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話したいことはたくさんある。けれど言葉にできずに飲み込んだ。シバケンに何をどこから話せばいいのか迷って唇を噛んだ。そんな私にシバケンは「おいで」と両腕を広げた。前のめりになりシバケンの胸に体を預けた。

「シバケンに会いたくて、話したくて来たのに、言えない……」

恋人と違う男に迫られたと言えるわけがない。

「嫌だったこと?」

そう優しい声で聞くから小さくうなずいた。

「私って自分じゃ何もできない人間なんだって思い知って……」

仕事も生活も結婚も。自分ではどうにもできない。

「そうかな?」

シバケンの言葉に顔を上げた。

「実弥は変わろうとしてるでしょ」

そう言うシバケンは私の耳の上の髪にキスをする。そうして優しくコートを脱がし始める。部屋着のまま出てきてしまったから、コートの下は色気のないTシャツを着ている。けれどシバケンはそれに気づかないようで、私の頬に手を添え唇を重ねる。

「自分のことを客観的に見つめて前に進もうとしてる。偉いよ」

目が潤んできた。シバケンの言葉はいつも私を元気づける。

「嬉しい……頑張れそう」

フッとシバケンは微笑んで頭を撫でる。

「大好きです」

「俺も」

呟いた言葉に当たり前に返事が返ってくる。それが心地いい。
シバケンの手がシャツの下から中へと侵入し、肌に直に触れた。下着の上から胸を包まれるとゾクゾクして体から力が抜けてくる。

「んっ……」

背中に回った手がホックを外し、Tシャツを自然な流れで脱がされた。

「シバケン……待って……」

「嫌?」

首筋にキスをするシバケンは耳元で不安そうな声で聞くから首を振る。

「私……お風呂入ってない……から……」

くすぐったさと恥ずかしさで口ごもる。

「俺も入ってないよ。それでもいい?」

「んんっ……いいよ……」

胸の先端を指で転がされ、まともに声が出なくなる。

「よかった。もう止めらんないから」

そう言うとシバケンは私の体をゆっくりと床に組み敷いた。唇が重なり舌が絡まると不安も恐怖も、嫌なことが忘れられる気がしてシバケンの熱に溺れた。





カーテンの隙間から朝日を感じるまでシバケンの腕枕で眠っていた。朝だと認識して顔を動かすとシバケンはまだ起きないようだ。
一晩中腕枕をしてくれて痛かったのではと不安になったけれど、ほとんど寝返りをうつこともなく熟睡している。相当疲れているのだろう。
夜中にスマートフォンの電池が切れてしまい、設定した時間にアラームが鳴ることはなかった。シバケンの家には時計がないので代わりにスマートフォンを借りる。時間だけ確認するとまだ仕事までは余裕で一度家に帰ることもできそうだ。
シバケンの肩が毛布から出ているのでかけ直した。そうしてお互い裸であることを思い出す。シングルのベッドで体が密着しているから私の太ももとシバケンの下腹部が当たる。シバケンと体を繋げたばかりなのを思い出して自然と顔がにやける。
シバケンを起こさないようにベッドから下りるつもりが毛布がずれてシバケンが目を覚ました。

「ん……」

「あ、ごめん起こしちゃって」

「大丈夫……おはよう」

「おはよう」

「実弥、もう仕事行くの?」

「ううん、一度家に帰ります」

「じゃあ送ってくよ」

「いいよ。ゆっくり寝てて」

「大丈夫。今日週休だし」

遠慮したのだけどシバケンは送っていくと言って着替え始めた。

車に乗って家の前までしっかり送ってくれた。

「また連絡するから」

「はい、ありがとうございました」

「実弥」

車を下りようとしたときシバケンに呼び止められた。

「俺はいつでも実弥のそばにいる。いつでも会いに来るから」

「はい」

最後にキスをしてシバケンの車が見えなくなるまで見送った。

自宅のドアノブにはコピー用紙が入ったビニール袋はかけられていなかった。誰かが家の中に入れてくれたのだろう。
玄関の鍵がかかっていたら家に入れないかもしれないと思ったけれど、もしかしてとドアノブに手をかけるとドアは簡単に開いてしまった。両親の防犯意識の低さに呆れながら中に入ると、リビングから母が勢いよく顔を出した。

「実弥!」

母は私に駆け寄ると強く抱き締めた。

「ちょっ、お母さん?」

「心配したんだから! どこにいるのか連絡くらいしてきなさい!」

その声は必死で、夜通し起きていたのだとわかるほどに目が疲れている。

「遅すぎるから何度も電話したのよ! 仕事もどうするのかと思って」

「ごめん、スマホの電池切れちゃって」

母からの連絡にも気がつかなかった。だって家族から離れたくてシバケンの家に行ったのだから。

「本当によかった……」

安堵する母の様子に申し訳なさが増す。せめて母には連絡するべきだった。

「ごめんなさい。もう大丈夫だから。会社に行く準備するね」

母が私から離れると玄関にはまだ坂崎さんの靴がある。

「本当に泊まったんだね」

「そうよ。今はまだ客間で寝てるの。今日はお父さんと車で出勤するそうだから」

「そう……」

それならば早く支度して会わずに家を出たい。

「お母さんは少し寝なよ」

「朝ごはんは?」

「いらないから寝て。私は大丈夫だから」

2階に上がって着替えを持つと再び下りてバスルームに入った。
鏡で見た自分の顔はそれは酷い顔だった。シバケンの家にはメイク落としがないからまだマスカラが少しついているし、私の肌に合う化粧水もないから頬が乾燥している。遅い時間に返ってきたシバケンとのセックスに時間を割いたから十分には寝れていない。母以上に疲れた目をしていた。パックをしないと化粧ノリも悪そうだ。
髪や体を入念に洗い、髪を乾かすと顔にヒアルロン酸配合のマスクを貼りつけた。肌に液が染み込むようにギュッギュッと押しつける。

化粧ポーチを2階の部屋に忘れたことに気づいて廊下に出た。するとキッチンから坂崎さんの声が聞こえた。
もう起きてきたの? 早すぎじゃない?
母と話す声は寝起きとは思えないはっきりした爽やかな声だ。食器のカチャカチャとした音が聞こえるから朝食の支度を手伝っているのかもしれない。その外面の良さは見習いたいほどだ。
静かに2階に上がると化粧ポーチを持って再び下りた。

「実弥さん、お帰りなさい」

坂崎さんは私が階段を下りたちょうどのタイミングでキッチンから出てきた。まるで私が帰ってきたことに気付いていたようだ。この人と挨拶なんてしたくない。言葉を交わすことも、顔だって見たくはない。けれど無視をするなんてことはできそうにない。

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