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「その人って慶太さんの彼女さんだったんですか?」

「は?」

「え!?」

笑顔を見せる男の子に慌てた。

「ち、違います!」

「会社の後輩だよ」

「なんだー……」

男の子は私が彼女じゃないと分かると残念そうにカウンターの中に入った。
浅野さんが彼女じゃないと冷静に否定したことにショックを受けていた。確かに後輩なんだけど、少しは照れるとか慌てるとかしてほしかった。そう思うなんておこがましいのだけど。

「てっきり彼女かと思ったのに」

「お前は僕と一緒にいる子を何でもかんでも彼女だと思うなよ」

「心配してるんですよ、慶太さんの生活を」

「優磨に言われたくないから。そこはほっといていいし」

私は二人の様子をぽかんと口を開けて見ていた。浅野さんがこの優磨と呼ばれた男の子と親しげに会話をしている。こんな浅野さんを初めて見た。

「あ、あの……お二人はお知り合いですか?」

私は会話に割って入らずにはいられない。二人は本社の社員とアルバイトの関係以上に親しい。下の名前で呼び合うほどに。

「ああ、優磨が中学生の頃から知ってるよ」

「俺が慶太さんを好きすぎてずっと付き合ってるんです」

「え!?」

付き合ってるって、まさか噂の? 浅野さんは本当に男の人が好きなの?

「優磨、誤解される言い方するなって。足立さん、今完全に勘違いしてるからね」

浅野さんは慌てる様子もなく無表情で否定する。

「地元が一緒で僕の実家にもよく来てたんだ」

「そうなんですね……」

「好きなのは本当ですけどね」

優磨くんがさらりと言うから私の疑いは晴れない。

「好きっていうか尊敬してます。人として」

「だから、恥ずかしいことを平気で口に出すなよ」

「いいじゃないですか」

ニコニコと無邪気に笑う優磨くんは浅野さんにとても懐いているようだ。

「前に僕がこのブックカフェの担当になったって話したらバイトとして入っちゃったんだ」

「へえー……」

「慶太さんがどんな仕事してるのか気になっちゃって。ちょうど俺もバイト探してたし、今は居心地よくて気に入ってます」

優磨くんは他の客から注文が入ったカフェラテを慣れた手つきで提供した。

「浅野さんはここによく来るんですか?」

二人は頻繁に会っている気がして聞いてみた。

「うん。元々僕が開店に携わったカフェだし、優磨がいるからね。会社帰りに時々寄るんだ」

「ここなら慶太さんが好きな本がゆっくり読めますしね」

「優磨が静かに読ませてくれたら早く一冊読み終わるんだけどね」

「まるで俺がうるさく邪魔してるみたいじゃないですか」

「いや、そう言ってるんだって」

普段なら冷たい空気を醸し出して人と距離をとる浅野さんが、優磨くんには壁を作っていない。遠慮のない会話から仲の良さが窺える。私は浅野さんと同じくらい優磨くんに興味を持った。

「ここのお店は長いの?」

「はい。オープニングスタッフなんで、そろそろ3年になります」

「大学生?」

「今4年です。春で卒業します」

一つ一つの質問にきちんと目を見て笑顔で答えてくれる。浅野さんとは大違いだ。浅野さんの態度も言葉も優磨くんは受け止めている。微笑ましく思えるくらい。

「卒業しちゃったら慶太さんに会う機会も減っちゃうから困りますけど」

「その言い方は本当に誤解されるからやめろ」

「でも俺、慶太さんが心配で……」

「優磨、いい加減それ以上はもう言うな」

浅野さんは冷たい言葉と鋭い目で優磨くんを牽制する。横にいる私は静かに怒る浅野さんに怯えて体が小さく震えた。今までの穏やかな空気が一変した。

「………」

優磨くんはそんな浅野さんに困ったように笑い返すけれどそれ以上何も言わない。
私は不穏な空気に居心地が悪くなった。優磨くんは今までの会話の中で浅野さんを怒らせることを言ったようには聞こえなかったのに。

「えっと、足立さん、でしたよね?」

「あ、はい……」

「ゆっくりしていってください。小説も雑誌も、少ないですがマンガもありますから」

優磨くんは私がびっくりして固まっているのに気づいたようで、気遣って声をかけてくれた。

「ありがとうございます……」

私はまだ顔がひきつっているけれど、優磨くんはもうニコニコと人懐っこい笑顔に戻っている。
ここには読書が目的で来たわけではないけれど、不自然じゃないように近くのラックに置いてあった雑誌をよく見ないで手に取った。
横目でそっと浅野さんを見ると、こちらもいつもの態度に戻ってコーヒーカップに口をつけている。といっても浅野さんはいつも無表情だから感情が読み取りにくい。今何を思っているのか私には判断ができない。

「あ、そういえば慶太さんが読みたがってた新刊が入荷しましたよ」

優磨くんは先ほどの気まずいやり取りを忘れてしまったかのように、カウンターから出て本棚から一冊の文庫本を取って浅野さんに渡した。

「ああ、ありがとう」

浅野さんは無表情のまま本を開いて読み始め、優磨くんは再びカウンターの中に入って仕事を始めた。
私は雑誌を適当にめくりながら二人の自然なやり取りに呆気にとられていた。浅野さんは多分もう怒っていないし、優磨くんは怒られても気にしていない。本当に長い付き合いだということを感じることができる。
浅野さんは本に夢中で、優磨くんは仕事の合間に浅野さんの様子を窺っている。
浅野さんは男性が好きっていう噂はやっぱりデマで、でももしかしたら優磨くんの方が浅野さんを……なんてね。優磨くんが浅野さんを気にかけることが少し引っ掛かる。
私はそんなことを考えながら二人を交互に観察していた。そしてうっかり優磨くんと目が合ってしまうと彼はニコッと笑ってくれる。すぐに目を逸らす浅野さんとは大違い。対照的な二人は見ていて面白い。

無意識に雑誌のページをめくり視線を向けると、視界に飛び込んできた写真を見て息を呑んだ。見開きページにポーズをきめて写った四人の男性たちの写真。それを見た瞬間、私は慌てて雑誌を閉じた。
見てはだめ。これを見せてはだめだ。

「足立さん?」

声をかけられ顔を上げると浅野さんと優磨くんが私を不思議な顔で見ていた。

「大丈夫? どうかした?」

浅野さんが珍しく私を心配してくれる。勢いよく雑誌を閉じたことに驚かれてしまったようだ。

「あ、あの、大丈夫です……」

絶対にこの雑誌を見せてはだめだ。

「私、帰りますね……」

「え、もうですか?」

優磨くんが声をかけてきたけれど、私は急いで立ち上がって雑誌をラックに戻した。

「すみません……お先に失礼します」

慌てて財布からコーヒーの代金を抜いて優磨くんに渡すと、浅野さんと優磨くんの顔を見ないでブックカフェを出た。
動揺した勢いで出てきてしまったけれど、私の行動は不自然だっただろう。
開いた雑誌には去年デビューしたバンドの写真と共にインタビューが載っていた。それを直視できなくて焦ってしまった。
あのバンドを、特にあの男を浅野さんの目に触れさせたくない。完全には無理だと分かってはいるのだけれど。
バンドの存在を確認する度に私の過去も同時に脳内再生された。馴れ馴れしく浅野さんの隣に座る資格なんてないのだと、彼らが私に告げるのだ。





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