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とある男の散歩

 窓から差し込む強い光に、男は顔を顰める。
 しばらくすると、男は大きな欠伸とともに起き上がった。
「ふぁあ。もう起きる時間か」
 目を覚ました男は隣に目を向けるも、そこには誰の姿もない。しかし、部屋の外から良い匂いが男の嗅覚に運ばれてくる。
「……さっさと顔を洗ってくるか」
 思わずぐぅと鳴った腹を擦りながら、男は欠伸を噛み殺しつつ部屋の外に出た。
 それから支度を整えたところで、目が完全に醒める。男の仕事は夜からなので、窓の外で燦然と輝く太陽の位置は高い。
 食堂に行くと、既に食卓に料理が並んでいた。朝から、いや昼ではあるが、それでも起き抜けにしては肉の多い内容だった。
「あ、起きたの? おはよう~」
 そう言って台所から分厚いステーキを二人分持ってきたのは、頭に丸っこい耳を付けた女性。獣人と呼ばれる種族で、見た目にやや獣っぽい部分がある以外は人と変わらない。中には獣の割合が高い者も居るらしいが。
 普通の人より身体能力に優れているので、男の住む街では人の上位種のような扱いを受けている。といっても、それで何か優遇されるというわけでもないのだが。
 男も慣れたもので、男はただの人だというのに、起きたばかりでも重い昼食を文句なく食べていく。
 昼食が終わると、後片付けをした後に男は日課の散歩のために外に出た。
「ここも大分変わったな」
 男は生まれも育ちもハードゥスである。現在居る街で育ち、外にはあまり出たことがない。
 外には魔物が居て危険。といっても、男の住む街周辺には強い魔物は存在しない。もしもそんな魔物と戦いたいのであれば、近くに在る地下迷宮を探索しなければならないだろう。
 街並みは男の幼少期と比べて大分変わり、まず建物が総じて高くなった。それは高さについてであり、また値段についてでもある。
 昔ながらの平屋が残っている場所も隅の方に在るが、それらも後何年存在していることやら。
 他にも、道が奇麗に整備されたことか。隙間がないぐらいにぴっちり敷き詰められた石畳で、場所によっては大きな石のような何かを加工した継ぎ目のない道が通っていたりする。
 移動も徒歩だったのが、いつの頃からか魔物を使役するようになり、その背に乗るなり荷を曳かすなりして移動するようになった。
 本当に色々と変わったものだ。昔を思い出した男は、改めてそう思う。発展著しいとはこのことなのだろうと思うが、その反面、自身は街の片隅で昔から変わらず接客業をしているというのを思い出し、何だか虚しくなった。
「これが経営しているというなら違うのだろうが」
 男はしがない雇われである。それも本を正せば、親の知り合いを頼って、というなんとも情けない話から始まっている。
 もっとも、男の店での評判は悪くない。真面目でそこそこ要領もいいので、少なくとも疎まれるようなことはなかった。
 それでも何だか虚しくなり、男はそんな気持ちを吐き出すように勢いよく息を吐き出す。
 それから少し歩き、賑やかな通りに出る。商店が並ぶ通りで、取り扱っているのは日用品から武具類まで幅広い。ここに来れば何でも揃うとさえ言われるほど。
 そんな通りを歩きながら、男は最近見掛けることが多くなった兵士に視線が動く。
 向かい側から歩いてくる兵士は、鈍く輝く銀色の鎧を身に着けており、見るからに強そうであった。それは警邏の兵士で、実際の腕はそこそこといったところ。それでも一般人である男なんかよりは遥かに強い。
 そんな兵士を最近街中でよく見かけるようになった。街中だけではない。街を囲う防壁の上を巡回している兵士もまた増えた気がする。
(これは戦争でも近いのだろうか?)
 男に限らず、それは住民が考えていることであった。
 男が暮らす街から離れた場所には国境がある。街と国境には距離こそあるが、その間には砦が二つしかない。しかもその内一つは、国境沿いの砦への支援を目的として築かれた砦なので、実質国境沿いの砦が突破されれば一直線に街まで敵軍が攻めてくることだろう。
 最近は新しい砦の建設が行われているらしいが、仮に戦争が起きるとなれば、それも間に合うのかどうか。
 それを考えれば男は不安になってくるも、男が考えたところで何か出来るというものでもない。出来るとしても、街を出るかどうかの決断ぐらいだ。
 それに、男の暮らす街が属している国は別に弱くはない。特別軍事に力を入れているというわけではないが、それでも周辺国と戦っても直ぐに敗けるほど弱くはなかった。
 なので、男は頭を振って思考を切り替える。しかし、それでも残った不安を和らげようと、男は通りを少し離れた場所に建つ教会へと足を向けた。
 その教会は小さな教会であった。見た目も質素で、教会のシンボルが扉の上に掲げられているだけ。
 見るからに弱小のその教会は、その通りに街でも少数の信徒しか存在していない。祀っている神は教祖が元居た世界の神らしく、『神の威光は遍く世界を照らす。たとえ世界が異なろうとも、神の威光は届くだろう』と教えている。
 実際のところその神に該当する管理者は、ハードゥスの管理者たるれいどころか、れいが創造した管理補佐にさえ遥かに格が劣る存在なのだが、それを矮小なる人如きが知るよしもなかった。もっとも、れい達を崇めても何かしてくれるわけではないのだが。
 そんな宗教の数少ない信徒である男は、教会でその神に何事も無いようにと祈り、幾ばくかの寄付をして教会を後にする。
 それで多少は気が晴れたのか、男がそのまま帰宅した時には、家を出た時と同じような普段通りの顔に戻っていた。

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