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神という存在

 窓際から聞こえたその美しい声に、王は動かない身体に無理矢理力を籠めて、何とか首だけをそちらに向けることに成功する。
 首を向けた先に居たのは、やや背の低い女性。
 その女性が身に纏っている服は、濃紺の服の一部に白い布が縫い付けられており、使用人が着るような服を想起させるのだが、それでいながら上流の者が身に付ける服のような気品を感じさせる服。
 顔立ちは寒気がするほど整っており、温度を感じさせない瞳がより一層寒々しくしているようだった。
 青交じりの銀髪は神秘的で、それだけでも息をのむほどに美しい。
 その女性と王は面識はなかった。しかし、王はそれが誰かを一目見て直ぐに理解する。だが、それも当然だろう。長きにわたりずっと目にしてきた彫像。それに色を塗れば、きっと見た目だけは同じになるだろうから。
 王は口を開こうとしたが、縫い付けられたかのように開かない。喉も張り付いたような感覚で、たとえ口を開いても声が出なかっただろう。
 今自分が呼吸しているのかどうかもあやふやな感覚の中、女性の声が続いて届く。
「まずは名乗りましょう。私の名はれい。貴方方に解りやすく名乗るのであれば、主座教の主神とされているれいで御座います」
 ふわりと広がっているスカートを軽く摘んで、れいは優雅に一礼する。
 王はそれを眺めながら、自らも名乗らねば、跪かなければなどと幾つも頭に思い浮かぶのだが、最初に首を動かした後は指の一本も動いてくれない。それほどまでに王はれいに圧倒されていた。
 そんな王など気にも留めず、れいは淡々と話を続けていく。
「本日伺いましたのは、先日この地を見て回り、その素晴らしい発展具合で楽しませていただいたので、そのお礼をしに」
 その場の全員を見ているようで見ていない瞳を向けながら、れいは一方的に用件を告げていく。
「流石に国民全てにお礼をするというわけにもいきませんので、代わりにこの国の代表に感謝の品を渡すということに致しました」
 そう言うと、れいは王に視線を向ける。それは強い視線ではないのだが、しかしそれだけで王は呼吸すら忘れてしまう。
「感謝の印に私の加護を貴方に差し上げましょう。貴方に与える加護は頑健。肉体を丈夫にする加護ですね。これで病気になりにくくなりますし、毒などにも強くなります。それに疲れも溜まりにくくなるでしょう。やはり何よりも健康が第一ですからね。これからもこの国の発展を楽しみにしています」
 説明を終えたれいが軽く一礼すると、王が一瞬淡く光る。
「それと、地下迷宮の攻略を積極的に行っていることにもお礼を。これに対するお礼は、そこに居る将軍に加護を与えましょう。加護の内容は能力の強化。貴方方が始祖と呼ぶ者と似た加護ですね。あの者はそれなりに巧く加護を扱えていましたが……さて、貴方はどうなのか、それもまた楽しみですね」
 れいがそう言うと、今度は将軍が一瞬淡く光った。
「さて、お礼はこのぐらいでいいでしょう。ああそれと、これは粗品です。突然の訪問に対するお詫びの品とでも思ってください」
 今度は何処からともなく取り出した、剣や槍や弓や杖や盾などを足元に置いていく。どれも強い力が込められているのが直ぐに解るような装備品ばかり。
「最後に、歓談の邪魔をしてしまったお詫びにこれも置いていきましょう」
 次に何処からともなく取り出したのは、手提げの籠。そこには見慣れぬ実が沢山入れられている。
「これは皮ごと食べても問題ない果実です。熱を入れてもいいので、どう食すかはご自由に。それでは」
 用件を一方的に告げ終えると、れいは優雅に一礼してその場で一瞬にして姿を消す。
 れいが部屋から居なくなり、部屋に満ちていた圧迫感が消失する。それで全員息を吐き出すが、直ぐに動く者は居なかった。
 しばらくして、ぎこちない動きながらも最初に王が動く。
「ま、まさかれい様が御光臨召されるとは……」
 夢でも見ていたかのような面持ちだが、未だに残っているような圧迫感がそれを否定する。何よりれいが立っていた場所には、お詫びと称して置いていった数々の装備品と手提げ籠に入った果実が置かれているのだから、疑いようもない。
「あれが、れい様……」
 そう呟いたのは誰だったか。
 実はこの場に居る者の中にも、れいの存在を疑っていた者は大勢居た。王族で言えば子供達。護衛で言えば近衛兵達。
 れいは長きにわたり姿を現さなかったのだから、それも無理からぬことであったが、今この瞬間には、そんな愚か者は誰一人として居なかった。むしろ価値観がひっくり返って、その者達は皆熱心な信徒となったほど。
「これほど強大な存在であったとは……地下大迷宮の結界も納得というものですな。いや、むしろあの程度はあの方にとっては児戯にも等しいのでありましょうな」
 目を輝かせて将軍はそう口にすると、思い出したように自身の身体に目を向ける。
「そういえば、畏れ多くも私めも加護を授けていただけたようで」
 手を握ったり腕や脚を軽く動かしてみると、将軍は少し前と感覚が全く違うことに気がつく。まさに神の奇跡。それも王族の始祖と似た加護ともなれば、伝説と同じようなものを頂けたということになる。これで益々国の役に立てることだろう。
「これはなんとも素晴らしい。大神の御言に従い、より一層の精進と地下迷宮の攻略を約束致します」
 将軍は王に跪くと、警護のために佩いていた剣を捧げるように手にする。
「これからも頼りにしている」
「はっ! 必ずや大神を楽しませられるだけの成果を上げてみせまする!!」
 気合十分といった将軍の言葉を笑う者はこの場には誰一人としていない。むしろ皆当然だと自然と思っていた。それほどまでにれいの存在というのは大きかったのだ。
 その後、れいが置いていった装備の確認を行い、剣に関してはその場で将軍に貸与されることになった。残りも適当な者が居れば貸与するということで、後は果実である。
 これは魔木の付ける実なのだが、この辺りでは北の森にしか存在していないので、知っている者はその場には居なかった。それでも、れいの言葉を疑う者は居なかったので、手提げ籠から手にした果実を観察した後、毒見も無しに王が最初に口にした。
 れいが持ってきたのは、魔木の若木が付けた実である。しかし、それでも肥沃な地で育った魔木だけに、その実もまた格別の味であった。
 その日、最後にちょっとした騒動が起きたが、概ね平和な朝として過ぎていった。

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