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聡次郎さんは髪を掻きむしるとベッドに上がり私の横に寝転んだ。

「俺がここで寝ればいいんだろ?」

「じゃあ私は……」

ベッドから下りようとしたけれど、毛布の中で聡次郎さんの手が私の手を握った。

「梨香もここ」

「え?」

まさか一緒に寝る気なのかと驚いた。

「行くな」

暗い寝室では聡次郎さんの顔が見えない。今どんな顔で私の手を握っているのだろう。

「安心しろ。病人に何もしないから」

そう言われても横に聡次郎さんがいて安眠できるわけがない。

「無理矢理キスされたのに信用できない」

意地悪なことを言ってしまった。だって強引なキスも忘れたわけじゃないのだから。

「もうしないよ。梨香を大事にするとも言っただろ?」

確かにそう言った。でもその言葉とは裏腹に握った手は指を絡めてきた。

「本当に何もしないのなら、この手はなに?」

「こうでもしないと梨香は俺から逃げるだろ?」

「大事にするのに逃がさないの?」

「そうだよ。俺が独占欲が強いってもうわかってるだろ」

本当に聡次郎さんは子供のようにワガママで独占欲が強い人だ。

「ほんと、強引なんだか優しいんだかわからない。いつも私のお願いなんて聞いてくれないし」

「お茶淹れてやっただろ」

一々言い返してくるから呆れて笑う。暗くて見えないけれど、きっと今聡次郎さんも笑っている。

「早く風邪治せよ」

「はい。おやすみなさい」

「おやすみ」

握った手は離さないで目を閉じた。
このまま風邪が治らないのもいいかもなんて思いながら。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



「梨香、梨香」

私の名を呼ぶ声に目を開けると、視界に聡次郎さんの顔が入る。

「おはよう。起きれるか?」

「おはようございます……もう朝ですか?」

「ああ。俺はもう出勤するから今日は寝てろ」

聡次郎さんはスーツを着ている。リビングのソファーに置かれたカバンが見えた。

「でも、休めないよ……」

昨日早退して今日も休むなんて申し訳なく感じてしまう。

「今日は龍峯か? カフェか?」

「龍峯……」

「なら休め。店には俺が言っとくから」

体を起こすと、まだ少しだるさを感じるけれど熱は下がったようだ。

「大丈夫。行けるよ」

「だめだ、休め」

聡次郎さんに厳しく言われて口を噤んだ。確かにまだ万全な体調ではない。今無理をするとぶり返してしまうかもしれない。

「わかった……休む……」

口を尖らせてそう言うと聡次郎さんは笑ってベッドに腰掛け、昨日と同じように私の頭を撫でた。

「少しは良くなった?」

額に手を当てた聡次郎さんは私の顔を覗き込む。

「ちゃんと寝れたからだいぶ良いよ」

「それはよかった。俺は寝れなかったけど」

「どうして?」

「梨香が横で寝てるのに意識しないわけないだろ」

真顔でそう言われて返す言葉がない。

「手を握る以上のことをしないように必死だったよ」

「あの……ごめんなさい……」

やっぱり私がソファーで寝ればよかった。聡次郎さんに手を握られて私は安心して眠れたのに、聡次郎さんはそうじゃなかったのだ。

「いいよ。俺が自分で選んでそうしたんだから」

聡次郎さんの手が私の頬に触れた。

「でも、次この部屋に来たら寝かさないから」

顔が赤くなるのを感じた。私を見つめる聡次郎さんはもう『偽』の恋人じゃない。

「今夜も泊まってく?」

いたずらっぽく笑うから慌てて首を左右に振った。

「帰ります。着替えたいし」

「そう? 送っていこうか?」

「大丈夫。もう自分で帰れるから。服は洗って返すね」

「気をつけて帰れよ。母さんにだけは見つからないようにな。うるさく言われるだろうから」

そうだ、昨日聡次郎さんとは別れると言ったのに、その日に泊まったなんて奥様に知られたら大変なことになる。

「他の社員にも見られないように非常階段で下りる……」

「梨香、もう社員にも家族にも全部バレてもいいんだ」

「え?」

「もう俺は恋人のふりはできない。無理だよ、偽者の関係なんて」

私を見つめる力強い目に吸い込まれそうだ。

「ふりなんかじゃなくて、契約のこともなかったことにして本物の恋人になろう」

頬に触れていた手が離れ今度は膝に置いた私の手を握った。

「梨香のことが好きすぎて嫉妬もしちゃうけど、大事にするって言った言葉は嘘じゃない。これからずっと証明し続ける」

「でも、奥様は私たちのことを反対してる」

「俺を信じろ。どんなやつからも、どんなものからも梨香を守る。何度だって言ってやる。俺が望むのは梨香なんだ」

迷い続ける私に聡次郎さんはどこまでも強く思いをぶつけてくれる。

「契約を持ちかけたのが梨香でよかった」

そう、全ては人違いから始まった。でも今は私も間違えられてよかったと思っている。

「嬉しい……」

聡次郎さんの気持ちが。聡次郎さんの言葉が。

「嬉しいか?」

頷く私を聡次郎さんは抱きしめる。

「なら言ってよ。俺が好きだって」

「どうして?」と問うと聡次郎さんは私を強く抱きしめた。

「梨香から好きだって1度も言われたことがない」

「嘘だ。言ったよ」

「はっきり言われたことはないよ。だから俺は自信が持てない。いつまでも不安になる」

好きだと言ったことはあった気がしたのに、聡次郎さんには伝わっていない。私の態度にこの人も一喜一憂していたのだとしたら一層愛しく思える。

「聡次郎さんが好きです」

私を抱きしめる愛しい人の耳元で囁いた。

「他の誰よりも。聡次郎さんだけが大好きです」

そう言った瞬間唇を奪われた。角度を変えて何度も離れてはまた触れる。主導権は聡次郎さんに、けれど決して強引じゃない。
深く重なった唇を舌がこじ開け口の中に侵入する。すると聡次郎さんの腕が私の体をベッドに押し倒した。

「聡次郎さん! だめです!」

スウェットに手をかけられたから慌てて聡次郎さんの体を押し返した。

「ベッドに梨香がいてこの雰囲気……止まんない、無理」

「無理なのは私の方です! お仕事が!」

「休む」

「だめ!」

抵抗する私に観念したのか、聡次郎さんは溜め息をついて私の首に顔をうずめた。

「りかー……」

子供のように拗ねながらも私の首にキスを仕掛けてくる。

「専務、出勤のお時間ですよ」

「役職言って責めるのは反則だ……」

聡次郎さんは渋々私の上から退いてネクタイを締め直した。私は聡次郎さんが離れてくれて安堵した。
やっと気持ちが通じ合ったのは嬉しい。私だってこのまま雰囲気に飲まれてもいいと思った。けれど昨夜はお風呂に入っていない。聡次郎さんに全てをさらけ出すには色々と準備をしたいのだ。

「本当に龍峯を辞めるのか?」

「ああ、うん……本当は辞めたくないけど奥様にも啖呵切っちゃったし、このまま掛け持ちして働いてもまた体調崩しそう。カフェも今人がいないから辞められないし」

今更龍峯を続けさせてくださいなんて奥様に言えるわけがない。

「そうか……」

「お茶も好きだけど、カフェで働くのも好きなんだ」

聡次郎さんは残念なような、何かを考え込むような表情をした。

「聡次郎さん、遅刻しますよ」

「ああ、やばいな。鍵は開けたままでいいから」

「はい。いってらっしゃい」

「いってきます」

再び別れのキスを交わすと聡次郎さんは出勤していった。

体はまだだるいけれど私の心は晴れやかだ。早く体調を整えて残りの龍峯での仕事を頑張らないと。




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