんか?」
 高杉さんがそう言って苦笑しながら、診療所までの道を教えてくれる。

 その道を聞く限り、診療所は恐らく陽之助さんが行っていた診療所と同じ診療所のようだった。

 一刻も早く、診療所に行かなきゃ……!


 診療所に向かっている途中、遠くから走って来ている人影に、あたしは足を止めた。

「萌華じゃないかえ!!」
「龍馬さん!!」

 全速力で走っていたのか――息を切らせる龍馬さん。

「ご、ゴメンなさい。急いでますよね」
「ちっくと待っとおせ!」
 通り過ぎようとし、龍馬さんに呼び止められる。

 あたしは振り返った。

「どうしたんですか?」
「オマン、今から何か用事があるがか?」
「緒方洪庵というお医者さんの所に、一刻も早く行かないといけないんです。高杉さんが労咳で、血を吐いてしまって……!」
 何時(いつ)になく真剣な龍馬さんの目に少し驚きながら、あたしは答える。

 すると、龍馬さんが目を見張った。

 どうしたんだろう?

「ワシも、洪庵先生の診療所に向かいよったところぜよ」

 え……!? 龍馬さんが……!?

 その瞬間(とき)、あたしの脳裏に龍馬さんと何時(いつ)も一緒に居る、女性のように美しい顔立ちをした青年が浮かんだ。

 とてもイヤな予感がする。
 以前、高熱を出した陽之助さんを診療所に行かせたのは、龍馬さんだ。

「何か……あったんですか?」
「実はのゥ――」

 それは、最も残酷な言葉で告げられた。

「陽之助が、血を吐いたがじゃ」

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