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匠と別れればいいだけと思っていた。けれど妊娠したのなら話は違ってくる。絶対に慶太と結婚してはいけない。彼の笑顔がまたしても頭に浮かぶ。あの笑顔を歪ませてしまうのだ。美麗さんのお腹の子供がそうさせる。いつか真実を知った慶太はどんなに傷つくだろう。

「もう……なんで妊娠しちゃったんだろう……」

落ち込む美麗さんにそれは自分が悪い、妊娠を後悔するならどうして匠と寝たのだ、と吐きかけようとした言葉を飲み込んだ。もう今さら何を言っても遅いのだ。

「私には子供を産んだ方がいいとも、おろした方がいいとも言えませんよ」

美麗さんが顔を上げて私を見た。

「お腹にいるのは命です。簡単に決断してはだめです」

それにもう子供ができてもできなくても、そんなことは関係ない段階なのだ。式は目前に迫っている。

「おろすなんて……できないよ……赤ちゃん産みたいよぅ……」

美麗さんは嗚咽を堪えている。

「そうですね、産みましょう。匠の子供の可能性が高いです。匠と一緒に育てるべきだと思います」

ゆっくりと美麗さんの頭に染み込むように言葉を吐いた。これは私の願望でもあった。美麗さんは慶太の人生をダメにしようとしている。慶太だけじゃない。二人を祝福する家族や大勢の招待客を裏切る行為なのだ。今から式を中止にするとしたらかなり大事だ。けれどそうするべきだと思う。

「妊娠してることを知ってる人は他にいますか?」

「ううん、美紗ちゃんだけ……匠も慶太も知らないし、親にもまだ言ってないの」

「そうですか……今はまだその方がいいかもしれないですね」

「美麗は慶太と結婚する」

「え?」

目を見開いた。私が慶太との結婚をやめるべきだと言ったばかりではないか。

「匠の子を慶太の子だと偽って育てるんですか?」

美麗さんは頷いた。

「今度慶太とゴムつけないでエッチしたら大丈夫。正確な日にちなんて慶太にはわからないよ」

いつも何も考えてなさそうな美麗さんから悪知恵を聞かされて鳥肌が立つ。美麗さんのお腹に匠の子供を宿しながら慶太とセックスするなんて気持ち悪い。怒りと呆れと嫌悪で美麗さんを引っ叩きたい衝動にかられる。

「私は結婚を祝福できません!」

思わず大きな声が出てしまった。美麗さんの秘密を知ってしまったのに、慶太との結婚を祝えるはずがない。関係者全員に対する裏切りだ。

「慶太を傷つけます……産まれてくる子だって、いつか父親が慶太じゃないって知ったらどうするんですか!」

「慶太の子かもしれない……」

「そんな……」

「そうだよ、慶太の子だよ! 慶太とエッチしたときにゴムに穴が開いてたかもしれないし、匠とは安全日にしたもん」

美麗さんの願望に失望する。
匠の子だ。私だって慶太との子供だと信じたい。でもきっとそうじゃない。
怒りで泣きそうになるのを堪えた。私の言葉が美麗さんに届かなくて悔しい。

「慶太と結婚して時々匠にも会う」

「何を……言ってるんですか?」

「今まで二人と同時に付き合ってきたんだもん……。今更どっちかなんて美麗は選べないよぉ……」

この人はどう説得しても二人同時に付き合っていくつもりなのだ。今夜ここに来たのもどっちかを選べと言われたことが悲しかったからで、私に答えを求めに来たわけじゃない。匠が納得しない、と愚痴を言いに来たようなものだ。
涙で美麗さんの顔がぼやける。私も今ぐしゃぐしゃな顔をしているのだろう。

「美麗さんが決めたなら、もう私が言うことはありません」

静かに告げた。
美麗さん自身も気づいているのだ。子供の父親はどっちなのか。それをはっきりさせることから逃げている。
結婚すると決めたならどうしようもない。慶太の人生は美麗さん次第だ。
そうして嫌な考えが頭に浮かんでしまった。美麗さんのすすり泣く声をぼんやり聞きながら私はどうやって結婚をやめさせようか考えていた。



美麗さんは泣き疲れたのだろう。私のベッドを占領して寝てしまった。つわりで気持ち悪いと訴えながらも冷蔵庫から勝手に炭酸飲料のペットボトルを出して一気飲みしてから。
家に泊まることは珍しくないけれど、きっと今夜が最後になるだろう。綺麗な寝顔を見ることもこれが最後だ。
美麗さんが寝てからもスマートフォンには度々LINEの通知が来る。その度に画面を覗くと、それぞれ別人からのメッセージのようだ。交友関係が広くて感心する。
メッセージを送ってきた人の中に次の『浮気相手』がいるかもしれない。美麗さんなら三股でも四股でも、誰とどうなったって驚いたりしない。

慶太の声を頭の中で反芻する。たった一度話しただけ、遠目に見ただけの男にここまで感情移入する自分がおかしい。接点のない男のことなんて放っておけばいいのにそれができない。どうしても慶太のことを考えてしまう。不幸になってほしくない。どうしても結婚してほしくない。美麗さんのような滅茶苦茶な女を好きになってくれる素敵な人を遠ざけたい。
私はそこまで美麗さんを羨んでいたということ? 恵まれた美麗さんに対する嫉妬の裏返し?

何度も何度も考えた。考えた末に私は自分のスマートフォンを手に取った。
匠は美麗さんを諦められない。そのことに懸けてみようと思った。美麗さんのために作った曲は何度も聴いたせいか覚えてしまった。狂おしいほどの愛の歌は美麗さんへ向けたものだ。
美麗さんの妊娠を知ったら匠はどうするだろうか……。
LINEの友だち一覧から『匠』を探して電話をかける。あとは魔法の言葉を囁くだけだ。

美麗さんは妊娠していて、今更やめられないから慶太と結婚しますよ。匠さんはそれでいいんですか?

こんな言動をする自分に呆れる。ここまで私は歪んだ人間だったのだ。美麗さんを責められない。そのことが嫌になる。
そうだ、私は美麗さんの共犯者だ。非常識な花嫁の友人で花嫁を好いている男を唆す悪女なのだから。

盛大な結婚式は目前に迫っていた。



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