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「そうやって徐々に浅野さんと距離が近づけばいいね」

潮見は心から私と浅野さんを応援してくれている。私だって彼と想いが通じたらいいと望まないわけじゃない。でも浅野さんはきっと本当の私を知ったら受け入れてくれないだろう。距離が近づくほど後ろめたさも強くなる。

「浅野さんが私に彼氏がいるのかどうかって知りたいとは思えないんだけど」

「まだ言う?」

「だって……」

フラれたようなものだ。いや、フラれる前に話もちゃんと聞いてもらえなかったのだから。

「美紗ちゃんって掴めないね」

「え?」

「浅野さんのことを気にかけてるのに、浅野さんが何かを言ったり行動してもそれを信じないの」

思わず割り箸を持ったまま止まってしまった。潮見の言葉が突き刺さったから。

「周りから庇って悪くは言わないけど、浅野さん本人の言葉は否定的だね」

「………」

その通りだ。そんな人じゃない、誠実な人だと言って浅野さんのことを勝手に決めつけて気持ちを推し量る。なのに私の予想と違うと驚く。気持ちを否定するのは浅野さんだけでなく私だってそうだ。

「あ、ごめんね……酷いこと言ったね」

潮見は慌てて謝ったけれど私は怒ったりしてはいない。

「ううん、潮見の言う通りだよ」

「悪い意味じゃないんだよ! 美紗ちゃん浅野さんに対して自信がないように感じだから……」

「それも正解」

私のことを知ったら、浅野さんは私を憎むかもしれない。

近づきたいのに怖い。でももっと知りたい。

「潮見とは学生の時に会いたかったよ。潮見のアドバイスがあったら、もっとまともな学生生活が送れたのに」

「んー、私も美紗ちゃんとあんまり変わらないよ。恋愛においてはね」

ニコニコと笑う潮見は同い年なのに私よりも大人びている。思ったことを率直に言ってくれる。私の無自覚な悪いところも。当時の悩みだって潮見がそばにいてくれたら何かが変わったかもしれない。

「美紗ちゃん、頑張って」

「うん……そうだね」

浅野さんをもっと知りたい。彼がこの数年をどんな思いでいたのか。閉ざした心の奥を。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



エレベーターに乗ると目的の階の途中で止まり、開いたドアの向こうに浅野さんが立っていた。

「お、お疲れ様です」

「お疲れ様」

会うのは何日振りだろう。あれ以来まともに会話をしていないので緊張してしまう。エレベーターの奥に詰めた私の前に浅野さんが乗ってきてボタンを押した。

「足立さん」

「はい」

「この間のカフェによければまた行ってみて」

「え?」

意外な話題に驚いて浅野さんを見るけど、彼は顔を少し後ろに向けただけで私と目を合わせない。

「足立さんも本好きなのかなって勝手に思っちゃって。それと、お客様目線でも自社の店舗に行ってみてほしいんだ」

わざわざブックカフェに行くなんて本好きだと思われたのかもしれない。確かに嫌いじゃないけれど、浅野さんからそう言われるなんて意外だった。

「優磨もまた是非って言ってたから」

「優磨くんがですか?」

「足立さんにまた来てほしいらしいよ」

この人は一体どういうつもりでそんなことを言うのか。私が気持ちを伝えたというのに、別の男が私に会いたいと言うのだから。
浅野さんの感情を読もうとしても背中を向けられたまま顔が見れず何を考えているのか分からない。

「そうですか。じゃあまた行ってみますね」

声に籠る不満を抑えることができなかった。

「よろしく」

「それだけですか? 私に言いたいことは」

「………」

エレベーターのドアが開くと浅野さんは私と最後まで目を合わせないまま先に降りてしまった。

「待ってください!」

閉まりかけたドアを無理矢理開いて浅野さんを追いかけた。

「浅野さん!」

通路の先で彼は私を待っていた。

「何?」

少しも表情を変えず、私が引き留めたことを煩わしくも思っていそうだ。

「借りていたお金をお返しします」

私は財布から一万円札を出して浅野さんの前に差し出した。

「返さなくてもいいのに」

「そういうわけにもいきません。ありがとうございました」

浅野さんは一万円札を受け取った。

「それじゃ」

「話を聞いてください!」

引き留め続けなければこの人は私から逃げてしまう。

「私は浅野さんが好きです」

「………」

「素面でもこの気持ちは変わりません。何もなかったことにはしないでください」

一度言ってしまったらもう怖くない。私の気持ちをぶつけることを。

「優磨が君のことを気に入ったみたいだ」

尚も優磨くんの気持ちを押し出して私と向き合うことを避ける。
そうか、私に彼氏がいるのか気にしているのは優磨くんなのかもしれない。浅野さんは代わりにそれを潮見に聞いたのだ。

「それでも私は浅野さんが好きです! 優磨くんは関係ない。浅野さんの口から他の男性のことなんて聞きたくありません!」

例え優磨くんが浅野さんの友人でも。私のことを気に入ってくれているとしても。

「足立さん、ここは会社で今は業務中だよ。そんな話は場所を考えないと」

この期に及んで真面目に話し合おうとせず、終わらせようとする浅野さんに強くなる声を押さえられない。

「ならこちらにどうぞ!」

私はすぐ横の小会議室を指した。

「ここなら誰にも聞かれず話ができます。それとも、プライベートで会っていただけるのならその時にお話します!」

私は強気だ。だってもう浅野さんを逃がしたくない。私だって逃げない。

「知ってると思うけど、僕今忙しくてプライベートな時間も犠牲にして仕事してるんだよね」

「では少しでもお時間のあるときに合わせます」

「そんなに僕のことが好きだって話がしたいの?」

「はい!」

「………」

もうめちゃくちゃだ。しつこくて自分でも嫌になるくらい浅野さんを好きだと言い過ぎた。引かれてしまう。嫌われてしまうかもしれない……。

「ふっ、ははは」

浅野さんが突然笑いだした。

「浅野さん?」

「ははは、ごめん……足立さんがあまりにも一生懸命だから」

こんなに笑う浅野さんを見るのは初めてだ。でもそれが嬉しいとは今は思えない。

「笑わないだください! 私は必死なんです」

「ごめん……」

浅野さんはメガネに手を添えてずれを直すと、私を真っ直ぐ見た。

「足立さんはどうしたいの? 僕と付き合いたいの?」

「はい!」

「今の僕はそういうのは遠慮したいんだ」

「………」

真面目な顔になって口にする浅野さんに返す言葉がない。そう言わせてしまった原因の一つが私だと容易に想像できたから。

「私は浅野さんを幸せにしたいです」

「は?」

これまた初めて浅野さんの口から間抜けな音が出た。

「私に好かれる人は幸せだって浅野さんは言いましたよね。なら私が浅野さんを幸せにしたいと思います」

「………」

私の答えが予想外だったのだろう。浅野さんは私から目を逸らさないで考えているようだ。

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