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出勤しなくてもいいと部長に言われたものの、古明祭りの手伝いのために出勤することにした。
父はしばらく入院することになったけれど母が付き添っているし、私も働いていた方が気が紛れた。
今年の屋台には優菜も手伝いとして出勤することになったから、休憩時間には二人で屋台を回ろうと約束していた。

調理に接客にと忙しそうなレストラン事業部の人たちは楽しそうに見えた。早峰フーズの花形部署は営業推進部だけど、私はレストラン事業部に憧れる。カフェから定食屋まで担当してやりがいがありそうだった。

「お父さんどう?」

「うん。まあなんとかなりそう。これからリハビリ生活だけどね」

無理にでも明るい声を出した。けれど優菜には無理をしていることはきっと伝わっている。治療費は保険で何とかなりそうだし、父を撥ねた加害者との交渉も保険会社と父の友人の弁護士に間に入ってもらっている。

6車線の道路を歩行者天国にして行われる古明祭りは、昔この地を治めていた武将を祀るために開催されるようになった。山車に武将の格好をした人が乗り、歩行者天国をパレードするのは目玉イベントだ。県外にも名の知れたお祭りとなっている。警備する側の人数も尋常ではない。今日は天気にも恵まれ上着が邪魔なくらいの気温だ。

「ねえ、柴田さんはどの辺を警備してるの?」

「えっと、確かあの銭湯の辺りかな。歩行者天国の終わりの方だって」

「じゃあ高木さんと同じ辺りか。このまま歩いてれば二人に会えるかもね」

優菜は何だかんだと高木さんと連絡を取り合っている。好意はないと言っていたのに、今もこうして高木さんの姿を探す優菜はもうすっかり心奪われているのではと思えてくる。

「串焼きうまい! ビール飲みたい!」

「優ちゃんまだ仕事があるでしょ」

「屋台の子たちにも買っていってあげようかな」

「お酒飲んでることがバレたら怒られるよ」

一応は仕事として来ているのだからビールはまずい。けれど優菜のテンションは上がる一方だ。高木さんの仕事をしている姿を見るのは初めてだから楽しみにしているのだろう。

「もう、実弥は本当に真面目なんだから」

そう言いながらフランス料理店が店頭でステーキを焼いているのを凝視する優菜には呆れてしまう。
人混みの合間から車が走っているのが見えた。歩行者天国の先の道路はもうすぐだ。

「あ、柴田さんいたよ」

優菜の声に背伸びをして前を見た。人混みの向こうに確かに制服姿のシバケンが立っていた。

「ご挨拶しなきゃね、実弥の未来の旦那様に」

「その言い方やめてって!」

怒る私を置いてはしゃいだ優菜はどんどんシバケンの方に進んでいった。シバケンに会いに行ったのではない。きっと近くにいるであろう高木さんを探しに行ったに違いない。

「ちょっと優ちゃん、待って!」

優菜を呼び止めた瞬間、「うわああああ!」と男性の叫び声が前方から聞こえた。

「何?」

「トラブルかな?」

「調子に乗ったガキがふざけてるんじゃない?」

周囲の人もその叫び声に不思議そうな顔をした。

「きゃああ!!」

続いて聞こえた女性の叫び声に、何かあったのだろうと視線が集まりだした。嫌な予感がした私は人を掻き分け前に進んだ。突然前にいた人が後ろに下がってきて何人も私にぶつかった。

「逃げろ!」

誰かがそう叫んだ瞬間人が一気に走り出した。

「ちょっと、通して……いたっ!」

私と反対方向に逃げる人と肩がぶつかった。

「なに?」

痛みによろけてしゃがみ込み、肩を押さえているこの瞬間も前からは叫び声が上がり続け、その内人の動きが止まって前には人垣ができていた。更にその先からは不気味な笑い声が聞こえる。

「何事?」

ふざけているのかと思うほど大げさに笑う男性の声に脅えつつ、立ち上がって人を押しのけ人垣の前に出た。

騒ぎの中心には包丁のようなものを握り締め、高らかに笑う全身黒い服を着た男が立っていた。男の足元にはお腹を抱えて地面にのた打ち回る若い男性がいた。服には大量の血が滲んでいる。
その光景にぞっとした。説明されなくてもこの状況を見れば何が起こったのかは明らかだ。ここにいる誰もがこの男がまだ捕まっていなかった通り魔だと瞬時に理解した。

「いやああ!」

一際恐怖心を含ませた声で叫んだのは優菜だった。包丁を握った男の斜め後ろで、腰が抜けたのか座り込んでいた。叫び声に振り向いた男は、目を見開いたまま固まる優菜を見つめた。体を反転させるとゆっくりと優菜に近づく。

「優ちゃん逃げて!」

思わず叫んだ私は自然と走り出していた。けれど間に合わない。
男が優菜に向かって包丁を振り上げたとき、男の体が一人の警察官に体当たりされ横に飛ばされた。私の目の前まで転がった男が地面に倒れこんだ衝撃で包丁が手から抜け、数十センチ飛んで鈍い音を立て地面に落ちた。
男に体当たりした警察官の帽子が脱げた。態勢を立て直し、顔を上げたその警察官は高木さんだった。

ああ、優菜が無事でよかった。

高木さんが来てくれたことに安心して私の足も止まった。
腰が抜けたまま呆然としている優菜の前に立った高木さんは、しゃがむと優菜を強く抱きしめた。その姿に私は笑った。優菜を守ることしか頭になかったであろう高木さんは、優菜を救った今絶対に職務を忘れている。

「うっ……」

転がった男がうめいて立ち上がった。気づいたときには遅かった。男は今私の近くに立っている。私と目が合った男の顔は笑っていた。
今度は私が襲われる。
そう思った瞬間恐怖で体が動かなくなった。
そのとき、再び男が勢いよく地面に伏せた。今度はどこからともなく現れた警察官二人が男の背中を押さえ込んだ。暴れる男を二人がかりで押さえる姿は刑事ドラマでしか見たことがないような光景だ。
いつの間にか悲鳴は歓声に変わり、気がつけば辺りには複数の警察官が集まっていた。数人で男を取り囲み立たせると、人混みから連行していく。一連の騒ぎの中心人物をあっという間に逮捕したことで、あちこちから盛大な拍手が沸いた。

先に刺された男性の横にしゃがみ容態を確認する警察官もいれば、現場を荒らさないよう大声で人を誘導する警察官もいた。私はショックで体が動かず、動き回る警察官をひたすら見ていた。

最初に男を押さえ込んだ二人の警察官のうち、一人が私に近づいてくる。その人の顔を見た瞬間、足に力が入らなくなり優菜と同じように地面に座り込んだ。警察官は私の前に来ると片膝をついて目線の高さまで顔を下げた。

「言ったでしょ。ちゃんと守るよって」

見慣れてしまった優しい笑顔を私に向けた。

「頑張ったね」

そう言って私の頭をぽんぽんと優しく撫でる。まるで子供のような扱いだけど、今の私には一番効く慰め方だ。恐怖から解放され、ほっとして涙で目が潤む。

「これからちょっとだけ事情を聞きたいんだけど立てる?」

「うん……」

腕を引っ張ってもらい立ち上がると、優菜も高木さんに連れられて人混みから抜けようとしていた。



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