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「ありがとうございました。ごゆっくりどうぞ」

カウンター越しに提供したシナモンロールラテの出来に満足しながら、客席に向かうお客様に声をかけた。
昨年自分が考えた新作ドリンクが今年も復活して採用されたこと、それの売れ行きが好調なことに嬉しさが倍増する。

私鉄駅の構内にあるこのカフェに勤め始めて4年になろうとしている。過去にも1度ホットサンドを考案して採用されたことがあり、徐々にこのカフェでの仕事にやりがいを感じ始めていた。

「梨香さんの考えたドリンクが今週で終わりなんて残念」

後輩の相沢優衣が閉店準備のためアイスティーの入ったピッチャーを冷蔵庫にしまいながら声をかけてきた。

「ありがとう。また新しいの考えてみるよ」

定期的にアルバイト従業員からも新作商品の提案をする機会はある。次回の夏の商品をまた提案するつもりだった。

「ほんと、梨香さん店長より社員っぽい。仕事頑張ってますよね」

「はは、そうかも」

相沢の冗談にもならない指摘に苦笑いだ。

このカフェでは正社員並みの時間勤務している。朝9時にオペレーションに入り、長ければ閉店作業が終わる22時までいることも多かった。
アルバイトを掛け持ちする生活が長くて、このカフェの他にも個人経営の料理店でアルバイトをしていたけれど数ヶ月前に潰れてしまい、今はここだけで働いている。

「梨香さんが社員になってここの店長になったら最高なのに」

「でも相沢さん、もう卒業しちゃうじゃん」

「そうですけど、残された後輩たちのためにも今の店長じゃ可哀想ですよ」

短大生の相沢は就職が決まって来月にはこのカフェを辞めてしまう。店長が頼りないカフェでは相沢のように仕事のできる後輩が辞めてしまうのは公私共に寂しくもあった。

私自身はこのカフェを運営する会社に社員として入れたらいいのだけれど、店長やその上の上司との話し合いはまだ出来ていない。
仕事が1つになってしまってからは生活に余裕がなく、そろそろ貯金を切り崩すのも厳しくなってきていた。

お店の自動ドアが開く音に顔を向け「いらっしゃいませ」と声をかけた。入店してきた長身の男性に思わず気分が高揚する。グレーのスーツに銀フレームのメガネをかけた男性が壁際の棚に並べられた惣菜パンを取るために屈んだ。
週に何度か来店するこの男性はモデルかと思うほどのイケメンで、品のある身形から想像して仕事が出来るエリートではないかと女性従業員の間で話題に出ることが多かった。
私も例に漏れずこの男性が来ると他のお客様以上に見とれてしまうのだ。

「店内でお召し上がりですか?」

カウンターにコロッケパンを載せたトレーを置いた男性に声をかけた。パンを持ち帰るときもあれば店内で食べて帰ることもあったからだ。

「店内で食べていきます。ロイヤルミルクティーのホットをお願いします」

「かしこまりました」

男性の落ち着いた心地のいい声に気をよくしてレジを操作し、横に控えた相沢にロイヤルミルクティーの入ったピッチャーを渡した。この人はいつもロイヤルミルクティーのホットを飲むのだ。相沢にオーダーを通さなくても温めることは伝わる。

「ありがとうございます。ごゆっくりどうぞ」

商品を提供すると客席に歩いていく男性の後ろ姿につい見とれてしまう。

「今日も素敵ですね……」

「ほんと……」

呟いた相沢に同意する。

品の良い容姿というだけで印象に残る男性。別に好意を持つというわけではないけれど、つい目を奪われてしまう。

「あんな人絶対彼女いますよねー。彼女が羨ましい」

「相沢さんもいるじゃん、イケメン彼氏が」

「そうですけどー……紳士的じゃないし」

「はいはい、お2人とも私語はだめですよ」

割って入った声はもう1人の後輩である中山瑛太だった。休憩から戻ってきてカウンターの中に入ってきた中山は呆れた顔を私と相沢に向けた。

「私語はなるべく控えないとまた『お客様からのご意見』がきますよ」

そう言われて気を引き締めた。先日店員の私語が不愉快だとのクレームが本社に入った。先輩である私が中山に指摘さればつが悪くて口を噤んでも、クレームを受けた張本人は「ふん」と鼻で笑った。

「はーい、気をつけまーす」

相沢は感情のこもらない声で返事をすると調理器具を洗浄し始めた。

今日の閉店までの勤務は相沢と中山だった。中山が休憩から戻ってきたことだし、私はそろそろ上がる準備をしようか。19時の退勤まであと5分しかない。
ダスターを持って店内を巡回しテーブルを拭いて、トイレ掃除をしてから店内に戻ったとき、店中に響く怒鳴り声が耳を劈いた。

「何様だその言い方は!!」

大声を出したのはお客様だと思われる男性がカウンター越しに相沢を睨みつけている。

「落ち着いてください」

中山が焦ってお客様を落ち着かせようとしている。店にいる他のお客様も何事かと様子を伺っていた。トラブルだと瞬時に理解した私は深呼吸して間に入った。

「どうかされましたか?」

3人が一斉に私を見て、男性が私に唾を飛ばす勢いで訴えてきた。

話を聞くと、パンを買いに来た男性が入り口の横に置かれた専用のトレーとトングを使わずに直接手でパンを掴んでしまったことに相沢が注意したのが口論の始まりらしい。それは私でも注意するだろうけど、相沢の欠点は周知なほどに言い方がきつい。神経を逆なでする口調にお客様が逆上したのだ。

「申し訳ありませんでした」

私は何度も男性に謝り、「相沢さん」ときつく嗜めると相沢も渋々男性に謝罪した。
場を治めて男性が帰ると相沢は涙を流し始めた。

「まったく……」

客席から見えないところでしゃがんで泣く相沢には酷だろうが私は怒った。

「お客様にキレてどうすんの」

「す……みませんでした……」

「泣いて後悔するくらいなら初めからまともな対応をしなくちゃ」

攻撃的な一面があるのが相沢の致命的な短所だ。本人も自覚していてもなかなか治せないところはまだ子供だと思ってしまう。
中山も私が対応したことにほっとしたのか、叱られる相沢をフォローすることもなく閉店準備を始めた。

「もう……やっちゃったことは仕方がないから、店長に報告するよ」

営業を2人に任せて店長に報告の電話を入れた。相沢は先日クレームがきたばかりで今日このトラブルではきついお叱りが店長からもあるに違いない。

「じゃあ私は帰るね」

「本当にすみませんでした……」

相沢はまだ落ち込んでいるようだ。私はもう1度慰めると流しの横にあるレコーダーでタイムカードを打刻した。既に19時30分になろうとしていた。退勤予定から30分近くたってしまった。会社は人件費がかさむから時間をオーバーしないようにと煩いのに、この分では私まで店長に小言を言われそうだ。

「お先に失礼します」

残った2人にそう言ってお店から出ようとすると、下げ口であのイケメン男性がトレーを下げるところだった。

「恐れ入ります。ありがとうございました」

私が声をかけると男性は笑顔を見せた。

「大変でしたね。お疲れ様です」

そう声をかけられた。先ほどの騒ぎのことを言われたのだと思い赤面した。店にいたお客様は一連のやり取り全てを知っている。

「あ、いえ……お騒がせして申し訳ありませんでした」

「お気になさらず」

男性は軽く頭を下げるとお店を出て行った。
初めて男性と接客以外の会話をしてしまった。これがもう少し違う状況なら浮かれたかもしれないのに、恥ずかしい状況を見られて落ち込んだ。

今現在バイトリーダーのような立場だけれど、もしこの会社で正社員になったら今以上の責任と苦労がのしかかる。相沢のような難しい部下の教育にも重い責任がある。
今のままの立場は居心地がいい。けれどこの先ずっとフリーターでいることは金銭面で不安があった。飲食業の経験しかなく、資格も特技もない。他に目標なんてなく、ただ漠然と生活してきた。不満はないけれど満足もしていない。不安は常に抱えていた。



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