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「お金?」

「はい?」

「お金目当て?」

「は? バカですか?」

私は思わず目の前のバカ女にバカと言ってしまった。お金目当てなはずがない。

「目の前に具合の悪い人がいたら助けるのが普通でしょ?」

「………」

間抜けな顔でまじまじと見られることが苦痛になってきた。それに吐瀉物のにおいがきつい。

「あなたのお友達の方がよっぽどお金目当てですよ。その割りに今のあなたを見て逃げていきましたけどね」

このバカ女に嫌みを込めて言ってやる。本当は私だってこの状況から逃げたいのに放っておけなかった。

「………ありがとう」

「………どういたしまして」

お礼を言われるなんて予想外だ。思考がぶっ飛んだ女だと思っていたのに、そこは育ちのせいかきちんと礼は言えるようだ。

「お水持ってきますね。それとタオルも……」

立ち上がるとバーの中からスタッフの女性が出てきた。スタッフはうずくまる美麗とその吐瀉物を見て顔をしかめた。

「お水とタオルをお願いします」

「は、はい」

私の指示を聞くとスタッフは中に戻っていった。

「あなたのお友達は自分で介抱するよりもお店の人に任せることにしたんですね」

私は疲れていた。この惨めなご令嬢に当たりたくなるほどに。

「とっても素敵なお友達をお持ちなんですね」

今のこの人に何を言っても怖くない。どうせ私のことなんてこの吐き出したものと同じ程度にしか思っていないだろうし。
介抱してあげたのだからあとはスタッフと素敵なお友達が何とかするだろう。

「じゃあ今夜は楽しいパーティーを開催してくださってありがとうございました」

もう帰ろう。服ににおいがつく前に。まったく、散々な夜だ。

「あなたの名前は?」

「足立です」

フルネームは名乗らない。万が一生意気な口を聞いた仕返しをされたら堪らない。

「本当にありがとう……」

歩き出す私に美麗はもう一度お礼を言った。

「………」

振り返ると先ほどよりも顔色が良くなった美麗が笑っている。

「……どういたしまして」

それだけを言ってお店を出た。友人に『先に帰る』とメッセージを送ると駅まで歩いた。

今夜の城藤美麗との出会いがこの先の人生を一変させることに、このときの私は気づかなかった。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



「みーつっけたっ! 足立ミサ!」

「なん……で……?」

中庭を歩く私の視線の先にはベンチに座って足を組む城藤美麗がいた。その姿はまるでモデルのようで、同じ女なのについ見惚れてしまう。

「あなたを探すのは簡単だったよ」

ショートパンツを穿いた美麗は美脚を完璧なポーズで惜し気もなく晒し、私に向かって微笑んでいる。

「パーティーのときのお礼がしたいの」

「いや……いいです、お礼なんて……」

しまったと私は焦る。美麗は嫌みな私に仕返しをするつもりなのかと思った。

「そんなこと言わないで。行くよ」

「行くってどこへ?」

美麗に腕を掴まれ無理矢理大学から連れ出されると車に乗せられ、高級レストランに着くと食事を奢られた。テーブルに座った目の前には見たことのない名前も分からない食材を使った料理が並べられた。今まで食べたことのないそれらは庶民である私の喉を通らない。

「ミサちゃんてどんな漢字書くの?」

「美しいに袱紗の紗です」

「美紗ちゃん……美麗と似てるね」

「どこがですか?」

「同じ美しいって漢字が入ってる」

「はあ……そうですね」

美麗はニコニコと私を見つめる。ワイングラスを手に持つ美麗は絵に描いたように美しかった。

「ねえ、美紗ちゃんは不自由だって感じたことある?」

「え?」

「美紗ちゃんみたいな子は美麗のこと嫌いでしょ」

「いえ……そんなことは……ないです……」

嘘をついた。そんなことはある。ただ、嫌いというよりは生きている世界が違う人種だと思っている。関わることも避けたいし、近くに居たいとも思わない。でもそれを本人の前では言いにくい。

「気を遣わなくていいよ。美麗を介抱してくれてた時はもっと強気だったじゃない」

「それは……」

もう会うこともないと思ったから。

「美麗にバカって言った人は初めてだよ」

「………」

目の前のバカ女に会ったことを今とても後悔している。きっと城藤の財力を駆使して生意気な態度の仕返しをされるのかも……。

「すみませんでした!」

慌ててテーブルに頭を打ち付ける勢いで謝ると「嬉しかった」とご令嬢は言った。バカと言われて嬉しいと返す美麗に驚く。おまけに私に笑顔まで向けている。

「今まで美麗に本音をぶちまけた人なんていなかったから」

そう言ってご令嬢は寂しそうな顔をして窓から夜景を眺めた。

「みんな美麗本人じゃなくて城藤のお金が目当てなの」

返す言葉が浮かばず、私は出された高級料理をひたすら飲み込んだ。
会計は全て美麗がカードで払った。といっても実際は美麗自身の金ではなく親の金だ。金額を書いた紙を見ることもなくカードを差し出す美麗には更に呆れた。

レストランを出ると美麗の使用人だという男性が運転する車が迎えに来た。車種は分からないがこの車が高級車だというのは何となく分かる。自宅まで送ってくれると言う美麗に甘えて乗り心地がいいシートに座っていた。

「美紗ちゃんさ、美麗の友達になってよ」

「え? 私がですか?」

突然の申し出に戸惑った。

「城藤さん、あの……」

「美麗でいいよ」

「美麗さん、何で私なんかと?」

「みーんな美麗を傷つけることは言わないんだよね。美紗ちゃんみたく本音を言ってくれる子と付き合いたいの」

「………」

このぶっ飛んだ思考の人と凡人の私が友達……。

「勘弁してください」

私は横に座る美麗さんに頭を下げた。無理に決まってる。城藤美麗と友達になるなんて。

「あははは、そうそれ!」

横に座る美麗さんは私の答えに手を叩いて爆笑している。笑い事ではない。この人と関わると毎日疲れてしまいそうだ。
自宅前で降ろしてもらい送ってくれた礼を言うと、「また明日ね」と次回も会うことが決まっているような別れの言葉を押し付けられる。

こうして私は見事に城藤美麗の取り巻きの一人になった。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



城藤美麗は自分を無敵だと勘違いしているようなところがあった。食事に行くことになると必ず『城藤』の名を出して高級店を予約する。服を買いに行けば値札を見ずに手に取り、「美紗ちゃんにはこれが似合う」と頼んでもいないのに私の服まで買ってしまう。
クリスマスパーティーは高級ホテルのレストランを貸し切って参加者の部屋まで用意した。そしてそのパーティーに着るドレスを私の分まで用意する。我が家の経済状況では手に入れるのもレンタルするのも困難な額の高級ドレスだ。私がどんなに断っても強引に押し付ける。
美麗さんに手に入れられないものはないのだろうが、それは美麗さん自身の金ではなく全て親の金があればこその話だ。城藤の財力がなければ美麗さんはただのワガママな女なのに。



「ねえ美紗ちゃん、このネックレスあげるよ。この間着たワンピースによく似合うでしょ?」

そう言ってブランドのネックレスを渡された。私に似合うはずもないネックレスを首にかけると、見た目以上に重たく感じる。
食事も買い物も、美麗さんといれば私は一切お金を使うことがなかった。

美麗さんが私の経済状況をどこまで知っているのかは分からない。それでも私は奢りの食事やプレゼントにいつの間にか頼るようになっていた。美麗さんに払ってもらうことが当たり前、呼び出されたら会いに行くのが当たり前になった。
会う度に自分と比べてしまい、美麗さんの育った環境、親の財力が羨ましかった。

このままでは自分自身がだめになる。母から隠すように部屋に溜め込んだ高級品を見て、そのことにやっと気づいた。こんな関係は間違っている。
私は美麗さんとの『友人関係』を継続しつつ、金銭面で依存しないよう距離をとった。
美麗さんの方は凡人の私が新鮮なのか、些細なことも私に打ち明け意見を聞いてくれるようになっていた。










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