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「美麗さんは慶太と結婚するんですよね?」

「そうだよ」

私が母と暮らすボロボロのアパートの一室で美麗さんは自分の家のようにくつろいでいる。この部屋に不釣合いなブランドのワンピースを着て、城藤の家と比べたら寝心地が悪いであろう私のベッドに寝転がっている。

「じゃあどうしていつまでも匠から離れないんですか?」

「匠には美麗が必要だって言うの」

「匠がですか?」

「うん。美麗と一緒にいたいって」

だからって結婚を控えているのに他の男のそばに居ることは間違っている。慶太は美麗さんを信じているはずなのに。平然と言ってのける美麗さんは寝転びながら前撮りしたウエディングドレスを着た自分の写真を何度も見ている。それは婚約者以外の男と寝ている女の態度ではない。慶太と並んで写る写真を私は直視できない。何も知らない慶太の笑顔に責められている気がする。

「慶太と結婚するのに匠と別れないんですか?」

「別れないよ」

「………」

返す言葉を失った。慶太と結婚するけど匠とも別れないなんて虫がよすぎる。

「もう一度聞きますけど、美麗さんは何がしたいんですか?」

「慶太と結婚?」

「何で疑問系なんですか……」

「もう! 美紗ちゃんさっきから質問ばっかり! 美麗疲れてるから休みたいのに!」

結婚式が来月に迫って打ち合わせが頻繁に行われ、美麗さんは親に連れられて式場や披露宴会場を往復し、慶太とデートをして、夜は匠のライブに行ってから身体を重ねている。もちろんそれは慶太とではなく匠とだ。何度もウエディングドレスを脱ぎ着した身体を婚約者以外の男と繋げている。毎日そんな生活では当たり前に疲れるだろう。

「最近ダルくて食欲もないし、痩せてドレスのサイズが合わなくなったら困るもん」

ぷうと頬を膨らませて私に怒っていることをアピールしてくる。その辺のアホな男なら整った顔で可愛らしく膨れられたらワガママも許してしまうのだろう。が、生憎私は女であり美麗さんの人生のアドバイザーだと自負している。間違っていることは教えてあげなければいけない。

「美麗さんは慶太と結婚するんですよ? 自分で決めたことでしょ。あんだけ周りを騒がせて慶太を選んだんだから匠と別れて家庭に入ることに専念した方がいいですよ」

結婚できないのなら死ぬとまで騒いで選んだ男なのだから。

「そうなんだけど……」

美麗さんは起き上がってベッドの端に腰掛けた。

「美紗ちゃん……美麗は慶太と結婚する」

「そうですね」

「でも匠も好きなの」

「はい?」

「慶太は美麗をちゃんと一人の人間として見てくれるの。間違ったことはきちんと叱ってくれるし、美麗を守ってくれる」

美麗さんはちゃんと分かっている。慶太は『城藤』美麗とは見ない。家柄で美麗さんを選んでいない。

「でも匠は美麗を求めてくれるの。ワガママで何も出来なくても、今の美麗を愛してくれる。こんな美麗でも必要だって言ってくれるの」

言いたいことは分からなくもない。匠だってありのままの美麗さんが好きなのだろう。でも私には匠が慶太を裏切ってまで付き合う相手とは思えない。

「慶太は美麗を変えようとしてくれるの。自立した女の子に。美麗も慶太に相応しい子になれるように頑張るつもりなんだけど……」

慶太は間違っていない。美麗さんを愛して変えようだなんて心が広くて感心してしまう。

「でも匠は今の美麗を受け止めてくれるの。ただ一緒にいてくれる。それがすごく安心するの。匠ね、美麗がいないと何も出来ないくらい愛してるって言ってくれたの」

「はあぁ……」

私は盛大な溜め息をついた。本当に呆れるばかりだ。

「どっちとも一緒に居たらだめなのかな?」

「だめですよ。美麗さん、それって最低ですよ。今すぐやめた方がいい」

「だってー……どっちも美麗には必要な人なんだもん……。どっちかを選んだら他の男と付き合っちゃいけないなんて美麗には無理」

このご令嬢は考え方が根本的に私と違う。いくら美麗さんが本音を言うことを私に求めているとしても、私の言葉が常に美麗さんに届くとは限らない。

「美麗さんが幸せになるためにはどうすればいいのか、その選択を間違えないようによく考えてくださいね」

「うん……」

考えなくても結論はすぐに出る。慶太との結婚には反対だけど、今更なかったことには出来ない。たくさんの人を傷つけてしまう。
城藤家の人間の結婚式は盛大なものになる。招待客の数も並みの式の比ではない。これが数週間後なのに中止になると、城藤側だって美麗さんだけの責任では済まない。だけどこのご令嬢はそんなことをきっと深く考えてはいない。
慶太といるか匠といるか、どちらが美麗さんにとって楽しく生活できるか、どっちが美麗さんを愛してくれているか、身体の相性はどっちがいいか、そんなことしか考えていないのだろう。
美麗さんは全てを持っている。手に入れられないものなどない。何かを手に入れるために何を犠牲にしてもきっと気にしたりはしない。もしかしたら全部を上手く手にできるとさえ思っているかもしれない。



美麗さんがお風呂に入っているとき、美麗さんのスマートフォンが狭い部屋に鳴り響き着信があることを知らせる。画面には『けいた』と表示されている。ひらがなで登録された名前に美麗さんらしさを感じながらスマートフォンをバスルームまで持っていってドアの前で声をかけた。

「美麗さん、慶太から電話です」

ドアが少しだけ開いて髪を泡だらけにした美麗さんが顔を出した。

「今出られないから美紗ちゃん代わりに出て」

「え!? 私がですか?」

「緊急だったら困るし、今髪を流したいから」

「分かりました……」

美麗さんがドアを閉めてしまったので仕方なく緊張しながらも電話に応じた。

「も、もしもし……」

「あれ、美麗?」

初めて聞いた慶太の声は想像よりも少し幼く聞こえて、より一層緊張してきた。慶太を身近に感じた瞬間だった。

「あの、えっと……」

「美麗……じゃないの?」

一方の慶太は私の声に戸惑っているようだ。

「あ、あの、私美麗さんの友達です。今美麗さんはお風呂に入ってます……」

早口で状況を伝える。そうして「私の家です」と慌てて付け足した。

「ああ、美麗の友達の、ミサちゃんかな?」

「はい、そうです……」

「美麗から聞いてるよ。いつも相談に乗ってくれる大学の後輩がいるって」

慶太の口から自分の名前が出てドキッとする。美麗さんは私のことも慶太に話しているなんて意外だった。

「急用じゃないから明日またかけ直すよ」

「すみません……」

「ミサちゃんは結婚式に来てくれるのかな?」

「はい……」

「そっか。ありがとう。当日はよろしくね」

穏やかな慶太の声に全てを暴露してしまいたい衝動にかられた。けれどそんなことはできない。私が泥沼化の引き金にはなりたくない。

「こちらこそ……式を楽しみにしてます……」

通話を終えても慶太の声が耳から離れない。
思っていた以上に優しそうな声だった。慶太はこの声で美麗さんを叱って、笑いかけて、ときには甘えるのかもしれないと思うと心が痛む。こんなにも気にかけてくれるのに。こんなにも愛されているのに。美麗さんは裏切った。

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