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二十四話 冷ややかなる炎

「私も残ります! 私はこの方の世話役です!」


 走りかけた小太郎の足が思わず止まる。これまでこの世のものとは思えぬ光景に呑まれていたのか、一言も話さなかった時雨が叫んだのだ。
 そんな時雨に乙霧は冷たく言い放つ。


「不用です。小太郎様が仰った通り、囮は一人で充分」

「ならば私が囮になります!」

「私は皆様と逃げると、もしものことがございます」

「ならば共に残ります! 客人一人を残し、先に逃げるなど風魔の名折れ! 風魔の名は私が守ります!」


 時雨の高らかな宣言を聞いて目を丸くした乙霧だったが、すぐにころころと笑いだす。


「なにをされようと、私は恋心に手心は加えませんよ?」

「それこそ不要です!」


 乙霧は楽しそうに眼を細めて小太郎に向き直る。


「さぁ、小太郎様。お急ぎください。最低でも四人まとめて、腰のあたりまではしっかりと落せる穴が必要ですよ。囮は私と時雨様が努めますので」

「……わかった。二人とも決して無理はするでないぞ」


 ため息をひとつついてそう言うと、小太郎は全力で走り出す。本気の小太郎は速かった。すぐさま煎十郎達を抜き去り、あっという間に四人の視界から消えて行く。
 小田原に用意されている風魔屋敷に駆け込んだ小太郎は、息つく間もなく、乙霧に言われた通りの準備を風魔衆に急がせた。
 乙霧達が進んでくるであろう街道の、小田原城下町少し手前に、急ごしらえの落とし穴をなんとか掘り終えた頃、煎十郎と少年が姿を見せる。


「頭領。間もなくです。間もなくお二人が、彼らを誘い寄せてここに参ります」


 足をもつれさせながら、なんとか前に進み続ける煎十郎に代わり、足を挫いている少年が小太郎に報告する。小太郎は二人を下がらせ、乙霧と時雨を待つ。するとすぐに暗がりから狂節達を引き連れた、乙霧と時雨の姿が現れる。


「父上!」

「小太郎さまー。私は皆様の所に近寄れないので、囮を変わってくださーい」
 

 迫る恐怖に切羽詰まった時雨の声とは対照的に、乙霧の声は得体の知れない呪いに捕らわれた者たちの囮役をやっているとは思えない、のんきな声であった。
 しかも、往復でそれなりの距離を動きやすいとは思われぬ着物で走ったにも関わらず、乙霧は息も切らしていなければ、汗ひとつかいている様子が見えない。一夜の里から風魔の里まで小太郎に台車を牽かせたのはいったいなんだったのか。
 小太郎は文句を言いたいのを抑え、二人に向かって大声で叫ぶ。


「時雨も乙霧と共にどけておれ。あとはわしが引き受ける!」


 道から大きくはずれた二人に代わり、不気味な足取りで追ってきた狂節たちの前にでる。
 乙霧が小太郎に囮を代わるように言ったのは、狂節たちの呪いを間近で見ていない者では、彼らの緩慢な動きを見て油断をしかねないからだろう。武器が刺さろうが、首を落されようが動き続け、さらには呪いで仲間まで増やす。彼らの真の恐怖は、実際に目の当たりにしなければわからない。


「油と火の用意をせよ!」


 小太郎が怒鳴る。首なし狂節を先頭にした四人にも声が届いているだろうが、彼らはただまっすぐに、一番そばにいる小太郎に向かってくるのみ。
 小太郎は、彼らに体を向け警戒しつつ、後ろ向きにさがる。穴の手前まで来たことを悟ると、まるで背中に目がついているのではと思えるくらい見事に後ろ向きのまま穴を跳び越えた。
 それとは対照的に呪いに支配された四人は、芸もなく直進し、無様に穴へと落ちていく。


「今じゃ、油を撒けい! 火をかけよ!」


 風魔衆は、首のないまま動く体にも驚いたし、穴に落ちた敵の中に、仲間の顔も見つけたが、頭領の命令は絶対である。彼らはためらうことなく小太郎の指示に従った。
 穴の中から火の手があがる。穴の中で倒れていた四人が、体に火を纏いながらも立ちあがる。それほど深く掘れた訳ではない。腰の高さほどしかない。それでも彼らは穴からでられなかった。体に火がついても暴れることもなく、ただ人に向かって歩こうとするだけ。地表に手をついて身体を持ち上げようとする、人間ならば誰でも考えて実行に移すことを彼らはできなかった。どんな状態になっても動けるが、体の使い方をわかっていない。


「足を掴まれるでないぞ。触れられただけでも呪いがうつると思え。あやつらと同じ穴に落とされたくなくば、棒でついて距離を取れ。こやつらには棒を掴むという知恵すらない」


 小太郎の言う通りであった。穴の端に近づいては棒で押し返される。ひたすらにこれの繰り返し。
 火が強まり、体の表面が炭のように黒くなっても、嫌な臭いを放ちながら、穴の中の四人は愚直に人を目指す。


「動かなくなっても火を絶やすことのないようにお願いいたします。灰になるまで燃やし尽くし、そのまま埋めてしまってください」


 乙霧の声が後方より聞こえ、小太郎は振り返り乙霧を見る。乙霧は涼やかな顔で、風魔の作業を遠目に見ていた。
 その顔は、小太郎の心胆を寒からしめた。
 あの娘もたいがい化け物である。確かに知恵は働くようだが、恐ろしいのはそこではない。この世ならざる光景を目にしながら、まったく動揺を見せることなく、普段通りに頭を働かす。その美しすぎる外見もあいまって、彼女自身がこの世の者ではないような気がしてくる。
 小太郎は恐れるように乙霧から目をそらし、作業を配下に任せ、その場を離れた。

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