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返す言葉がない。何を言っても彼にとっては言い訳にしか聞こえないだろう。彼のふっくらした唇から出る声は今までにないほど冷たくて、私を見る目は恋人に向けるものじゃない。私は浅野さんの中で警戒するべき対象になってしまった。

「美麗はさ、今更僕が許すとでも思ってるの?」

今度は美麗さんに怒りの矛先を向けた。過去の浅野さんしか記憶にないだろう美麗さんは、冷たい声と視線に緊張しているのが分かった。

「ごめんなさい……美麗は最低だった……」

声が震えている。マンションの明かりに照らされた美麗さんの目はだんだん光を反射する。涙で潤んできたようだ。

「美麗とはよりを戻すつもりはないし、二度と会いたくないと思ってたよ」

「美麗は慶太じゃないとだめだって気づいたの」

私は目の前の二人の会話に口を出さず黙っているけれど、心の中で美麗さんを罵倒した。
もう遅い。気づくチャンスはいくらでもあった。何度も考えて行動してと忠告したのだ。
だけど、最終的に匠を選ばせたのは私だ。匠を唆して式場に乗り込む後押しをした結果がこの有り様なのだ。

「本当に美麗は変わらないね。あのときと何も。変わらず思慮に欠けた行動ばかりする」

「だから慶太がいないとだめなんだよ」

「僕は御免だね。君を信じて裏切られるのはもう懲り懲りだよ。それに、バンドのボーカルくんはどうしたの?」

「匠は……」

美麗さんは言いにくそうに下を向いた。
言わなくたって分かっている。匠は美麗さんを裏切ったのだ。浅野さんだって恐らく知っている。世間に報道されていることを知っていても美麗さんにわざと聞いたのだ。

「散々あの男に貢いであげたのに、今度は他の女に取られたの? 駆け落ち同然であれだけ騒いで僕の前から消えたのに」

わざと吐き出す傷つける言葉は美麗さんを突き刺す。

「捨てられたから捨てた僕のところに戻ってくるなんて本当に変わらず図太い神経だね」

浅野さんは驚くほど辛辣だ。元婚約者としての気遣いは何も感じられない。ついに美麗さんはコートの袖で涙を拭いた。

通りの向こうから光が見え、こちらに向かって近づいてくる。一台の車が浅野さんの車から少し離れた後方に停車した。その車から降りてきたのは優磨くんだった。

「姉さん」

「優磨……」

優磨くんは美麗さんに近づくけれど美麗さんは優磨くんから一歩離れた。

「帰ろう」

「慶太に会えたのに帰りたくない」

「今更バカなこと言わないで。そんなこと言う資格は姉さんにはないよ」

浅野さんと同じく優磨くんの声も怒りがこもっている。

「今の慶太さんには姉さんは邪魔なだけだよ」

「どうして? だって慶太は……」

言葉の途中で美麗さんは何かに気づいたように私の顔を見た。

「まさか……そういうこと?」

ゆっくりと私に近づく。

「慶太と美紗ちゃんは付き合ってるの?」

数メートル離れていたはずの美麗さんとの距離はどんどん縮まる。

「もしかしてずっと慶太を?」

「………」

言葉が出ない。近づく美麗さんは怒っている。過去にも見たことのない顔で。

「姉さん何言ってるの? 美紗さんを知ってるの?」

「だって美紗ちゃんは美麗の友達だったもん! 慶太と結婚する前から相談してたのに! 匠とのことだって!」

「え?」

優磨くんは驚いた声をあげて、浅野さんは何も言わず無表情で私を見た。美麗さんはもう私の目の前にまで迫ってきた。

「匠に式場の場所を教えたのは美紗ちゃんでしょ!? 妊娠してることも匠にバラして責任感じさせたんでしょ!?」

美麗さんの体は震えている。目の前に立たれると殴られでもしそうなほど、怒りが全身から滲み出ている。優磨くんも美麗さんの様子に驚いて私に駆け寄る。

「どういうこと? 姉さん妊娠してたの?」

美麗さんは優磨くんを無視して叫んだ。

「優柔不断だった美麗が心を決められるように匠にも決心させてくれたと思ってたのに!」

違う。違うの。
確かに美麗さんが決心できるように後押しをした。でもそれは美麗さんのためじゃない。

「バージンロードを走る美麗と匠を見て美紗ちゃんは笑ってた。あれは美麗が慶太を捨てたから喜んだんでしょ!」

「………」

チャペルを出ていく美麗さんを心から祝福した。それは本当のことだ。思わず笑ってしまったことも。
駆け寄る優磨くんは美麗さんの横で止まった。

「初めから慶太を横取りする気だったのね!」

私に詰め寄る美麗さんを優磨くんが肩をつかんで止めた。

「姉さん! 落ち着いて!」

「美紗ちゃんのせいだ! 匠に捨てられたのも、慶太が美麗に冷たいのも、赤ちゃんが死んじゃったのも!」

「え?」

赤ちゃんが死んだ。今美麗さんはそう言った?

私だけが驚いたわけではない。この場にいる誰もが絶句して動けなくなった。

「姉さん落ち着いて話してよ。死んだってどういうこと?」

優磨くんは美麗さんを見て、浅野さんを見て、最後に私が疑問に答えてくれるのではと視線を向けた。

「美麗と慶太の赤ちゃん……産まれた瞬間に死んじゃった……」

美麗さんの目からはポロポロと涙が落ちて地面に染み込んだ。
私は寒気がした。美麗さんは自分が不幸のどん底だと全身でアピールしていた。

「浅野さんの子じゃありませんよ」

私は静かに言い放った。

「避妊もしないでヤりまくってたんだから匠の子ですよ」

自分でも驚くほど静かで怒りのこもった声だった。

「慶太の赤ちゃんなの!」

「違いますよ」

「茶番は終わりだ」

口を挟まず黙っていた浅野さんは静かに言い放った。

「たとえ子供ができて僕の子だったとしても、美麗が僕の前から消えたという過去は変わらないよ」

「………」

興奮していた美麗さんは言い返すことができずに黙った。

「優磨、美麗を連れて帰るんだ」

「………分かりました」

我に返った優磨くんは美麗さんの肩を掴んだ。実の姉よりも浅野さんに従うようだ。

「嫌だ! 慶太と……」

「美麗!!」

浅野さんに一喝されて美麗さんは口を閉ざした。

「帰るんだ」

「………」

優磨くんに肩を抱かれながら大人しく車まで連れられ、後部座席に乗せられる前に美麗さんは浅野さんを見たけれど、彼は何も言葉を発することはなかった。優磨くんは美麗さんが座ったのを確認すると振り返った。

「聞く権利はないかもしれませんが、落ち着いたら俺にも話してほしいです」

そう言って運転席に乗って、暗い住宅地から去っていった。
残されたのは関係が壊れてしまったばかりの暗い過去を持つ二人だけだ。

「さて……何から聞こうかな」

浅野さんの冷たい言葉に体が硬くなる。

「足立さんはずっと前から僕のことを知ってたの? 会社に入る前から?」

「はい……」

「結婚式に居た?」

「はい……」

「美麗が僕とも付き合って他の男とも付き合ってるのを知ってた?」

「っ……」

「美麗の言ったこと、全部本当のことだと解釈するよ?」

「………」

「美麗と君のことも、結婚式を壊したことも」

もう逃げられないときがきた。彼に全てを打ち明けなければ。
ぎゅっと両手を握りしめた。

「………はい。全部本当のことです」

悪いことは隠し通すことはできないのだ。

「美麗さんと婚約していたとき、一度だけ私と浅野さんは電話で話したことがありました」

浅野さんは忘れているだろう。美麗さんが私の名前を浅野さんに伝えていたのに、浅野さんは今になるまで気づかなかったのだから。

「どうして結婚の邪魔をしたの? どうして僕に近づいたの? ……なんて、聞いたら答えてくれる?」

「一言じゃ答えられません……」

美麗さんのワガママが耐えられなかった。浮気相手の子供を浅野さんの子供として育てようとする非情さが許せなかった。なのに匠とも関係を続けようとする浅ましさに吐き気がした。浅野さんが傷つくのを想像したら胸が苦しくなった。
ほんのすこしの『不快』の積み重ね。私の勝手な心情から軽率な行動をしてしまった。

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