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公爵令嬢

 リクの後にドラゴンを自分の手で倒したことで、俺、ネル・V・モナーの気分はとてもよかった。
 週明けの授業の休み時間、俺はドラゴン倒しのことを思い出しながら、窓の外の景色を眺めていた。空は青く、雲一つない。

 週末は裏世界のようにひたすら魔法をぶっ放していたから山が何個か消えていた(もちろん、あとで修復した)。それで「やりすぎ」だの「制御もうちょっとしなさいよ」だのとリコリスたちに怒られはしたが、久しぶりにドラゴンを倒したこともあって気分爽快だった。

 ————でも、なんだかもの足りない。

 もう少し強いやつを倒したいというか。
 アスカはよく「あんたなら魔王と同等の力を持つから、1人で行ってきなさいよ」とかいう。魔王は確かに強いと思うし、魔王を倒せば前線である南部は平和になるだろう。
 しかし、魔王を倒しに行くというのは遠慮したい。他の人にやっていただきたい。俺は平穏な学園生活を送れたらいい。

 そう思うと裏世界に行ってもいいかもな。一瞬で帰れるわけだし。
 なんてことを考えていると、隣の机で氷の彫刻のドラゴンを作るリコリスが話しかけてきた。
 
 「ねぇ、ネル知ってる? 保健室の先生に聞いたのだけど、トイレで中等部の女子生徒が消えたっていう噂、知ってる?」

 コイツ、最近昼休みどっかに行っていると思ったら、保健室の先生と仲良くなっていたのか。

 「ああ、知ってるぞ。それ、俺が中等部の頃からの噂だからな」
 「ええ。数年前にその女子生徒がトイレに入った後、出てくることなく消えたそうね。トイレから出た形跡もないらしいじゃない。まぁ、それは幽霊がその女子生徒が攫ったという説が有名だけど」

 「そうだな。この学園で幽霊なんて見たことは誰1人としていないがな」
 「そうなの、そこなの。でね、保健室の先生が言うにはもう一説あるらしいの」
 「ほう」
 「生徒会がその女子生徒を連れ去ったんじゃないかっていう、シャレにならない噂が………」

 「生徒会がどうしました?」
 
 背中に感じる冷や汗。隣をちらりと見ると、リコリスも顔を真っ青にしている。
 後ろに振りかえると、そこには金髪美少年リクが立っていた。

 「えっと! 生徒会関連の噂ってどんなものがあるかなって話してて、どの噂もしょうもねーなって話してたんだ」
 「そ、そうよ! どんな噂もくだらないわ!」
 「そ、それでどうしたんだよ? 何か用があってきたんだろ?」

 話を逸らすと、リクはハッとした顔を浮かべる。

 「あ! そうです! そうなんです! あの…………モナー君たち、ダンジョンにご興味ありませんか?」
 「あると言えばあるが…………でも、なんで俺らに言いに来たんだ? 1人でも行けるんじゃないか?」

 リクは他の生徒よりもレベルが少し下ではあるが、魔法を使いこなす能力は十分にある。週末に見せてくれたドラゴン倒しでは余裕な姿で1人でやっていた。

 「以前リコリスさんがレベル上げしたいとおっしゃられていましたので」

 リコリスの方に目を向けると、悪魔女はムスッとした顔を浮かべていた。

 「ネルのレベルがいくら高くたって、私もLv.44のままは嫌だもの」
 「…………そうかよ…………それで、ダンジョンというのは?」

 「はい。ご存知かもしれませんが、学園の近くの山に40層まであるダンジョンがあります。そこは意外と高レベルの魔物がいるので、リコリスさんがレベル上げをするのにちょうどいい場所と思うんです。それで明日の放課後に行くのはどうかなと思いまして」
 「なるほど」

 確かに学園の近くの山に何か所かダンジョンがあることは知っている。
 当時の俺はレベルが低くすぎて、何もできず仲間の背後に立っておくだけのチームのお荷物になっていた嫌な思い出しかないけどな。

 「ね、行こう?」

 瞳を輝かせたリコリスは上目遣いでこちらに顔を近づけてくる。
 あの頃とは違い、レベルはある。ありすぎるってほどある。
 多少ダンジョンが壊れるかもしれないが、問題は…………うん、ないだろう。
 
 …………それにこれは俺が望んでいた生活では?
 昼間は授業を受け、放課後は高レベルの者向けのダンジョンに行く、そんな『ちょっと』だけスリルがある学園生活。
 はぁと深く息を吐く。

 「分かった、分かった。行くのは放課後だろ? 俺には予定も特にないし、いいよ」

 俺はしっしっと言わんばかりに手を振り、リコリスの顔を払う。
 リコリスは分かりやすく、パァっと顔を明るくさせ、「やった」と呟く。
 そして、リクは「アスカさんにも伝えておきますね」と言って教室を去っていった。


 後になって分かったことだが、俺が望んでいた『ちょっと』だけスリルのある学園生活ではなかった。
 『ちょっと』だけなんかではなかった。




 ★★★★★★★★



 放課後を知らせるチャイムが鳴ると他の生徒たちは帰る支度や部活の準備をし始める。彼らの楽し気な声が教室に飛び交っていた。
 そんな中、俺は呑気に読書。裏世界についての本を読んでいた。

 実技の試験で最低点を更新しつづけていた中等部時代、筆記で点数を取るため異常なほどを本を読んでいたが、もともと読書は趣味だった。
 小等部頃、よく互いの本を貸し合い読んでいたのだが、その相手は誰だったか。忘れてしまった。

 ともかく本を読むのは苦じゃない。むしろずっと読んでいたいぐらいだ。
 読み終えると次のページへめくっていく。

 まぁ、これはただの暇つぶし。
 リコリスとアスカの2人はチーム表の紙を提出しに行くと言って、職員室へ。
 わざわざ数人で提出しにいく必要がないと判断した俺は教室で待機していた。
 寮に帰らず2人を待っているのは……………あれだ、アスカの手伝いだ。

 教室にいると言った変人ラクリアも前の席に大人しく座っている。俺には背を向けていたが、その背中から時折ため息が聞こえてきた。

 どうやらラクリアは数枚の紙を向き合っているようだが、お気楽そうな変人も悩むことがあるのだろうか。
 まぁ、変人の悩みを聞いたところで、普通の考えを持つ俺にどうこうできるわけでもない。

 本へと目を戻すと、読書を再開。
 数分後、裏世界のオラクルについての章に入りかかっていた時、横から声を掛けられた。

 「あの、モナー君」
 
 顔を上げ、隣に立っていたのは同じクラスの女子。
 クラスの子から声をかけてもらうのは始めてかもしれない。
 茶髪ロングのその子は柔らかな微笑みを浮かべながら、聞いてきた。
 
 「ラクリアさんはどこにいらっしゃいますか?」
 「ラクリア? ラクリアならそこに…………」

 先ほどまで前の席に座っていた変人女の姿が消えていた。
 
 「あの…………ピーター君…………ピーター・グレアム君がラクリアさんに用があるみたいで。やはりラクリアさんは寮に戻られました?」
 
 ピーター・グレアム…………侯爵家グレアム家の長男。社交の場にほぼ顔を出していない俺でも侯爵家の人間は覚えてはいる…………が。
 そんなやつらがあのラクリア(変人)に一体なんの用だろうか。

 答えないでいると、茶髪ロングの子は困っているのかソワソワとし始めた。
 早く答えてやらねば。
 
 俺は栞を挟み、パタンを本を閉じる。
 ラクリアは先ほどまでここにいた。だから、教室は離れていないはず。見つけるのはそこまで時間はかからないだろう。
 全くどこに行ったのやら。変人はよく分からない生き物。俺にはなかなか理解の難しい生き物。
 
 「寮には戻っていないと思う…………そいつにちょっと待ってくれって言っておいてくれないか。ラクリアのやつを探してくるから」
 「分かりました」

 茶髪ロングのクラスメイトはコクリと頷くと、廊下へと出ていく。
 俺は本を机の上にそっと置くと、立ち上がりあたりを見渡す。すると、ある場所からひょこひょこと見えたり隠れたりしている赤い髪を見つけた。
 
 「…………おい、ラクリア。そこで何してんだ」

 2階にあるこの教室。ベランダのようなものはないが、窓外の壁には出っ張りがあり人が1人立てるくらいのスペースがある。ラクリアはそのスペースで身を隠すように座り込んでいた。

 「お前を呼んでいるやつがいるぞ。教室前にいるからとっとと行ってこいよ」
 「えーと、私はちょっと散歩行ったって言ってもらえるかーい?」
 「…………なんでだ?」

 ラクリアはいつになくしどろもどろで、嫌そうな顔を浮かべている。

 「会いたくないのか?」

 そう問うと、ラクリアはコクリとうなずき、

 「できれば…………あ、会いたくないYO…………」

 聞いたことのない小さな声で答えた。
 ————————何やら事情があるようだ。

 「分かった」
 
 察した俺はそう返事をすると、教室前で待っていた男に話しかける。そして、彼にラクリアが寮に戻ったとウソの話を教えると、彼はしょんぼりとした姿でその場を去っていった。

 「ラクリアに一体何の用だったんだ?」

 そう小さく呟き、俺は首を傾げる。
 ラクリアの事情が気になりはしたが、俺の頭の中は魔石オラクルのことでいっぱいだったので、自分の机に戻ってまた読書をし始めた。
 
 ラクリアは何かを警戒しているかのように、窓外から教室を何度も確認。
 数分後、提出しに行っていたリコリスたちが戻ってきた。

 「ラクリア様は最近人気だわね。何人かの生徒がラクリアを探していたわ」
 
 戻ってきたアスカがそう言うと、ラクリアはひょっこりと窓から顔を出した。
 
 「人気なんかじゃないYO」
 「ある意味人気もでしょうに」

 さっきやってきた男は変人女を好む特殊人間で、その変人女であるラクリアには個人的な事情がある————恋愛沙汰を避けているのではないかと考えていた。
 しかし、何人もラクリアのことを探しているのであれば、状況は違ってくる。

 「……………………ラクリア、お前なんかしたのか?」

 俺がラクリアに問いかけると、みんな一斉に顔を向けてきた。
 アスカはギョッとした顔を浮かべ、そして、
 
 「あなた、本気でそんなこと言ってるの?」

 呆れ気味に言ってくる。
 
 「え? まさか本当にラクリア、やらかしたのか? …………いつかやらかしかねないと思ってたんだよ」
 「…………私が一体何をやらかしたっていうのだYO」

 アスカは重い溜息をつく。
 
 「ラクリアは大貴族よ?」
 「……………………は?」
 
 このツインテールは何を言っているんだ?
 変人女が大貴族?
 そんなわけ……………………。

 「そうよ、そうよ! 東を治めるシェイク公爵家のご令嬢よ」
 「おい、リコリス。お前は知ったかぶりしてんじゃねーよ」
 「知ったかぶりなんかじゃない! 私、ちゃんと保健室の先生に聞いたもの」

 それなら俺にも教えてほしかったんだが。中等部頃に話題になった噂なんかじゃくてそのことをさっさと教えてほしかったんだが。
 今度から俺も昼休みは保健室に行こう。
 
 「ネル、あんたまさかこんなことも知らなかったの? 貴族のくせに? モナー伯爵家の子息のくせに?」

 メミがいて俺が当主になることもないしめんどくさかったから、社交界にはほとんど顔を出さなかったんだよ。

 「ていうか、なんでおまえも知ってるんだよ…………おまえも公爵家の娘って言うんじゃないだろうな?」

 すると、アスカはフッと軽く笑い、答えた。

 「あたしは公爵令嬢でもないし貴族でもないわ。前からシェイク家にもう1人娘がいるっていう噂は耳にしていたのよ。まさかその公爵令嬢がラクリアとは思わなかったけど」

 窓外で座り込む変人女に目を向け、息をつく。

 「でも、お前が公爵令嬢ね…………信じられねーわ」
 「アハハ…………同じくだYO」

 サングラスの間からちらりと黄色の瞳をみせるラクリアは苦笑いを浮かべていた。

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