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「どうして私に?」

「えっと……足立さんと浅野さんは付き合ってるんですよね?」

自信のない声で確認する今江さんにどう答えたらいいのだろうか迷う。

「付き合ってるわけではないけど……」

曖昧な返事になってしまった。正確には『付き合っていたのかもしれない』だけど、浅野さんに好意を持っている今江さんには正直に言いたくないなんて思ってしまう。

「そうなんですか……でもこれは足立さんから返していただけますか? 私明日からしばらく慶弔休暇なので、直接返せないんです」

「あ、そうなの。分かった……」

今江さんから入館証を受け取った。

「今から浅野さんの所に行かれるんですか?」

思わぬ質問に驚いた。

「どうしてそう思うの?」

「あの……」

今江さんはもじもじと両手を組んで動かし、私達の近くに人がいないことを確認すると一歩私に近づいた。

「実は今日仮眠室に行ったんですけど……浅野さんは私のことを足立さんだと勘違いしたみたいで」

「ああ」

そういえば浅野さんもそんなことを言っていたっけ。

「体調が悪くて意識が朦朧としていたのか、その……」

口籠る今江さんに通路で会ったときに様子がおかしかったのを思い出した。

「すみません、何でもないです!」

「え? 何でもなくないよ、教えて!」

言いかけて途中でやめられては気になってしまう。それでも今江さんは頭を振って話を続けることを拒否した。

「本当に、何も……足立さんの名前を呼んだので、浅野さんは足立さんを頼ってるのかなって思ったんです」

「そっか……」

一生懸命に誤魔化す今江さんをそれ以上追求しても無駄だと思った。

「分かった……入館証ありがとう。渡しておくね」

「ありがとうございます」

用件は済んだと思ったけれど、今江さんはこの場から動こうとしなかった。

「今江さん?」

「あの……私……浅野さんが好きでした」

こんなところでの思わぬ告白に息を呑んだ。

「でも諦めました。足立さんには敵いません」

「え……どうしたの?」

突然の告白の次は突然の敗北宣言だ。今江さんと争うつもりも、そんな予兆もなかったのに。

「私を足立さんと間違えるなんて、負けたようなものです。体調不良だからこそ本音が出る」

「………」

「弱ったときに頼りたいのは足立さんってことです」

「そうかな……」

だって修羅場を迎えて別れたばかりなのだ。

「はい! 間違いないですよ」

困惑する私に対して今江さんはニコニコしている。

「だから仮眠室でのことを聞いても怒らないであげてくださいね」

「え?」

「お二人を応援しますね! お疲れ様です」

私に軽く頭を下げた今江さんはエレベーターに向かって歩いていった。
仮眠室でのことって何だろう……。『応援します』か。そういえば優磨くんにも言われた言葉だ。
私の罪は重い。誰かに励まされる資格があって、最愛の人を未だに想っていてもいいのかな……。

手の中の入館証を見た。浅野さんの名前が印字されたカードはなるべく早く本人に返さなければいけないものだ。それは良いのか悪いのか、浅野さんの家に行く理由ができてしまったということだ。










浅野さんのマンションの前まで来てもなかなか入ることができない。合鍵をもらっていたわけではないし、オートロックのマンションに入るには浅野さんを呼び出さなくてはいけない。体調が悪いのに起こすのは申し訳ないのと、インターフォン越しに追い返されたら立ち直れない。

「あれ? 美紗さん?」

迷っていると後ろから声をかけられた。振り返って見た先には一台の車が停車していた。その車の運転席の窓から優磨くんが顔を出していた。美麗さんと衝撃的な再会をして以来数日振りに会った。

「慶太さんに会いに来たんですか?」

怒ってもいなさそうな声に一瞬躊躇ってから優磨くんの車に近づいた。他に誰かが車内にいる気配もないし、意外なことに優磨くんが自分で運転してきたようだ。

「こんばんは……」

運転席の横に立ってそう挨拶する私に優磨くんも複雑な顔をした。

「やっぱり慶太さんのことが好きなんですね。本気ですか?」

優磨くんも私の気持ちを疑っているのだろう。当たり前だ。姉の結婚を壊して友人の浅野さんに近づいたのだから。

「うん。本気で好き。会いたくて来たの。呆れるよね……浅野さんを傷つけたのに」

優磨くんに軽蔑されてもおかしくないのに、私を見て怒るどころか微笑んでいるようにも見える。

「美紗さん、助手席に乗ってください。外は寒いですから」

「え、うん…」

優磨くんに促されて私は車の前から回って助手席に乗った。深く座った瞬間に優磨くんは私にお茶のペットボトルを差し出した。

「飲みます? 慶太さんに買ったんですけど、買いすぎだからいらないって怒られちゃって」

「ありがとう」

受け取ったペットボトルの他に、優磨くんの膝に置かれたビニール袋には数本のペットボトルとゼリーやプリンのカップが見えた。

「いっぱいだね」

「この倍の量を慶太さんの部屋に置いてきました」

優磨くんはいたずらっぽく笑った。
車内を失礼にならない程度に見回した。この間は考えなかったけれどとても城藤の御曹司とは思えないコンパクトな車だ。バックミラーには交通安全のお守りが引っ掛けてある。

「優磨くん一人で運転して来たの?」

「はい。会社の近くまで迎えに行って、病院に連れて行ったんです。慶太さんは今寝てますよ」

「そう……」

「でもまだ熱があるんで明日は会社を休んだ方がいいかもしれないですね。インフルエンザではないみたいなんですけど」

わざわざ迎えに行って病院にも連れて行くなんてまるで家族のようだ。だからこそ、私は浅野さん一人を傷つけただけでは済んでいない。

「優磨くんごめんなさい」

「何を謝ってるんですか?」

「何って……」

浅野さんからも美麗さんからも過去の私のことをある程度聞いているはず。それなのに態度を変えることなく、こうして横に招いてくれた。

「結婚式に匠を招いたことですか?」

「うん……」

「そうですね……美紗さんが姉と友達で、知らないふりをして慶太さんに近づいたって知った時は俺も怒りはしましたね」

手の中のペットボトルをぎゅっと握った。

「それでも、悪いのは姉ですから」

優磨くんはビニール袋の中から炭酸飲料のペットボトルを出してキャップを捻った。プシュッとガスの抜ける音がした。

「浮気してその子供を妊娠したなんて、美紗さんが何かをしてもしなくても慶太さんが不幸になるのが遅いか早いかの違いだけです」

ゴクゴクと炭酸飲料を飲み込む優磨くんは私を責める気はないようだ。

「それに、美紗さんはもう絶対に慶太さんを傷つけたりしないですもんね」

ペットボトルのキャップを閉めながらそう断言する。私を信頼しているのと、その信頼を裏切ったら許さないとほのめかすように。

「うん……絶対に傷つけない」

だって私は浅野さんのことが大切だから。

私達の乗る車の横を別の車が窮屈そうに通りすぎていった。マンションの前の道は辛うじて車が2台通れるくらいの幅しかない。

「車をマンションの駐車場に入れちゃいますね」

優磨くんは慣れた手つきで数メートルバックすると、マンションの地下へと通じるスロープをゆっくり下りていく。空いたスペースに止めるとシートベルトを外した。

「優磨くん上手だね」

正直な感想を口にした。

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