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第1話 ~冥王界~

 時は、3年前に遡る――。全てが始まったのは、あたしがまだ心臓病で入院していた、高校2年生の頃だった。

 此処は染岡(そめおか)病院。高校2年生のあたしは、生まれ付きの心臓病を持っていて、この病院で入退院を繰り返している。
 何時(いつ)かこの病院で、循環器内科の看護師として働くことが、幼い頃からのあたしの夢だ。

 喉乾いたな……。

 あたしはお茶を飲みに行こうと思い、ベッドから体を起こした。
 ナースステーションに冷蔵庫があって、その中にお茶の入ったポットが置いてある。

「あ……ッ!!」

 足を踏み外してベッドから落ち、ベッドの傍らに置いてある木製の箪笥に、思い切り頭を打つ。
 その拍子に、手にしていたコップが落ち、床に転がった。

「い……ッた……!」

 かなり強打したみたいで、動けない。
 あたしは顔を歪め、打った場所を押さえる。(おもむろ)に手を離すと、掌にはベッタリと血糊が付いていた。

 視界が霞む。

「あ……あァ……」

 額から流れ出た血が、床に日の丸を描く。
 助けを呼ぶことすら出来ないまま、あたしは意識を手放した――。


 う……眩しい……!
 寝かされているの……?

「目が覚めましたか」

 ん……?

 ボンヤリとしていた視界が、だんだんハッキリとして来る。

 人?

「!!」

 あたしの顔を覗き込んでいたのは、着物を身に(まと)った美少女だった。

 あたしは体を起こす。

 この人は……誰!? これは夢!? 現実!?

「あ……あの……ッ」

 長い黒髪をあたしと同じポニーテールのようにした美少女は、優しく微笑んだ。

「怖がらないで。味方です。ところで、名は何と?」
「えっと……織田原萌華です……」
「萌華殿……良き名ですね」

 萌華殿()

 というか、名前教えちゃって良かったの!?
 この人は、一体……?

「貴女は……ッ」
 あたしが名前を訊こうとした刹那。

 ガタンッ!! ドンドンッ!!

 今度は何……!?

嗚呼(ああ)、来たか」
 美少女は音のした方に鋭い眼差しを向け、独り言を呟いた。

「実は僕、追っ手に追われているのです。此処に居れば巻き込まれる故、萌華殿は逃げて」

 ――僕?

 自分のことを『僕』と言ったナゾの美少女は、あたしに背を向けて美しい金の刀を構える。

 とにかくこの人の言ったように、逃げた方が良いよね? 彼女が言う「追っ手」は、あたしを狙っているワケじゃなさそうだけど……。

 あたしは彼女に教えられて、扉を開けて外へ出る。裏口なのだろう――小さくて、あまり目立たない扉だった。
 建物から出た所は、細い道だった。両端に和風の建物が並んでいて、道はコンクリートではなく、土だ。

 あれ? 此処って何処なんだろう?

「ハァ……ハアァッ……ハァ……ッハァ……」
 あたしは立ち止まり、肩で大きく息をした。

 自分が居る場所に違和感を覚えながら、あたしは細い道を歩く。
 こんな和風の建物に挟まれた道なんて、病院の近くにあっただろうか?

 細い道を抜けてみると、映画村のような風景(けしき)が広がっていた。

「!!」

 水干を着た少年達、刀を腰に差して袴を穿()いている武士、直垂や裃を身に纏う武士も居れば、日本髪の女性達も居る。

 一言で言えば、()()()()()()()()()()()()()が町を行き来しているのだ。

 え? 何? 此処って映画村?
 病院に居たハズなのに……!

 取り敢えずあたしは、近くに居る日本髪の優しそうな女性に訊いてみることにした。
 知っている人が1人も居ないのだ。その辺の人に訊くしかない。

「あの、此処って映画村……ですよね?」

 女性は驚いたような顔をして、あたしを見つめる。

 返って来る言葉を想像すると、怖い。

 女性は、若いのにかなりコテコテの京都弁で、
「えいがむら……? 見たことも聞いたこともあらしまへんえ」
 と言った。

「……ッ!」
 あたしは絶句した。

 だとしたら、此処は何処なのだろうか?

「此処って……何なんですか?」
 あたしは女性に尋ねた。

「嗚呼、此処はなァ」

 少し緊張して、その言ノ葉の続きを待つ。

()()()()()()()()()()()()()()()()()――冥王界(めいおうかい)や」

 女性が微笑んだ。

 冥王界――。

()()()()()()()()()()()()()()……ですか?」

「うん、ほんでこの世界を支配したはるお方が、織田(おだ)信長(のぶなが)様やで」

 織田信長が!?

 意味が理解(わか)らない。

 ただ1つ理解(わか)るのは――()()()に来てしまったということ。

「この世界には2つの勢力があってな、1つは(しん)()(ろう)で、もう1つは(みだれ)桜華(ざくら)ゆうんや」

 神鬼狼と乱桜華? 織田信長が支配しているこの世界には、2つの勢力があるということだろうか?

「あの、どうやったら病院に戻れますか!? あたし、早く病院に戻らないと……!」
「びょういん……?」

 話が通じない。
 彼女が現代を生きる女性ではないことは、もう明らかだった。

「それともう1つ聞きたいんですけど……黒髪を……こう、あたしみたいに結い上げてるカワイイ女の子の名前、知りませんか? 不思議な着物を着た小柄な子なんですけど」

 女性は頷いた。

 知ってるんだ……!

「確かその子、朝露(あさつゆ)(きみ)ゆう名前やったハズやで。この世界で有名な美人やさかい、皆知ったはるえ」

 朝露の君……覚えとかなきゃ。

 異世界に来たあたしに、優しく接してくれたナゾの美少女。でも、直ぐに彼女を追っているという者達が来たことで、名も聞けていないまま別れてしまった。彼女は、一体何者なのだろうか?
 助けてくれたのだろう。取り敢えず、お礼を言わなきゃいけない。それからどうするかは、その後考えよう。

「教えて頂き、本当に有り難う御座いました!」

 あたしは女性と別れ、適当に歩いてあの美少女を捜す。
 かなり目立つ着物だったから、比較的捜しやすいだろう。

 それにしても、どうすれば良いんだろう?
 お金も無いし知人も居ない。服は、病院で着ているモコモコのルームウェアだ。

 ……そして、この頃のあたしは想像さえしていなかった。
 この世界で1人の美しい青年と恋に落ち、やがて哀しい運命の奔流に巻き込まれてしまうことを――。


 満月が、藍色の空に輝いている。

 あれからどれだけ歩いただろう。
 疲れ果てて橋の欄干に腰掛け、あたしはボンヤリと町を見ていた。

 会えるワケ、ないか。

 風が吹く度に、桜吹雪が舞う。

 すると、橋の向こうから歩いて来る人が居た。

 ピィー……ヒョロロ~……。
 その人が吹いているのだろう――美しい笛の調べが聴こえる。

 被布(かつぎ)を被っていて顔はよく見えないけれど、長い長いその黒髪は、目を見張る程に艶やかで美しい。

「…………」
 あたしはそっと、その人の顔を窺う。

 ――あの美少女だった。

「あの……ッ」
 あたしは、思い切って彼女に声を掛けた。

 笛の音が止み、彼女が振り返る。長い睫毛に縁取られた大きく美しい瞳があたしを捉えた。

「えっと……助けてくれて有り難う! 貴女の名前って……」
 あたしが彼女の名を訊こうとした刹那(とき)

「嗚呼、申し遅れました――」

 彼女は、花も恥じらう程に美しい笑みを浮かべた。

「僕の名は――(しゃ)()(おう)

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